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自分の名前 ~ヒッグス粒子発見~

 科学者いや物理学者にとって、最高の夢は何だと思いますか?

 ノーベル賞をとること?

 いやいや、そんなのは小さいのですよ。

 些事ですよサジ。

 皆さん口には出しませんが、わたしは、この際、独断と偏見ではっきりと言ってしまいます。

 科学者にとっての最高の夢は、「自分の名前の単位を世に残すこと」です。

 力のニュートン、磁力のガウス、圧力のパスカルなど、過去の誰もが知っているであろう物理学者は、単位に自分の名前を冠しています。

 しかし、これは狭い、本当に狭き門です。

 ブルドーザーが走り回り、崖が崩され、宅地造成がなされて家が建ち、数十年たった千里ニュータウンから古代の遺跡のカケラを探すようなものです。

 もう、何も残っちゃいない。

 潮干狩りシーズンの最終日夕方の浜辺ですよ。

 単位に自分の名をつけるためには、何か、これまで人の知らない法則、現象を発見し、それを「定性的」(つまり性質分析)にではなく「定量的」(その現象が数式で計算できるように、つまり人間の手で再利用ができ、有用である)に、体系づけなければならないのですから並大抵では不可能です。

 それなら、せめて天文学者の夢、自分で発見した天体に名前をつけるように、新しい物質名に自分の名をつけたい――

 そう考えた、科学者たちは、ちょっとずるいことを考えました。

 ものすごい圧力、少なくとも太陽内部くらいの圧力と熱があれば、私の理論は証明されるんだけどな、今はだめだけど……

 という感じで、理論上はこんなことになる、こんなものが存在するはず、ただし、今の君の顕微鏡では見つからないけどさ、と、名前だけを先につけて、予言しておくのですね。

 湯川秀樹の中間子といい、実際に、そういったものは、結構あるのです。

 そして、さる4日、あの「シュタインズゲート」のファンなら絶対知っている、ジュネーブの欧州合同原子核研究所「CERN(セルン)」が、大型粒子加速器を使った実験で、40年前に、英国のピーター・ヒッグス博士(83歳)がその存在を予言していた「ヒッグス粒子」見つけた、と発表しました。

 分子、原子、その原子よりも小さい素粒子の話です。

 ヒッグス粒子は、移動する素粒子にまとわりついて、動きにくくする=質量をもたらす粒子だそうですが、それなら、ヒッグス粒子よりは、パピィ(子犬)粒子、なんて名前の方が、気が利いていたのにな、なんてことを考えてはならないのです。

 偉大な発見をしたと感じたら、まず自分の名をつけよ。

 これは、科学の神様らから、科学者に下った厳命です(ウソ)。

 いずれにせよ、ヒッグス博士83歳、よくぞ長生きされました。

 生きて、自らの研究成果を目の当たりにすることができたのですから、彼は幸せです。

p.s.
 宇宙兄弟では、金子博士は見つけた星に妻シャロンの名前を冠したのでした。

 同様に、研究成果に自分の名前でなく、妻の名を付けた科学者を寡聞にしてわたしは知りません。

ピンポンダッシュ、ならぬピンポン観察!

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 見知らぬお家のインターフォンあるいは呼び鈴(古い)をピンポンと押して、そのまま逃げる、多くの人が子供の頃にやったことのある遊びではないでしょうか(え、そんなことない?)。

