クロワッサンという雑誌がある。
何年か前、この雑誌が「結婚して幸せになる」「子育てが生き甲斐」といったテーマの特集を組んで物議をかもしたことがあった。
クロワッサンといえば、わたしも覚えているが、二十年ばかり前に「女は仕事」「キャリアウーマンが美しい」などの特集を大ヒットさせて、「働く女性」を大量に生み出す原動力になった雑誌だ。
もちろん、歴史的な男女同権の時代の流れもあり、さらにその後の「男女雇用機会均等法」などの制定も「働く女性」を生み出す力とはなったが、イメージとして女性の社会進出を強烈にプッシュしたのは、この雑誌の存在が大きかった。
クロワッサンの功績は、働く女性はカッコイイという考えを広めたことだ。
わたしも、ああいった記事があって、結果的に女性の社会進出が早くなったと思う。
だが、功があれば罪もある。
それは、たかが一雑誌が、部数増刷のためのイメージ戦略として、「女性として母として、結婚をし、子供を生み育てながら社会に生きていく」という女性のマルチな可能性をアタマから排除して、「恋や結婚、家庭などはうち捨てて、仕事に生きるのがキレイな女性」と洗脳に近い特集記事を組み続けたことだ。
あげく、その頃の読者が、しっかりと仕事人間、会社人間になりきり、なかなか年齢的にも出産がかなわなくなった今になって、「育児こそが女の幸せ」などという特集を組み出したら、はやし立てられ、二階へ登らされたあげく梯子をハズされたような気持ちになった元読者たちが、文句をいうのは当然だろう。
雑誌の記事であれ生の人の助言であれ、人をノセて引き返せない場所に向かわせるなら、それなりに責任をとらねばならない。
「自己責任」で逃れるには、当時、大人気だった雑誌は少々重い責任を背負っていると、わたしは思う。
もちろん、ノセられる方も悪いのだが。
わたしも、自身、会社を辞めて自営として長くやってきたため、今の仕事が嫌だというだけで、安易なアドバイスにのって社会の荒波に乗り出すことに、かなり懐疑的なのだ。
最近、「夢をかなえるゾウ」という本が読まれているそうな。
初めてその本の名を耳にしたのは、今年のはじめだったか、阪神タイガースの矢野捕手がインタビューに応え、奥さんにすすめられて読んだと、この本の名を挙げた時だった。
先日、友人の女性から、娘が「夢をかなえるゾウ」を読んで、なったばかりの介護士の仕事をやめて、スタイリストになりたいと言い出しているが、どうしたら良いだろう、相談を受けた。
彼女は、わたしより年上で、しっかりとした立派な女性なのだが、こと娘に関しては、まったくの別人格になってしまう。
早くに夫を亡くし、女手一つで育てたからだろうが、普段の彼女なら、きっぱりと「バカは辞めて、まず地に足をつけた生活をしなさい」というはずなのに、おろおろと心配するばかりで、きちんとしたアドバイスもまだ行っていないという。
いったいどんな本を読んで夢を追う気になったのか、それを知らないと何もいえないと、まず「夢をかなえるゾウ」を読んでみた。
読み終わっておもったのは、ごくふつうの啓蒙小説だ、ということだ。
読み物として見ても面白い。
クロワッサンのように、結果を考えず無責任に過度に煽ることもない。
ごく、バランスのとれた小説だ。
ところで、
大人、というより先達が後進におこなってはいけないことが二つある。
一つめは、若者の考えを頭ごなしに否定することだ。
それが意外と難しいんだなぁ。これを読んでいる若い人には分からないかも知れないが、ちょっとトシとって世間を見たような気になったら、「自分の経験分」がごっそり抜け落ちている若者の意見など聞く気にもならなくなるんだよ、ホント。
先行く者から見れば、はっきりとした能力の片鱗もみせず、ただ野心と勢いだけで世間の荒波にのりだそうとする若者は危なっかしく見えるのだ。
だが、やってみるのは当人の権利だ。
自分で決意し、責任をとって、何かに挑むなら、それがどれほど危なっかしく見えても、止めてはならない。
もし、その相手が、自分の子供などの大切な者であれば、失敗した時に、出来る限り手をさしのべてやればいいのだ。
次に、やってはならない二つめのこと、「絶対にやってはならないこと」は、コドモの甘い夢を煽ることだ。
決断するまではコドモの話を聞いてやり、それについての厳しい意見、アドバイスを述べるべきなのだ。そして、あくまでも自分で決断させる。
いったん決断して覚悟を決めたなら、手を貸し、見守ってやればいい。
だが、決断する前に、安っぽいアジテーションを絶対におこなってはならない。
失敗した時に、安易に責任転嫁させる対象になってしまうからだ。
自分で考え決めないと、つまづいた時に、どこが悪かったかを自分で考えられなくなる。
要は、成功しても失敗しても、本人が納得できなければダメだ、ということです。
以上の点を、「ゾウ」は上手にクリアしていると思う。
「絶対できる」と言わず「絶対ダメだ」とも言わず、ある意味、責任を逃れたズルい書き方をしているが、先に書いたように、内容自体には問題がない。
「本書に書かれているのは、どの啓蒙書にも載っていて目新しいことではない」
「やれば、成功するかも知れないが、やってもダメかもしれない」
等々。
相談を受けた数日後、わたしは、以上をふまえて彼女に次のことを伝えた。
娘さんを、頭ごなしに否定するのではなく、話を聞いてやり、親の目で能力を判断して駄目だと思ったら徹底的に反対すべし、と。
え、何が以上をふまえて、だって?
応援してやれって?
だって、子の安全と安定を考えるのは、親の義務であり権利でしょう(責任かどうかはわからない)。
わたしには子供はいないが、そう思います。
たとえ、おとなしい書き方だとしても、啓蒙書や啓蒙小説は、所詮、(若い)読み手に希望の火で低温火傷させてナンボなんですよ。
火傷してピリピリしているココロが、しばらくして落ち着くまで抑えるのも、やっぱり親のつとめだとわたしは思うのです。
それに、本当にやりたければ、親の反対なんて何の役にも立ちませんからね。
親の反対ゴトキで辞めるなら、それだけの決心なんですよ。
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