今回は「信じる力」について書きます。
コミックやアニメ、あるいは若者向けライトノベルでよく使われる『耳触り』(耳障りでなく)の良い意味ではなく、もっと苦しく、切なく、血を吐くような気持ちで使う方の「信じる力」です。
ああ、この言葉を、若者向けの「カッコイイ」意味で使えたらどんなに良いだろう……
あれ、なんだか気持ちがネガティブになってるぞ。
陰気な話になるかもしれないので、そんなハナシが苦手な人は、これ以上お読みにならないでください。
さて、どこから書きましょうか。
まず、わたしもイイ年なので、自分の小説のなかで、斜(はす)に構えた言い方でなく、真っ直ぐな使い方で、登場人物に「『信じる力』が大切だ」と断言させることは、もはやできなくなっています。
んなもん、信じたってダメなもんはダメだって、長く生きてりゃ、イヤってほど分かってくるからです。
「信じる力」にはいろいろありますが、特に「自分の能力を信じる力」は、儚い(はかない)ものです。
「にんべんにユメ」とかいて「儚い」と読ませるのは、腹がたちますが、まさしく言い得ていますねぇ。
「現実の重み」というクソ野郎は、時にキレイゴトを見事に吹き飛ばして跡形もなくしてしまうモノです。
「現実の重み」、その中で特に苦しいのは、「時間の経過」と恥ずかしながら「カネ」です。
こんなことは、もう、とうに分かっていたことですし、今さら書くことではないと思ったのですが、最近、すっかりカサブタになってしまったと思っていたブブンをえぐるような話をいくつか観てしまったので、こんな話を書き出してしまいました。
そのうちのひとつは、現在、日本放送協会で毎朝放送している「ゲゲゲの女房」です。
そもそもは、頼まれて録画していたのですが、チェックがてら目を通すうち、隻腕(せきわん)の水木氏(向井理氏)が出てきてからは、特に、夫婦が赤貧洗うごとき生活をするようになってからは、身もだえするような気持ちで毎日観てしまっています。
戦傷(せんしょう)による隻腕、40を過ぎて廃(すた)れつつある「貸本マンガ」(わたしが子供の頃はもうなかったなぁ)の作家として、全く売れない漫画を書き続ける水木氏を観ていると胸をかきむしられます。
もう観たくない。
でも観てしまう。そして、こう考えてしまう。
「この気持ちを本当にわかるのは、わたしを含めて日本の人口のごく一部だろうなぁ」
まあ、そう考えた時点で、すでにこの考えは間違っているのですがね、おそらく。
水木氏の少年時代については、かつてこのブログでも、「のんのんばぁとオレ」(正・続)で書いたことがあるように記憶しています。
その時にも書きましたが、昔、あの番組を観て恐ろしく思ったのはのは、あれほどエネルギッシュで生気にみちあふれていた子供が、大人になって戦争で片腕を失ってしまうという運命の過酷さ、非常さを感じたからです。
その点は、わたしもトシをとったので、誤解を恐れずにいわせていただければ、「彼はただ腕を無くしただけで、不便になるけれど人としてなんら変わってしまったわけではないのだ」と思えるようになりました。
しかし、もうひとつ、これも誤解を恐れずに書かせてもらえれば、
「利き腕でない方の腕を失ったという事実」
こそが、水木氏にある種の「呪い」をかけてしまったように、わたしには思えてならないのです。
ここでいう「呪い」とは、「そのことが無謀な挑戦に対する自信の核」になるということです。
水木氏の自伝をお読みになった方、夫人の「ゲゲゲの女房」でもいい、あるいは、今、番組をご覧になられている方なら、わかっていただけるでしょう。
世は高度経済成長期、日本全国、人手不足で、いわゆる「金の卵」と呼ばれた集団就職の青少年たちが次々と都会にやってきて、「働く気さえあれば、貧しくとも食っていくことはできた時代」です。
片腕というハンディはあっても、「とにかく食べて、妻子を養っていくのだ」という決断をすれば、少なくとも鼻紙を買う金すらない生活にはならない。
でも、氏はマンガを書いて生計をたてようとする。
「信じる力」が強いのです。
そして、その裏には、明確には表現されていませんが、
「あの南方から生きて帰り、腕を失いながら、それが利き腕ではなかった」
という事実が、
「だからこそ、生きて描かねばならないのだ」
という「信じる力」の核になっているような気がします。
番組の感想などでは、
「あの、豊かになりつつある時代に、あんな貧乏はないよ」
というものがありました。
これについては、はっきり反論させてもらいます。
「時代じゃネェんだよ。そりゃ、世間の流れを見て、世間を追いかけ、世間に流されて、世間が働くなら働く、引きこもりがゆるされるなら引きこもるってヤツがいう言葉だ。そんなふうに、右見て左見る人間なら、テキトーに働いて生活だけは確保できる。でも、そんな風に生きない、生きられない人間(下記参照)にとっては、世間も時代も関係なく、つねに生活は赤貧なんだよ!」
