映画版「東のエデン1(本当はローマ数字)」をDVDで観ました。
英語タイトルは、「King of EDEN」、エデンの王です(上記、小説表紙にひは「失楽園」とも書かれていますね)。
「2(ローマ数字)」は、今、映画館でやっています。
テレビシリーズについては、以前に、このブログでも書きましたが、
http://cgi.kabulaya.com/cgi/hokanko/diary.cgi?no=423
その直後からの話が、今回の映画ということになります。
地上波放送版については、上記ブログを読んでもらえればよいので省略しますが、ナカナカナカ良いデキでした。
今回の映画についても、全体の感想としては、まあまあという感じです。
最初に、ヒロイン?の考えられない格好と行動(ヒラヒラのミニスカートで、パスポートを、チャチなハンドバッグに入れ、NYのタクシーに一人で乗り、パスポートごとバッグを置き忘れる)で、どんだけバカ娘なのだコイツは?と気分が悪くなりかけましたが、まあ、これがイマドキの女子大生の等身大の姿なのカモ、と我慢して観ていると、すぐに主人公が颯爽と現れて彼女を救い、ストーリーがテレビ放映の雰囲気になりました。
えーと、ということは、もしこのストーリーが、何でも分かっている滝沢朗(アキラ)(シティハンター冴羽あるいは銀魂の銀さんの役ドコロです)が出てこないと、単に何も分からず右往左往するだけのバカ娘の話になるってことかな?
と書いていて気づきました。
この映画は、女性の側から観た理想の男の子を描いた話なんだ、と。
いやぁ、すっきりしました。
「ノブレス・オブリージュ」だとかセレソンだかクレソンだかと、ややこしいことをいっていても、所詮は、イキナリ金と力を12人の人間に与えてそれを見守るゲームが軸となる話です。
だいたい、「突然100億手に入れた男の話」だとか、「悪魔か神から、悪の力と善の力を手に入れた二人の男の戦い」なんてのは、マンガ青年誌の基本路線です。
それを、「攻殻機動隊スタンドアロンコンプレックス」の神山氏がどう扱うのか、と思ったら、結局はオーソドックスな話だったので、不思議に思っていました。
テレビ版キャッチフレーズの「この国の"空気"に戦いを挑んだひとりの男の子と、彼を見守った女の子の、たった11日間の物語」(今回の映画開始時で、すでに半年が経っているので印象的な「11日間の~」はもう期限切れですが)における「この国の空気」あたりを、ニートと社会を支配する大人(アガリを決め込んだ奴ら)と表現し、ゆがんだ形の世代間闘争として描こうとしたのは、いかにも神山節なのですが、いかんせん映画では、そこのトコロがほとんど描けていません。
だから、映画を(1だけですが)観終わって感じるのは、すっきりした草食系の男の子に憧れて、何もわからないまま、何もできない無能な女の子が、キャーキャー叫びながら、ただ好きな男のにくっついているだけ、という印象なのですね。
つまり、裏を返せばこういうことです。
この映画は、突然100億とそれを使う力(人工知能ジュイス)を与えられた12人の抗争劇ではなく、そんな大きな力を与えられても、それを間違った方向に使わず「正しい方向?」に使う草食系男子に憧れる女の子の話、なんですね。
メリーゴーラウンドの「ゴールデンリング」がらみの、ラブラブストーリーを観ていると、つくづくそう思いました。
過度に感情に走った、激した言動をせず、穏やかな話し方を変えない男の子。
金と権力を与えられても、私的な欲望にそれを使わず、「タダシイコト(女の子から見て)」に使うカレ。
警察に捕まっても、ブタ箱などにはいるという(女の子の夢を壊す)ことなどなく、記憶を失ってノブレス携帯も手放し、NYにいても、スッキリした服装で豪華な部屋に住んで金に困らない男の子。
過去もよく分からないけれど、何かデカいことをやっている様な男子。
でも草食系。
「King of EDEN」は、凡庸で、ちょっと屈折し、扁平な顔をした女子大生(これは「ハチミツとクローバー」の羽海野チカがキャラクター原案だからしかたがない)が、いかにも憧れておっかけそうな男の子を描いた「ガールミーツボーイ」ストーリーなんですね。
さて、2はどうなるのでしょう。
チマタの評判では、大風呂敷広げすぎて、収集がつかなくなって破綻しているとのことですが、まあ、DVD待ちかな。
しかし、この映画の公式サイトのわかりにくさは、なんとかならんかな。
情報を提供することを拒絶した、美麗なだけの変なフラッシュサイトの典型だなぁ。
このサイトを見た時点で、この映画はマイナー評価を抜けられないって感じがするね。
そうだ、ここで、ついでに草食系男子についての個人的見解を書いておきましょう。
基本的に女性は、記憶を感覚に頼るイキモノだといわれています。
だから、嫌なこと、辛かったことを忘れない。
気持ちよかったこと、楽しかったことも覚えている。
逆に、男は言葉でモノゴトを伝えようと伝えようとします。
子供や女性に、「優しい言葉」を「きつい調子で」投げかけると彼女たちはそれを嫌がり、「きつい内容」を「優しい口調」で諭すと、それほど気にしないという実験結果があります。
まあ、実験などといわずとも、女性とつきあったことのある男性なら、そんなことは知っているでしょう?
これまでは、「男なんてそういうものだから、女性はそれに合わせて我慢するのだ」という社会通念があったのですが、戦後を25年ほど過ぎた頃から「それは社会が間違っているのだ」と考える風潮が強くなり、社会的性差是正の動きとともに、女性は嫌なモノを嫌といえるようになってきました。
ともかく、女性は変わった。
それはいい。
おそらくそれが正しい方向なのだから。
問題は、男性の方が、なかなか現実についていけなかったということです。
社会通年的、世相的に強くなった女の子に対して、男の子たちは、今までの行動文法が適用できず、過度に女性の好み(上で書いた、怒鳴らない、大声を出さない、いやらしさを表に出さない等の滝沢的行動)に迎合した結果、「一時的に出来上がった」若年男子の行動原理が草食系男子的行動パターンではないか、そうわたしは考えています。
そんなことメンドーだぜ、という男の子たちは、現実のウルサイ女性たちから目を背け、アニメやゲームなどの、二次元美少女と向き合っているのでしょう。
ああ、そうだ、もうひとつ。
「良い女」についても書いておきましょう。
学生の頃、女友だちから「良い女ってどんな人」と尋ねられて、ガキのわたしは答えることができませんでした。
いまなら、アウトラインは答えられます。
それは、
「(特に)仕事で男と向き合う時に、男の文法で思考し、判断し、つきあうことのできる女性」
ということです。
そして、
「仕事を離れたら、女性らしさ(女性文法、というか直感的な思考法)を取り戻す」
ことも必要なのかな。
そのバランスと切り替えが、うまくできる女性が(男から見た)良い女なのではないか、と最近のわたしは考えています。
もちろん、女性が考えるハンサム・ウーマンは、それとは違うでしょう。
あくまで、男の目からみて、対等に話しやすく、つきあいやすい、という意味の「良い女」です。
それを勘違いすると、トゥームレイダー2(映画)のララ・クロフトのように、ガニ股、大股で歩いて、机の上のアシをのせ、人を殴り蹴る、ただのガサツ女をカッコイイと思ってしまうのですね。