オークションで、かねてよりの懸案事項であった「かめくん入手」を果たすことができた。しかも、二冊も。
前の持ち主が間違って重複入手してしまったため、他の本と同時に出品したということだったが、少々合点がいかない。
別々に出せば、より多くの人が「かめくん」を楽しむことができるのに、よほど北野勇作を嫌っているのか?
あるいは、二度買いしてしまったことで、八つ当たりに嫌いになってしまったのか。
それはさておき「かめくん」
著者、北野勇作に関しては、世間に数多存在するホラー作家のひとり、という認識しかなかった。
理由は、角川ホラー文庫にその名前を見たからだが、斜め読みした感触からいっても不条理系ホラー作家という感じだった。
しかし、友人にかめくんを紹介され、借りて読んでみると……
うららかで、ぼんやりしていて、純情で、とぼけていて、そしてひどく悲しい話だった。
一度読み、二度読み、三度読み、そして自分のものとして手元に置きたいと思うようになった。
つまり、イカれてしまったのだな。
著者の北野勇作は、92年に第四回ファンタジーノベル大賞受賞「昔、火星のあった場所」でデビュウした。
そして、今回のかめくん。
帯に記載された惹句によると、近未来の関西を舞台にした『空想科学超日常小説』だ。
かめくんは、イラストにあるような亀から作られたサイボーグだ。
そのトボけたスタイルに似合わず、正体は木星付近の宇宙空間で人類が生み出したザリガニ生物と闘うカメ型ヒューマノイド「レプリカメ」で、戦闘のプロフェッショナルなのだ。
戦争は永遠には続かない。
戦闘が一段落した結果、余剰戦力として、その能力、記憶を封印されたまま、大阪の街に放出されたレプリカメたちは、各自が自分で生活を始める。
小説世界において、レプリカメの存在は、しごく普通に認知されているらしく、かめくんも、一般人のように、生活のためにクラゲ荘という木造二階建てのアパートに住みアルバイトをして生計をたてる。
不動産屋に紹介されてアパートに来たかめくんを見て、管理人のお婆さんは、「なんだカメかい」とぼそりと呟く。
このあたり、老人がガイジン(これ、差別語らしいなぁ)相手にとる態度に似通ったものを感じる。(めずらしくもないし、特に危ないとも思わないが、ちょっと躊躇するってやつ)
が、この婆さんは、特に警戒も拒否することもなく入居を許可するのだった。
このあたりの感覚がおもしろい。
レプリカメは、戦闘用サイボーグなのだ。言ってみれば全身凶器(梶原一騎じゃないけど)。
いくら、武器システムがソフト的に封印されているといっても、疑似自我を持つがゆえに、夢などを見て武器が暴発するとも限らない。
それに、今は記憶を封印され、のほほんボーのかめくんも、かつては残酷非常な戦闘に身を置き多くの仲間のレプリカメの死を目にした歴戦の兵士なのだ。
時折、アルバイト先で、仕事中にその凶暴さの片鱗を垣間見せることがある。
そんな危険な生き物が、すぐ近くに野放しにされていても平気なのが、北野勇作が描く関西だ。
ものに動じない。
あるいはそれは、兵庫県出身の著者が大阪に対して感じる、カオス感が原因かもしれない。
ごく普通の日常生活を過ごしながら、勤め先で、行きつけの図書館で、かめくんは人間(かめ)?関係を築いていく。
クローン亀をベースにしているかめくんは、食事もとる。
かめくんは、安くて量の多い「パンの耳」をよく買う。
そして、
『風の強い土手を歩きながら、ときどき紙袋に手を突っ込んで、パンの耳をはぐはぐ食べる(原文ママ)』
のだ。
わたしが一番好きなシーンは、かめくんが、野良猫に餌をやり、一緒に生活を始めるところだ。
にくきゅう、とワープロに打ち込み、イッパツで「肉球」と変換されることに喜びを感じるかめくん。
その行為に、徐々に人らしく自己プログラムされていく、かめくんのAIが見え隠れする。
かめくんに布団はいらない。レプリカメだから風邪もひかない。でも、かめくんは、布団にもぐり込むという感覚が好きで布団を頭から被って寝る。
テレビの上でそれを見ていた猫は、すぐに布団に入ってくる。
『そして、甲羅の中に潜り込もうと試みているかのように、首のあたりにぎゅうぎゅうと押しつけてくる。隙間無くぴたりと体をつけてくる。そしてぶうぶうごろごろ音を出すのだ。(原文ママ)』
が、発情期になると、猫はあっさりとかめくんを見限って出て行ってしまう。
かめくんは猫を追わない。
愛する者を追う、という我執がプログラムされていないのだ。
そうして、ほんの束の間、にぎやかだったかめくんのアパートの一室は、またさびしく殺風景な部屋に戻ってしまうのだった。
このような、現在とほとんど変わらぬ日常に、非日常のレプリカメが暮らすというギャップを描いているのが小説「かめくん」なのだ。
だが、著者の略歴が示す甲南大学物理学部応用物理学科卒の学士の称号あやまたず、「かめくん」は、ドラエモン的な単なるノホホン・ストーリーではない。
レプリカメの甲羅は、薄いシリコンの層とセラミックの層が、何重にも積み重なって出来ている。そのふたつの層は、結晶のように年々成長し、それが、そのままメモリー増加となる。
つまり、年輪のごとく年を経るごとにメモリーが増えていくのだ。
さらに、読書が好きなかめくんが、図書館で知り合った司法書士の女性の実験につきあって、甲羅メモリーの解析を続けるうち、ロックされていた記憶が解放され、かめくんの自我は危険なほど拡大し続ける。
かけられていた、メモリー・プロテクトも外れ始める。
「かめくん」は、その見かけの柔らかさにもよらず、ハードSFなのだ。
そして終章。
再び戦闘に、おそらく戻らぬ最後の闘いに赴くことになったかめくんは、大阪の街で得た記憶を残すために貰い物のワープロをたたき始める。
かたかた、かた、かたかたかた、かたかた。
何かに自分の経験、自分のこと、存在を残しておきたいと考えるのは自我の現れだ。
制作者たち(亀のメーカーで、カメーカーと呼ばれる)は、市井で日常生活させるために、仮に付与していたレプリカメの自我を消去して、かめくんを戦闘マシンにセットアップするだろう。
そのことを、うすうす感じたかめくんは、文句をいうでもなく、ただ淡々と、思ったこと、感じたこと、経験したことを、亀の甲羅に似たデザインのワープロに詰め込んでいくのだった。
読後、ラスト10行を書くために、北野勇作はこの長い話を書いていたのではないか、と思った。
ぷつり、と切られた感じの文章は、多分にヘミングウェイ的で「武器よさらば」や「心が二つある大きな川」を彷彿させるが、その分、途中の、ややもっちゃりした擬音語多用の表現との対比が印象に残る。
かめくんは2001年度ベストSFに選ばれた。