その昔、わたしは、小説を紙の原稿用紙に書いていました。
その後、ワープロを少し使い、パソコンのかな漢字変換がツカえるレベルになるとすぐに、パソコンのエディタで文章を打つようになったので、それからは文章をキーで打ち、ディスプレイで確認するようになっています。
あ、いま、CRTと打ってから、ディスプレイに打ち直しました。
この間まで、ノートパソコン以外はCRTを使っていたのですが、先日21インチワイド液晶に代えたからです。
これで、ウチにあるディスプレイでCRTであるのは、地上波とスカイパーフェクTV録画用に起ちあげている二台のコンピュータに、切り替器を介してつながれた17インチだけになりました。
理工系の人間、あるいは古くからパソコンに携わっている人なら、ディスプレイと呼ばずに、より正確にCRTと呼ぶことが多いはずです。
CRT(カソード・レイ・チューブ)陰極官、いわゆるブラウン管というヤツです。
家庭の最新の電子機器群にあって、唯一(といっていい)残っていた真空管がCRTだったのですが、これも、液晶(とプラズマ)ディスプレイによって、駆逐されようとしています。
液晶になって、画面のチラつきがなくなり、文字なども随分読みやすくなりました。
しかし、いまだに、わたしは、最終的な原稿チェックなど、紙に印刷して行うことがあります。
なんだか、詳細で美しい液晶より、紙の方が読みやすいんですね。
気のせいだろうか?
いや、気のせいじゃないんです、という実験を、東海大学工学部の面谷信(おもたにまこと)教授が実験で証明しました。
方法は、誤字脱字を混ぜた新聞コラムを読ませて、制限時間を設けずに間違いを指摘させる、というものです。
この場合、ディスプレイよりも紙の方が16パーセント正答率が高かったようです。
原因とされるのは、間違い探しにかけている時間の差だそうです。
紙 =平均8分13秒
ディスプレイ=平均7分38秒
時間をかけた方が間違いに気づく、ということです。
ディスプレイの時間が短いのは、紙と違って、読み飛ばしてしまう傾向があるからだそうです。
読み飛ばす主な理由として、面谷教授は「視線の固定化」を挙げています。
紙と違って、ディスプレイは、持ち替えたり、ずらしたりできないため、目の筋肉にずっと同じ緊張を強いることになる、それを嫌って、無意識のうちに浅く速い読みになってしまうというのです。
同教授は、他の実験で、「手のひらサイズのデイスプレイ」なら視線が固定化されずに、紙と同様に読むことができることを示して、「読みづらさの原因を取り除けば、紙とディスプレイに差はなくなる」と結論づけていますが、どうでしょうか?
わたしは、バックライト他で、自ら発光している表示メディア(液晶やプラズマ)は、反射光だけで読む紙と目に与える疲労感が違うと思うのです。
皆さんもそう思われませんか?
今回は、コンピュータで「読む」ことについて書きました。
近いうちに、コンピュータで「書く」つまりキーボードを打つことで受ける、文章への影響について書きたいと思っています。
このことについては、前に一度書いたことがあるのですが、文章を「ペンを押しあるいは引っ張って書く」リズムと、「キーボードを叩いて書く」リズムは大きく違うと思うのです。
そういった、文章を記す作業からの「肉体的フィードバック」が、文章に影響を与えないわけはないと思いますので(タイプ・ライティングが主流のオウベイでは、随分前からその影響は取りざたされていたはずです)。