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見えない傷 ~TBI~

前回、モーターバイクのタンデムについて書きました。

 基本的に、わたしはタンデム乗車に反対だと。

 そのことについて、もう少し詳しく書きたいと思っています。

 ヒトの体は弱い。

 少し関節の可動域(かどういき)を超えて膝や肘が曲がると、靱帯を損傷するか、骨が折れる。

 内臓に圧迫を加えれば、容易に臓器は破裂する。

 その上、ヒトのテッペンには脳が鎮座している。

 これがまた弱い。

 ちょっと悪口を言われただけでウツ状態に……という問題ではなくて、外的衝撃に弱いのです。

 わたしの父は、合計して10年以上、入院しましたが、その間、病院内でいろいろな人と知り合いました。

 中でも一番印象に残っているのは、舌に腫瘍のできた男性です。

 彼自身は、とくに重傷ではなく、すぐに退院したのですが、息子がいました。

 年齢は、三十半ばでしょうか。

 毎日のように、父親を見舞いに来ました。

 四人部屋の病室に立つと、部屋が暗くなるような、圧迫感を感じるような巨体を、彼はしていました。

 背が高いだけでなく、横幅もある。

 その彼に、夫の付き添いをしている小柄な母親が大量にメモを渡すのです。

 夕方、やらねばならないことを、事細かく書いた紙を受け取って彼は帰っていきます。

 何気なく「用事がたくさんあるんですね」と声をかけたところ、彼女はいいました。

「十五年前にバイクの事故にあってから、記憶が30分もたないんです」

 そう、彼は高次脳機能障害者だったのです。

 頑健な体をしていたため、事故にあっても体は何ともなかったのだそうです。

 しかし、記憶が保たなくなった。

 バイクだけではないでしょうが、スキーなどのように、体をむき出しに無茶をするスポーツでは往々にして脳にダメージを負うことがあります。

 それも、「直接脳に衝撃を受けなくても」、です。

 TBIという言葉をご存じでしょうか?

 近年、USAでクローズアップされているコトバです。

 日本語で「外傷性脳損傷」と訳します。

 なぜ、アメリカで問題になっているかというと、イラクに従軍した兵士の2万人以上がTBIだと診断されているからです。

 ご存じのように、米軍は、イラクに対して誤爆などのヘマを繰り返しました。

 しかし、戦場で、片方だけが一方的に傷つくことなどあり得ません。
 とくに、地上部隊が投入されたあとは。

 たとえば、こんな話があります。

 ジェームズ・マクドナルド(当時26才)は2007年5月、イラク南部でパトロール中、爆弾攻撃を受けた。身長180センチ、体重120キロの防具を着けた体は、爆風で大きくのけぞり、しばらく気を失った。目に見える怪我はなく、検査の結果、重度のTBIだと診断された。
 所属のテキサス州基地に帰還後、まもなく記憶障害や頭痛に悩まされるようになった。
「自分で言ったことを忘れる」「アイスピックで頭を刺されているようだ」
基地の診療所は、痛み止めをくれるだけで、診察は月に1、2度だったという。
 半年後、彼は自室で急死した。

 2004年10月バグダッド郊外で、ケビン・オスリー(47才)は爆弾による爆風を受けた。
 防具を着けた体重は100キロを超えていたが、それでも浮き上がるほどの風圧だった。
 その後、頭痛はしたが「目に見える傷」はなく、医師による診察で「異常なし」と診断された。
 2005年3月、故郷のインディアナ州に戻ると、彼の行動に以上が現れた。
 妻は言う。
 「レストランに行こうと一緒に車に乗っても10分後には『どこに行くんだ』と聞く。ひとりで出かけると道に迷う。言われたことを『聞いていない』と激怒する。記憶力が良くて、穏やかだった夫がまるで別人のようになった」
 近くの米軍病院に行ったが、検査はなく診察だけで「異常なし」と言われた。帰還から五ヶ月後、友人の紹介で、ミネソタ州退役軍人省病院で検査を受け、爆風によるTBIであると診断された。
 初めて聞く病名だったが、戦場の仲間を思いだした。
 同様の症状を訴えていた兵士の中には、充分な検査も受けないまま、「異常なし」と診断され、家族の理解を得られず、離婚し、行方不明になった者も多かった。
 ケビンは言う。
「記憶力が戻らず、役立たずだ。時々死にたくなる」

