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アーサー.C.クラーク死す

 死因は(おそらくは加齢性の)心不全だった。

 もっとも、彼の名前も死因も、さきの広川太一郎の訃報同様、興味の無い人には、どうでもよいことだろう。

 しかし、

『宇宙への序曲』 Prelude to Space (1951年)
『火星の砂』 Sands of Mars
『幼年期の終り』 Childhood's End (1953年)
『銀河帝国の崩壊』 Against the Fall of Night (1953年)
『海底牧場』 The Deep Range
『渇きの海』 A Fall of Moondust (1961年)
『イルカの島』 Dolphin Island
『地球帝国』 Imperial Earth (1975年)
『楽園の泉』 The Fountains of Paradise
『遥かなる地球の歌』 The Songs of Distant Earth
『神の鉄槌』 The Hammer of God
『『2001年宇宙の旅』 2001: A Space Odyssey (1968年)
『2010年宇宙の旅』 2010: Odyssey Two
『2061年宇宙の旅』 2061: Odyssey Three
『3001年終局への旅』 3001: The Final Odyssey
『宇宙のランデヴー』 Rendezvous with Rama (1973年)
『宇宙のランデヴー 2』 Rama II
『宇宙のランデヴー 3』 The Garden of Rama
『宇宙のランデヴー 4』 Rama Revealed
といった長編や(本当はもっとたくさんあるが、自分が読んで気に入ったものを記載)、

『前哨』 Expedition to Earth
『明日にとどく』 Reach for Tomorrow
『白鹿亭綺譚』 Tales from the White Hart
『天の向こう側』 The Other Side of the Sky
『10の世界の物語』 Tales of Ten Worlds
『太陽からの風』 The Wind from the Sun
『太陽系オデッセイ』 (自選短篇集) The Sentinel
といった短編で、SFの薫陶を受けた者には、特別な出来事なのだ。

「幼年期の終わり」では長いスパンでみた人類という種の進化を、「神の鉄槌」では、大量の化石資源を消費しつつ信じられない量の二酸化炭素を発生させながら、後部から汚い炎を吹き出して飛んでいく、現在の下品なロケットなるものに終止符を打ち、優雅に地上からエレベーターで大気圏を越え、宇宙で船に乗り換える、いわゆる『軌道エレベーター』(もちろんこれは、現実のシステムとして、将来実現可能なものだ)を描いて見せた。

 短編でも、特に初期の「時間がいっぱい」は、個人的に大好きな「大当たりの年」同様、人類終末ものの佳作だ。

 福島正美が絶賛した「太陽系最後の日」も、一見、人類終末もの、と思わせておいて、人類という種の持つエネルギー、ポテンシャルの高さを高らかに詠いあげた、読後感さわやかな作品だ。

 また、彼を語る時にかならず引き合いに出される、若き軍人時代に作成した「地球の周りに静止衛星を3つ浮かべたら、地上のあらゆる場所に電波を送ることができる」レポートや、晩年移り住んだスリランカで、世界の情報をいち早く手に入れるために、山の上に巨大な衛星アンテナを設置した話は有名だった。

 残念ではあるが、90才の寿命といえばヒトとしては長い部類に入るだろう。

 晩年、というか、死の直前まで「生きている間に宇宙人のいるという確かな痕跡を見たかった」と語っていたというのも彼らしい。

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