と。
言い換えればこういうことです。
「人間にはふた通りある。時代に生きる人間と時代と関係なく生きる人間の」
「働きながら描けばいいじゃないですか、みんなそうしているんだし」
そう書かれる方も多い。
実際、その通りです。正しい。
でも、おそらく水木氏はそう考えていない。
いや、氏だけでなく、多くの赤貧に身をおいたマンガ家、作家たちはそう考えなかったはずです。
言葉にするしないの差こそあれ、彼らの気持ちの中には、
「生活を確保して、その合間に書くような作品に『魂が込められるかよ』」(*)
という気持ちがあるのです。
青臭い考え方、そして見方をかえれば、現実から逃避する「生活無能力者」の逃げ口上に過ぎないのですがね。
しかし、これは極小の小さい声でいわせてもらいたいのですが、
「作家になってからも他に仕事を持っている兼業作家(たとえ著名作家でも)の作品になんて、ロクなものがねぇよ」
というのが、わたしの個人的見解です。
上記(*)のように考えているクリエイターたちが、トシをとって、「もうこんなことをしていてはダメだ、子供も大きくなってきたし身の振り方を考えよう」と、世間一般いうところの「正業」(いいねぇこの呼び方、完全にヒトをバカにしている)に就くと、その後は、いくつかのパターンに分かれます。
そう、失敗し続ければ、どれほど強い精神力をもっている人間でも、やがては折れるのです。
何度やってもダメ。
自分でも不安になりつつも、さらに「信じる力」を奮い立たせてようとしても、やがて自分を信じている者の目に、不安と不信の色が浮かぶのが分かる。
それが、生活苦から、すがるような色になると、もうダメです。
折れます。折れるのです。
1.「信じる力」が折れて、もう書けなくなり、余生を小説、漫画と関係なく過ごす。
2.まだ信じて書き続けるが、その生産量は低下し駄作をレンパツ。さらにトシをとって、流行作家をコキおろす、漫画や小説が趣味のジジイになる。
これに、「仕事の合間に書いた作品が、水木氏のように40を過ぎてから突然認められて、大ブレイクする」なんて項目を加えたいのですが、ほぼあり得ないので書きません。
私的(してき)な考えでは、赤貧の中書き続けたものの、時間(つまり寄る年波)と積み重なる失敗の波状攻撃に、ついに、気持ちが「折れた」人が「正業」に就きながら、作品を書き続けることなど、ほとんどできないと思います。
先の見えない中で、自分だけを信じて赤貧に耐え、作品を書き続ける辛さは、経験しないとわからないものです。
まあ、しかし、考えてみれば、こんなことは、普通の人たちには関係ないことですね。
好きで「自分を信じ」、「自分に賭け」て、ダメだったんですから、他人が気に掛けることでもない。
案外、本人たちは楽しいんですよ。血は流れてますがね。
「運」「時代とのマッチング」最後に「わずかな才能」が揃わないと、世に出るのは難しいものなんですから。
というのが、ひとつ目です。
二つめが、ヘンリー・ダーガー(1982-1973)です。
ご存じでしょうか。
彼は、おそらく世界一有名で無名な作家(クリエイター?)です。
これについては、映画(ドキュメント)「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」(2004年)を観てもらえればすぐにわかるのですが、カンタンに映画のコピーを引用しておくと、
「病院の掃除夫で貧しい老人、と誰もが関心を示さず、大家や隣人以外ほとんど接触をもたなかった独居の男性が81才で亡くなった。
部屋を片付けようとした大家夫人は、おびただしい数量の絵画や執筆物を発見し驚嘆する。孤高のヘンリー・ダーガーの生涯と、その作品を隣人のインタビューを交え、紹介するドキュメンタリー。
専門教育を受けず、公開する意思なく制作された作品群が、様々な研究対象となり注目されるヘンリー・ダーガー。日本では1993年に世田谷美術館で開催された「パラレル・ヴィジョン-20世紀美術とアウトサイダー・アート」展で初公開され、緻密で独特な世界観と、絵巻状の絵画の鮮やかな色彩感覚などが大きな反響を呼んだ」
彼は、いったい何を信じていたのでしょうか?
「信じる力」はあったのでしょうか?
上記の「公開する意思なく制作された作品群」というのがなんだか恐ろしいですね。
死後に残されたのが、「おびただしい作品群」ではなく、日本でよくあるように「大金」であれば、これほど考えさせられることはなかったのですが……
機会があれば、この映画
「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」(2004年)
監督 ジェシカ・ユー
音楽 ジェフ・ピエール
ナレーション ラリー・パイン
ダコタ・ファニング
をご覧になってください。
現在も、多くの研究者が、彼を研究し続けています。