 なぜ、爆風を受けただけで、こんな症状が起こるのか、まだ確定はされていません。

 しかし、ある仮説は立てられています。

 米ジョンズ・ホプキンズ大のイボラ・セルナック医師は、その原因を突き止めようと、戦闘で負傷し、かつ頭部に損傷がない患者の脳波を調べました。

 爆風に吹き飛ばされた兵士で、脳に異常が見られたのは36パーセントで、銃創による負傷者の場合は12パーセントにとどまっています。

「爆発が脳に見えない損傷を与えているのではないか」

 そう考えたセルナックは、ひとつの仮定にたどり着きました。

『爆風が体を直撃すると、その運動エネルギーが血管を振動させながら、急激に脳に達して脳の神経細胞を破壊する』のではないのか?

 重い防護服が結果的に、症状を悪化させている可能性もあるようです。

 この見解に対し、陸軍外科医のジョン・ホルコーム大佐は、「爆風の衝撃波は瞬間的で、影響は限定される」と否定的です。

 しかし、現実的に、直接の打撃をうけていない兵士たちが、脳障害を負っているのです。

 平和ニッポンで暮らすわたしたちが、強烈な爆風を受けることは、ほとんどないでしょう。

 それでも、違う形で、体に受けた衝撃が、体液を伝って脳を破壊することは充分考えられます。

 モーターバイクで転倒した際に、何かに激突し、体の広い範囲でショックを受けると、TBIになる可能性がある。

 とくに、ニーグリップ(膝でバイクのタンクを締め付けること)ができないタンデム者は、容易にバイクから放り出されます。

 バイクにしがみついていれば、まずバイクを何かに当てて衝撃を吸収することも可能なのです。

 同じ理由で、わたしはスクーターも、あまり好きではありません。

 あれは、バイクの上に「乗っているだけ」だからです。

 とても、咄嗟(とっさ)の時に、適切にマシンをコントロールできるとは思えない。

 だからこそ、大型スクーターの普及、および高速道路における二人乗りの認可にわたしは反対なのです。

バイクで脳若返り ~内容OK、きっかけNG~

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 9日付けの新聞に「バイクで脳若返り」といった記事がありました。

 これは聞き捨てなりません。

 わたしは、真冬でも週に何回かはかならずモーターバイクに乗って出かけているからです。

 記事によると、ヤマハ発動機が「あの」川島教授と組んで、昨年五月からオートバイと脳活性化の関係についての共同研究を行った結果、「バイク乗車が脳の若返りを促す」ことがわかったのだということです。

 この研究を受けて、ヤマハは、中高年の取り込みを推進し、低迷するバイク市場の活性化を促したいとしている……そうな。

 バイクで脳活性化、ありそうな感じはしますね。どちらかというと自転車の方が、脳と体に良いような気がしますが。

 しかし、「中高年の取り込み」って……もう充分、あのなんだかわからない(いや、ライディングの楽しみが少ない、という意味です)、ノークラッチ、ノーギアシフトの原付の大くなったようなスクーター型バイクで、金持ちのリピート・ライダーを取り込んでいるような気がするんですがねぇ。

 大型スクーターの広告をごらんになった事がありますか?

 最近はどうかはわかりませんが、かつては、雑誌でもテレビ放映でも、すべてコンセプトは「彼女をタンデムシートに乗せて連れて行く大人のバイク」でした。

 ちょっと値段が高い上に、スポーツタイプではないだけに、対象が「中高年向け」になる大型スクーターです。

 本当なら、「彼女」じゃなくて、「奥さん」を連れて行くべきでしょう?あるいは娘か?

