いま、スカパー:シネフィル・イマジカで、「さらば友よ」(1968France)を放映しています。
「冒険者たち」同様、子供の頃、深夜映画で観て、強烈な印象を受けたフランス映画です……って、あれ、英語をしゃべってますね。
タイトルも「ADIEU L'AMI」じゃなくて、「FARAEWLL FRIEND」になってる。
ああそうか、たまにある、フランス映画の英語吹き替え版、なのだな。
声を聴くと確かに本人の声ですね。
ブロンソンはフランス語が話せるし、アラン・ドロンも英語が話せるから問題ないのでしょう。
これまでに何度か観たものは、すべてフランス語だったので、ちょっと違和感がありますが、言葉が分かるのはいい。
子供の頃は、なんだか分からないガイコクゴを話していた二人が、分かる言葉で話すのを観るのは、なんだか不思議ですが、その分、映画のミステリアスな(「さらば友よ」のどこがミステリアスというムキもおありでしょうが)部分がなくなってしまったような、一抹の寂しさがあります。
「ピアニストを撃て」や「勝手にしやがれ」には、それがあるのですが、って、それはおまえがフランス語をわからないだけジャン!
あらすじ、その他はここらへんでどうぞ↓。
記憶では、男臭いだけの「咳してもガイ二人」というカンジの印象があるのですが、前半の、ブロンソンがプロデュースするパペット・ヌードショウ(金髪美人を人形に見立ててストリップ・ティーズさせるやつ)や、医師ドロンが行う健康診断で、女性たちがトップレスっぽくなるシーンなど、結構オンナくさい(って、つかっちゃダメなのかな)映画だったんですね。
登場する喫茶店などが、70年代を先取りしたような、プラスティック製品多用オレンジ一色センスで、懐かしさに、なぜか切なくなってしまいますが、それより、ドロン演じる医師が、ビルの窓から眺めるフランスの街並みの方が、胸を締め付けます。
なんでもない、ビルの並ぶ都会の風景なんですが、なぜでしょうか。
この映画の10年前に撮られた「死刑台のエレベーター(1958)」にも、同様な景色が出てくるのですが、それほど感慨は感じないのです(モノクロ映像だからかも知れませんが)。
あるいは、60年代フランスの都会の街並みは、70年代日本の先取りでもあるからでしょうか。
そういえば、「地下室のメロディ(1963)」の冒頭シーン、例の印象的なメロディに乗って、ムショから出所したジャン・ギャバンが歩くパリの街並みは、無機質なビルが闇雲に建設されつつある、まるで大阪万博前後の日本の建設ラッシュのようでありました。
youtubeで見つけましたが、なんと、着色されてる!
ちょっと、印象が変わるなぁ。↓
もうすぐ、映画が終わります。
いずれにせよ、色調の美しい、印象深い名画であるのは確かです。
願わくば、「死刑台の~」のように、時代を現代に移した、デキの悪い日本製のレプリカが作られませんように。
蛇足ながら付け加えると、子供の頃、ラストの、ドロンの表情の意味がわかりませんでした↓。
今や、あれを「スタイリッシュな演出」として、持ち上げるのが当然ということになっているようですが、わたしは、その前の「タバコの火付け」の方が好きなのです。
ドロンの叫ぶ、「弾は残っていないんだ!」は、「理由なき反抗」におけるジェームス・ディーンのラストのセリフ、「弾は抜いたのに!」とオーバーラップしますね。
どちらも国家権力によって、犯人は射殺されてしまう……
さあ、映画が終わりました。
おう、オヤジ、酒とカップとコインで賭をしないか!?