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新世紀から新生へ 〜エヴァンゲリヲン 序〜

 夜、珍しく事務所に来ていた顧客が帰った後、何気なくつけたテレビから、いきなり男の子の(女性の声優だが)ナキゴトが聞こえてきて驚いた。

 が、すぐに、映画の公開にあわせて、前作をテレビ放映して観客動員を上げようという、例の作戦にのっとってエヴァンゲリヲンを放映していることを思い出した。

 そういえば、昼に会った薬学科の大学生が、エヴァの良さを熱っぽく友達に語るのを聞いてくすぐったく感じたことも思い出す。

「ガンダムで感動するのは甘い」という彼の言葉を青臭く感じるのは、おそらくわたしもトシをとったということなのだろう。(わたし自身はガンダム・シリーズを良く思ったことは一度もないのだが……)

 ああ、はじめに断っておくが、わたしはエヴァンゲリオンという作品が、あまり好きではないので、ファンの方は以下の文章を読まないで欲しい。

 エヴァンゲリオンに関しては、以前に流行った時に、この(わたしにとっては)なんだかあまり気持ちよくない作品のどこが良いのか考えてみたことがある。

 制作者サイドの思考の流れ方なら、なんとなくわかる。

 エヴァンゲリオン以前に、庵野秀明氏が作った「ふしぎのうみのナディア」(漢字がないのでひらがな表記)で、地球にやってきた宇宙人が最初に作った人間のプロトタイプ、アダムという名の巨人が出てくる。

 プロトタイプだけに「現存するヒト」のように小型化できず巨人になってしまった、という設定は、きわめてイカしたハナシで、最終回近くで出すには惜しいプロットだと庵野氏も考えたのだろう。

 だから、巨大なアダムを使って、別なハナシを作りたくなった。

 ナディアでは、いい加減に使ってしまったものの、アダムといえば旧訳聖書の世界。

 旧約聖書ならば、アダムよりアダムの肋骨から作られたエヴァの方が断然ツカえるし面白い。

 だって、アダムの一部から作られながら、ヘビにソソノカされてアダムを騙し、知恵の実を食べさせてしまうのがエヴァなのだから。
(自作小説にもあるように、個人的には「リリン」の方が好きですが)

 ならば、いっそキリスト神秘主義の知識を借りて世界観を深めてしまおう。

 人類の味方チームのコンピュータは、三博士の名前をつけて、やってくる敵は使徒と呼ぼう。

 死海文書もギミックに使おう。ファティマの予言は……やめておこうか。

 ああ、そうだ。現在の世界観と「地続き」にしないために天変地異を起こしておこう。
 大地震で文明崩壊……じゃバイオレンスジャックだから、なんだかわからないバクハツで、新しい世界観をもった時代にしてやれ、名称は……セカンドインパクト!

 という感じだろうか。

 石川球太の「巨人獣」じゃあるまいし、巨大人間を操って闘うのは、ヒロイズムが疼かないから、やはり生物兵器に人が乗り込んで闘うことにしよう。

 その際、主人公は、オレオレ出しゃばりタイプじゃなく、内省的な巻き込まれ主人公にしたほうが、ハナシが立つだろう。

 ヒーローには仲間が必要、男性を惹きつけるなら、男女の比率は2対1、しかも女性のタイプは正反対にするべきだろうな。

 そのうちのひとりは、口数の少ないクール・ビューティーにして、ついでに怪我もさせて包帯少女にしてしまうか。

 わたしは、個人的に、元気いっぱいの健康的な女性が好きだが、男に、怪我をして包帯を巻かれた女性に惹かれる部分があるらしいのはわかる。

 と、そこまでは納得もいくのだが、不思議なのは、どうして登場人物の多くを、神経症がかった性格にしなければならなかったのか、ということだ。

 まあ、結果的に、オープニング曲のヒットと相まって、大ヒットとなったわけだから、その選択は正解だったわけだが、登場人物の多くが、重度軽度の差はあるにせよ、神経症にかかっているような作品は楽しんで観ることなどできない。

 ただ、漏れ聞く情報によると、今回の映画版は、すでに新世紀(21世紀)になってしまったために、かつての「新世紀エヴァンゲリオン」から「新世紀」の文字がとれ、特に第二話「破」からは、新キャラクターの登場および新展開も行い、エンターティンメント指向の強いエピローグを迎える、とのことなので、少しは期待しても良いかもしれない。

 くれぐれも、よくわからないヤヤコシイ展開だけは止してほしい。

 意味不明なことを、難解そうにみせるのも。

 せめて、過去のテレビ版でタイトルのみをパクッた「世界の中心で愛を叫んだ獣」(ハーラン・エリスン作)のように、パンドラの箱のSF的解釈を試みようとするほどの意欲は見せて欲しいものだ。
(当時、庵野はハーラン・エリスンの作品を読んだことがなかったらしい。その上、観たことはないが日本のドラマ「世界の中心で愛を叫ぶ」は、エリスンではなく、エヴァのタイトルをパクったものだという。世も末だ)

 そして観た者は、心して作品を判断してほしい。

 見かけ上の難解さをありがたがるのは、自分が単純であることの証明にしかならないのだから。

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