 しかし、それではどうも画的に良くないと考えたのか、後ろに乗せたり、スクーターを駐めて、その横でヘルメットをもって笑っているのは、すべて、どうみても二十代の若い女性なんですよね。

 これって浮気じゃねぇの!とまでは思いませんでしたが、なんだか、男の哀しい願望を広告業界によってエグられてしまったような気になりましたよ。

 SUZUKIだけだったかな?奥さんらしき年頃の女性を乗せていたのは。

 やっぱり、男って女性をタンデムシートに乗せて走りたいんだなぁ。

 って、もちろん、わたしも女性を乗せて走ったことはあります。

 でも、今は乗せない。

 背中にあたる胸の感触を感じながら走るのは、男なら誰でも喜ばしいことでしょう(あーうー、ただでさえ、少ない女性読者がさらに減るだろうな)。

 でも、それ以上に、人を後ろに乗せて走ることは、わたしには恐ろしいのです。

 車とは違って、バイクは、レールと安全装置のないジェット・コースターのようなモノです。

 ちょっとした事故でも簡単に人は死んでしまう。ネコが飛び出して来たって、事故れば大けがです。

 そりゃあ、自分が死ぬのは仕方がないと思っています。

 個人的には、バイクに乗るのも、山に登るのも、あるいは電車で出かける時でさえも、生きて還ってこられたのは運が良かっただけだ、と考えているからです。

 若い頃は、バイクを駐めてスタンドを立てた時に、よく足が震えていました。

 今日も生きてバイクを駐めることが出来た、と。
 

 いえいえ、最近は、もっぱら安全運転で、スピードも制限を守り、無理な割り込みもしませんよ。

 特に、数年前に、スポーツタイプからオフロードタイプにバイクを替えてからは、乗りやすさと相まって、本当に安全運転になりました。

 極端な前傾姿勢をとらず、ステップ位置がバックステップでないだけでも、かなり安全です。

 それでも、あまり人は後ろに乗せたくはないですね。

 自分で事故を起こして怪我をしても、まあ自己責任でしょう。

 しかし、後ろに人を乗せていたらそうはいかない。

 事故時、タンデムシートの死亡率はライダー席の数倍です。

 だから、高速の二人乗り走行が認められた時は目を疑いました。

 メーカーもタンデム・ライドを推さずに、もっと女性ライダーを増やして、二台のバイクでツーリングをするように勧めるべきだと思いますね。

 話がそれました。

 どうして、ライディングと脳との関係を調べようと思ったか、と尋ねられて、関係者が答えています。

 かねがね、ヤマハ内に「オートバイライダーは若く見える」という意見があったので、因果関係を調べたのだそうです。

 え、ちょっと待ってくださいよ。

 「若く見える」のと、脳が若いというのは、関係あるのでしょうか?

 よく、脳が若いと見た目も若い、という、因果関係のないデキゴトをさも当たり前のように表現する風潮がありますが、あれは納得できません。

 脳が若いと、顔のヒフも若いのでしょうか?

 あるいは、脳が年をとると、あの老婦人がよく着る、藤色系の毛糸のカーディガンなどを着るようになるのでしょうか?

 違うんじゃないかなぁ。

 高齢の人々が、ちょっとこちらが引いてしまうくらい若いスタイルをしている時がありますが、彼らは、脳が若いのでしょうか?

 ファッションセンスと脳年齢は別じゃないかなぁ。

 きっかけはともかく、ヤマハが川島教授と組んで研究を行ったところ、日常的にバイクに乗る人は、運転時に言語的な情報処理を行う脳の部位が活発に働き、集中力も高まったそうです。

 さらにバイクを運転すると、記憶力が向上し、精神的ストレスが低減されることも分かったのだそうです。

 まあ、記憶力はともかく、ストレス低減というのは昔から分かってましたよね。

 だって、よく、昔のB級映画やドラマでヤングが言ってたじゃないですか。

「バイクをカッとばすと、胸のモヤモヤがすっとするぜ」

科学、宗教、哲学、これすべて脳の所産 ~奇跡の脳~




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 以前、VISAの月刊誌に連載されていた池谷祐二氏の「ビジネス脳のススメ」でも紹介された脳科学者ジル・ボルト・テイラーの「奇跡の脳」翻訳版が出版された。

