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神の雫=(エイトマン+やきたてジャぱん)*ゼロ

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 実写でテレビ放映が始まり、使用するワインの銘柄などで物議(ぶつぎ)をかもしている「神の雫」ですが、わたしにとって「神の雫」は……

 絵柄は平成風に洗練された「桑田次郎」ですし(もちろん、そこへ流れる画風の系譜はあるでしょうが)、食べ物を口にした瞬間の「リアクション」は「焼きたてジャぱん」の流れをくんでいます。

 そして、コミックを読んだ読者(モーニング連載ですからもちろん男)が必死に覚えて、カノジョに披露できる蘊蓄(ウンチク)の多さは、「レモンハート」というより「ゼロ」あるいは「ギャラリー・フェイク」といった感じですね。

 それらを簡単に数式化すると、上記タイトルになります。

 主人公が、ほぼ女性に興味を示さない(通常の男目線という意味で)のも、「やきたてジャぱん」と共通ですね。

 しかしながら、ただ酒を題材にした「ウンチクマンガ」に妥協せず、血を分けた兄弟(おそらく)に残す遺産、ワインコレクションなどといった表層的なモノではなく、偉大な父親の最後の教育としての「使徒」ワインの探求という形に持って行ったのはすばらしい着想だと思います。

 ただ、心配なのは「やきたてジャぱん」のように、食べ物(この場合はワインですが)を口にした時のリアクションが、使徒ナンバーがあがるにつれて、どんどんインフレ化していき、ついには物語を破綻させるのではないかということです。

 コミックにして19巻ほどの経緯をみれば、おそらく、そのような先人の轍(てつ)を踏むことはないとは思いますが、くれぐれも、この先登場する、さらにグレイトなワインへのリアクション、というかインスパイア(起想)されるビジョン(イメージ)を、いたずらに大げさなものとせず、あくまでその前後で描かれる「人間模様」に添える華として描いて欲しいものだと思います。

 今までのところ、そういった手法が功を奏していますから。

 つまり、わたしはこの作品が好きなのですよ。

 個人的に、「ワインこそ至高、ワインこそすべて」と断言できる主人公(のひとり)は、ひとつのものに没頭できない世知辛く塩辛い人生を生きねばならないわれわれ、いやわたしのような凡夫からすれば、幸せであり、また同時に不幸であるような気がします。

 親によって道をつけられたゴルファー、野球選手、体操選手、投資家(なんたらファンドね)、音楽家たちが、その道の途上で挫折した時、あるいは年老いてから来し方行く先を思って「俺は自分の人生を生きた」と思えるのだろうか……なんて、わたしはお節介にもつい心配してしまいますから。

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