始めは、「あまり怖くねーなー パラノーマル・アクティビティ」というタイトルで書こうと思っていたのですが、どうも悪口になってしまいそうなので、というか、もうタイトルで褒めてないのは丸わかりなのですが、それは次にまわすとして、今回は「スターウォーズ・クローンウォーズ」について書くことにします。
この作品については、以前、本ブログで書いたことがあります。
現在、シーズン2がNHKハイビジョンで放送されているところです。
実写映画版のキャラクタをもとに極端にデフォルメされたCGには好悪が別れるところだと思いますが、絵柄を気にせずに観ると、これがなかなか良い作品なのです。
実を申せば、わたしはスターウォーズ・シリーズが好きではありませんでした。
最初の三部作(いわゆるエピソード4-6)は、映画館で観るどころか、つい最近まで内容は知っていても、どれひとつとして最後まで通して観たことなどありませんでした。
エピソード1(ファントム・メナス)は、CGの出来が知りたくて、レンタルして観たのですが、あのジャージャーとかいう馬みたいな顔をしたイキモノがクド過ぎて、すっかり辟易(へきえき)してしまいましたしね。
そのあと、これもデフォルメされまくった、五分だった十分だったかのショートアニメ版スターウォーズ(タイトルはたしか「クローン大戦」)を、どこかで放送していたのを見かけたのですが、駄作でした。
しかし、今回のCG版クローンウオーズは違います。
なんといっても、後のダース・ベーダー、アナキン・スカイウォーカーの言動が良い。
彼と彼の師であるオビ=ワン・ケノービの洒脱(しゃだつ)な関係も……
おかげで、今さらながら映画「エピソード2,3」を続けて観てしまいました。
そして、物語の結末を観て、ふたりが命をかけた殺し合いをすることを知ってしまっただけに、クローン大戦における絶大な信頼関係、丁々発止のやりとりが、なおさら見ていて楽しく悲しくなってしまいました。
ケノービとアナキンの師弟関係が、そのままアナキンと彼の弟子=女性パダ・ワンのアソータ・カノとの関係にオーバーラップされるという演出もニクい限りです。
主人公アナキン・スカイウォーカーは、オビワンには兄弟子(同時に師匠)として尊敬と信頼、そして彼に認めてもらいたい故(そして多分に持って生まれた性格から)の無謀さを示しながら、同時に自分のパダ・ワン(弟子)であるアソータには、大いなる愛情と信頼と大らかさを持って接しているのです。
アナキンが勇敢であればあるほど、共和国に誠実であればあるほど、そして自分の師匠と弟子に愛情の無垢さを示すほど、観ているのが辛くなる。
有り体にいえば、映画のアナキンは役者の個性もあって、それほど魅力的ではありませんでした。
いや、今は、演出が悪かった、といっておきましょう。
しかし、クローンウォーズは違います。
「これほど勇敢で立派で高潔な英雄が、なぜ?」
と思わせるエピソードがテンコモリなんですね。
このCGシリーズには、もうひとり(もう一種類?)主人公がいます。
タイトルにあるクローンたちです。
だいたいね、おかしいと思うでしょう?
古い時代のエピソード1-3では、最新型のロボットが、どんどん兵士として登場しているのに、時代の下ったエピソード4-6では、出てくるロボットは、どう見てもキグルミのC3POとドラム缶型のR2D2だけ、白い鎧を着た人間兵士たちが主戦力として出てくるんですから。
そりゃ、映画の制作された時代を考えれば当たり前なんですが、「世界観としてはおかしい。整合つけろ!」と思っていたら、見事に整合させてしまったんですね。
あの白いヨロイを着ていた兵士たちは、全部同じ顔をしたクローン兵だったんですから。
やられたなぁ。
エピソード1-3そしてクローンウォーズで描かれるロボットは、そのほとんどが、歯に衣着せず言えば「低脳」です。
バカばっかり。
返事も「ラジャラジャ」ですしね。
聴いていてカンに触る。
それに反して、高名なバウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)の遺伝子から作られたクローン兵士たちは、全員が知的で勇敢です(そして同じ体格と同じ顔をしている!)。
スターウォーズをご存じの方なら周知のごとく、勇敢で誠実な彼らも、最後は生み出された時から仕込まれていた「コントロール暗示」によって、共和国とジェダイ・ナイツを裏切り、帝国の兵士になってしまいます。
そのため、アナキンと同じく、彼らの活躍は観ていて悲しくなる。
しかし、CGクローンウォーズでは、まだ彼らは裏切っていません。
誠実で勇敢、皆が同じクローンであることを誇りに思いながらも、個性を出すために、髪を金髪に染め、入れ墨をし、話し方を変える。
これまでに、何度となく「無目的に戦う空しさ」を指摘するエピソードが積み重ねられ、彼らだけでなく、観ているわたしたちでさえ、クローンたちを無理矢理戦わせている共和国が悪いんじゃないの、と思えるようになりました(まあ、もともとクローン兵を作ったのは、ジェダイの敵、シスだったわけですが)。
時に、自らの「戦うためだけに生まれた命」を疑問に思って軍を脱走し、辺境惑星で家庭を持つクローンも出てきます。
あるいは、帝国に通じる者も。
こういった、細かいクローン兵士についてのエピソードを、織物でも織るように重厚に積み重ねながら、全100話を目指してシリーズは進んでいます。
ああ、今、気づきました。
スターウォーズとは、誠実で勇敢、高潔であった一人のジェダイと数万(数十万?)のクローン兵たちが、心ならずも「変節」してしまう哀しさを描いた物語だったのですね。
もっとも、クローンウォーズでは、まだアナキンもクローン兵たちも、素晴らしいサムライ=ジェダイであり、誠実な兵士として描かれています。
というより、後の悲劇を盛り上げるために、ことさら彼らの素晴らしい人格を描いているのが「クローンウォーズ」なのでしょう。
手法としては、少々「あざとさ」を感じますが、それを忘れてストーリーだけを観れば、本当に、高潔な人々の戦いを、すっきりと楽しめる良いシリーズだと思います。
機会があれば、デフォルメされた画を気にせずにご覧ください。
「高潔なジェダイと兵士たちは、最後にどうなるの?」
「変節し、裏切ってしまうんだ」
「じゃ、ぼくたちは」
「なに?」
「変わってしまう?」
「それはわからない」
「では、ぼくたち、最後はどうなるの?」
「それなら分かる」
「どうなるの?」
「みんな死ぬ」
「なんだ。結末だけは、わかってるんだ」