少し前になりますが、今月16日(2009.0516)に切り絵作家、滝平二郎氏が亡くなりました。
氏の作品では、なんといっても児童文学作家の故斉藤隆介氏との共作「ベロ出しチョンマ」と「モチモチの木」が有名です。
特に「モチモチの木」は、大好きな作品で、わたしが「100万回生きたねこ」と並んで三冊だけもっている絵本の一冊でもあります。
しかし、わたしが、この作品を最初に読んだのは、大人になって随分たってからのことでした。
小学生の時に、すでに学校推薦図書として、廊下にポスターなどが貼られていたのですが、暗い絵柄となんだか分からないタイトルに、読む気がおこらなかったためです。
大人になってから読んで、すぐにトリコになりました。
おそらく皆さんご存じでしょうが、一応紹介しておきます。
峠の猟師小屋で、じさまとふたりぐらしの気弱な少年豆太。
小屋の前に立っているデッカイ木は、秋になると餅の材料になる実を降らしてくれるから豆太は「モチモチの木」と名付けている。
昼間はなんてことのない木だが、夜になると、空いっぱいに広げた枝が、お化けの手に見えて、豆太は、ひとりでションベンにもいけない。
だから、寝ているじさまを起こして、いっしょに外に行ってもらうのだ。
ある夜、じさまはいった。
「シモ月二十日のウシミツにゃア、モチモチの木に火がともる」
勇気のある子供だけがそれを見ることができると聞いて、豆太は自分じゃ無理だとつぶやいて、はじめっからあきらめると、ふとんに潜り込んで、じさまのタバコくさいむねン中にハナをおしつけて、宵の口から寝てしまった……が。
夜中に具合の悪くなったじさまを助けるために、豆太は夜の山道へ飛び出す。
季節は冬。
霜が足にかみついて血が出た。
いたくて、さむくて、こわかったけれど、少年は走り続けた。
大好きなじさまの死んじまうほうが、もっと、こわかったから……
この表紙の画を見てください。↓
モチモチの木 |
1,400円 |
今の世なら、
「じさま、カレーシュウすっからどっかいけ!」
といわれるのでしょが、昔の、寄る辺ない少年にとって、ただひとり頼りのじさまは、そのたばこ臭い体臭すら安心のもとなのだと、まさしくそれがわかる画です。
そして、夜のモチモチの木の恐ろしさ↓
両親が共働きであったため、小学校低学年の頃のわたしは、いつも祖母と一緒でした。
いわゆる「おばあちゃん子」になるのかも知れませんが、わたしの祖母は、大人にして大人にあらず、花札やすり鉢転がし(巨大なすり鉢の上からコインを転がして下になったコインを取る遊技)といったゲームで、孫と本気でケンカするような人だったので、どちらかというと、ずっと年の離れた姉のような存在でした。
そして、彼女は常にひとりではなかった。
昼過ぎに学校から帰ってくると、わたしの家は、さながらサロンと化して、常時4~5人の老人たちが、男も女もタバコの煙を噴き上げつつ(キセル煙草を吸っている人もいたなぁ)、花札などの遊興に興じていました。
それがすごく楽しかった。ありていにいって、わたしは彼らが好きだったのです。
今と違って?ヒネた子供だったわたしは、彼らが言葉の端々で語る経験談が大好きでした。
明治生まれの老人たちが語る話には、勝った戦争あり負けたイクサあり、華やかな大正時代の記憶あり、夫を息子を失った悲しみもありました。
その頃のわたしは、生意気にも、彼らこそが自分の知らないスゴい経験と記憶をパッケージされた生きたカプセルなのだと考えていたのです。
その考えは今も変わっていません。
わたしが、どうも今の老人たちに深みがたりないように思え、それほど好きでないのは、自分同様戦争を知らず、戦争といえば受験戦争だけで過度の権利意識をふりかざす同類ゆえの近親憎悪なのかも知れません。
つまり、こどもの頃のわたしは老人が好きだった。
気に入らなかったのは、老人たちが、わたしが大きくなるにつれて、ひとり、ふたりと家に現れなくなったかと思うと、すぐにあの世へ行ってしまうことでした。
内容と経験のいっぱいつまった老人たちの余命は短かかった。
だからこそ、モチモチの木で描かれる、壮年ではない、老人による子供への愛と子供の思慕、そして、「それを失う恐怖による勇気」が分かるような気がするのかもしれません。
実際に、滝平氏の描く「モチモチの木」がどんな画であったのかは、絵本「モチモチの木」の後書きに作者斉藤氏が添えている文章が言い尽くしていると思いますので、ここで引用させていただきます。
格調高く、描写は的確で、情熱は沈潜し、しかもそれだからこそなつかしい無限の抒情がうたわれている。
ガシーンと、太い柱を惜しげもなく使った昔の家のようだ。柱々は代々の暮しに磨きぬかれて黒光りしている。その家に天から雪が降る。雪にはみなかげがあって、ボウとふしぎな光りににじんでいる。
この『モチモチの木』は、そういう絵本だ。