 わたし自身はやったことがなかったのですが、後に、それをピンポンダッシュと呼ぶと知って、うまいこと名付けるなぁ、と感心した覚えがあります。

 このピンポンダッシュ、近頃のインターフォンでは、やりにくくなりましたね。

 何せ、カメラ付きですから。

 機種によっては、押した瞬間の画像を記録して残すものもあるので(我が家のがそうです)、迂闊(うかつ)に「ピンポン」できなくなっています。

 ある自宅待機の青年が、いや彼は、いわゆる「引きこもり生活」をしているのですが、このカメラ付きインターフォンで面白い遊びを発見したそうです。

 家族が外出し自分だけが在宅している時、宅配業者の訪問を受けた彼は、他人と話すのがおっくうで居留守を使いました。

 呼び出しのボタンが押した時点で、ほとんどのカメラ付きインターフォンは、訪問者の姿をディスプレイに表示します。

 彼は、そのまま返事をせずに訪問者を観察したのです。

 そして、気づいてしまいました。

 初めは、訪問者もカメラを意識して、きりっとした顔をしているそうですが、しばらく放置すると、だんだんと本性が現れてくる。

 それを観察するのが楽しい、と。

 悪趣味なことです。

 家には、様々なタイプの訪問者がやって来ます。

 一度チャイムを鳴らしたあと、我慢強くずっと待つ人。

 鳴らした後で、その場を離れ、しばらくして戻ってきてまた鳴らす人。

 しつこく鳴らし続ける人(これに関しては、訪問販売の規制が強化されてからはすっかり影を潜めたらしいですが)。

 興味深いのは、留守と判断してからの彼らの行動です。

 油断して「素」をあらわし、悪態をつく、壁やドアをけるマネをする者、あるいは本当に蹴ってしまう者――

 「居留守のプロ」たる彼には、宅配業者による、はっきりとした違いがわかっていて、「この会社はしっかりしているが、あの会社は乱暴だ」と断定できるそうです。

 どうやら、配達人の「素」で会社のカラーが分かるらしい。

 面白いなぁ、この人間観察。

 話を聞いて、さっそくわたしも一度試してみることにしました。

 明らかに届け物があると分かっている、その日、戸外にトラックの音がして、ピンポンの音。

 すわ、これぞ好機!

 と、勢い込んで、液晶画面の前に立ち、観察しようとしましたが、どうしても待たせることができずに、応答のボタンを押してしまいました。

 だって、待たせるなんて失礼じゃないですか。

 悪いし。

 相手の時間をこちらの自由に使って良いという法はないわけですから。

 つくづく人間観察には向かない性格ですねぇ。

 いつかわたしも、この人間的弱さを克服して、「ピンポンダッシュ」ならぬ「ピンポンウォッチ」ができるように……ならないでしょうねぇ。

アメリカ、ヘロヘロやんかー ~「世界を救う処方箋」より~

 日本では、 今もなお経済大国としてアメリカを持ち上げる人の多いのが不思議ですが、USAは、2010年の財政赤字が100兆円近く(1兆3000億ドル)あり、それはGDPの9%でした。

なぜ、赤字になるのか?

それは単純な数式でわかります。

税収は、現在のシステムでGDPの18%。

それに対して、社会保障や医療・年金などの義務的経費が13%、軍事予算が4%、借金利息が3%これだけですでに赤字になる。

つまり、

18-13-4-3=-3

絶対に必要な経費だけで、すでにマイナスなのに、この上にさらに経費がかかるため、慢性的な赤字体質になっているのです。

世界経済の牽引車たるアメリカがもう立ち行かなくなってきている。

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「 世界を救う処方箋」の著者、ジェフリー・サックスは、その原因を、ひとえに(ひとつに限定する時点でちょっとマユツバなのですが)、

「高額所得を得て、多くの資産を保有し、大卒以上である」ような富裕層が、「少ない税率しか負担しなくなった」からだ、と断定しています。

 このあたりの話は面白いので、もう少し紹介するすると、

 ブッシュ以降の新自由主義政策によって、富裕層は、所得も投機収入も資産も課税を減免されてきた。

 同時に、軍事・医療・石油に関わる大企業は、ロビー活動を通じて、民主党へ、共和へと、党を問わずに政治献金を行い、メディアはアメリカの危機は「大きな政府によるものだ」というキャンペーンを張って、サブプライム危機を引き起こした当事者の金融機関幹部は責任を問われるどころか、ボーナスを稼いできた。

 中国からの製品が輸入され、アメリカの国内のインフレ率は低下したが、グリーンスパンは、それをIT革命にもとづく生産性の向上のせいだと強弁して金融緩和しか講じなかった。

 そのために製造業では賃金は下がり雇用も失われた。

 つまるところ、グローバリゼーションを見誤ったのである。

「グローバリゼーションのお手本」として、アメリカバンザイと彼の国を持ち上げることしか知らない日本の識者に教えてやりたいような内容ですね。

サックスは断罪を続けます。

 リーマン・ショックを経てさえ、政府は金融緩和と減税しか施策を打てないでいる。

その理由は、

「コーポレートクラシー」=「有力企業による圧力団体が政策アジェンダを支配するような政治形態」

が、依然としてアメリカを政府と議会を羽交い締めにしているからだ。

結果として………

 貯蓄率は下がり続け、インフラ・ストラクチャへの投資がままならないために、ニューオリンズは水没し、教育に金がまわらないため、学歴で労働者はヨーロッパどころかアジアにも後れをとりつつあり、地球環境やエネルギーといった将来のための問題への関心も薄く、大きな格差は「郊外と都心」「サンベルト(南部)とスノーベルト(北部)」といった居住地域間に政治的分裂をもたらした。

 「ヨーロッパどころかアジアにすら学歴が」ってところは、なんだかアメ公らしい「上から目線」を感じますが、まあ言っている内容はそれほど間違っていないと思います。

 以上、わたしが今回お伝えしたかったのは、日本の「識者」によるアメリカ経済への視線は、昨今の米国の就業率微増でかなり楽観的になっているように見えます。

 しかし、現実のアメリカの病根は根深く、安易に表層的に、アメリカへ追従しては、かえって日本がアブナクなる、ということです。

日本は、安易なアメリカへのお追蹤(ついしょう)をやめて、日本の風土と文化に根ざした経済立て直し、グローバリゼーションを考えるべきなのですから。

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