 著者のテイラーは、ハーバードの第一線で活躍する脳科学者であった。

 だが、先天的に脳血管に異常があった彼女は、ある日、脳卒中を起こす。

 専門家である彼女は、自分の脳が機能障害を起こしていく課程を分析しながら体験するのだ。

 「四時間という短い間に、自分の心が感覚を通して入ってくるあらゆる刺激を処理する能力を完全に失ってしまうのを見つめていました」

 侵されたのは、左脳の中央部だった。

 ご存じのように、左脳は、言葉や自分を環境から区別し、位置を把握する能力(方向定位連合野)を司っている。

 その機能が働かなくなり、右脳が優位になってくる。

 それはいったいどんな感覚なのだろうか?

 これは、当事者にとっては悲劇であるが、脳科学にとってはまたとない好機であり、その分野に興味を持つものにとっては、すばらしく魅力的な(言葉は悪いが)そして心胆寒からしめる事件だ。

 よく、映画などには、「狂ったAIを停止させる」行為が登場する。

 印象的なのは、やはり2001年宇宙の旅のHALだろう。

 人を殺し始めたメイン・コンピュータを、ひとり生き残ったボウマン船長が、徐々に機能停止させていく。

 基盤を引き出されるたびに、コンピュータの合成音声は奇妙な発声になり、意味は不明瞭になっていく。

 テイラー女史は、この時のHALの感覚に似た経験をしたのではないか。

 作り物でない、現実の悲劇であるとは分かっているものの(その後の彼女の回復を知っているだけに)、興味は尽きない。

 奇跡の回復(8年がかりの)を遂げた彼女は、この著作の中で書いている。

 左脳が機能低下を起こし、右脳が優位になった時、彼女は「ニルヴァーナ」涅槃の境地に達したのだ。

 これは、考えれば充分にあり得る話だ。

 左脳が司る、他者と自分を区別する機能が低下したのだから「自分が溶けて液体となり」、世界と、いや宇宙と一体化してしまったのだ。

 それこそが、まさに悟りの境地。

 赤ん坊は、かつて母の子宮の中で全知全能であり、完全体でありながら、その世界から引き出され母との接続を切られて泣き叫ぶ。

 だが、彼女は、科学者としての知識をひきずった大人として、再び、赤ん坊のように世界と一体化した完全体となってしまったのだ。

 これは、言葉を換えれば、ある状況下で、脳が特殊な状態に陥ることと似ている。

 はっきり言えば、何らかの衝撃で、一時的に死を体験する出来事=臨死体験に似ているのだ。

 私的見解として、わたしは、臨死体験とは、人が死に臨んだ際、脳が機能停止していく課程で、より最後まで活動する野(フィールド)に、こういった宇宙との一体感を感じさせる作用があると考えている。

 モノカキ的にもう一歩踏み込んでいえば、それは、苦しみの多い人生の最後の最後に、宇宙と一体になる至福の感覚を感じさせる、いわば福音に似たものではないだろうか。
 もちろん、それは、人の上に立つ大いなる存在(人によって呼び方は変わるだろう)から与えられたものではなく、ヒトが進化する過程で、偶然あるいは必然的に、手に入れた能力なのだろうが……

 事故(卒中)後、テイラー女史は、右脳を中心とした生活を続けながら、左脳の機能を回復し始める。

 左脳の主な機能は、先に述べた、彼我(ひが)の区別能力であり位置を把握する能力である。

 それはしばしば、無理に理屈をこね上げ、他者を批判し攻撃的になる(面白いことに、米人お得意のディベートがまさしくそれだ)という負の作用を併せ持つ。

 テイラーは、一度、そういった正負併せ持つ左脳の能力を無くした後、負の部分を「自分で避け」ながら、左脳の機能回復、リハビリを行っていくのだ。

 そのためか、「奇跡の脳」の後半は、まるで宗教について書かれた本のようだ。

 わたしは、なぜか月面上から地球をみた宇宙飛行士が宗教家になってしまった話を思い出してしまった。

 翻訳者(竹内薫氏)は、訳も文章もうまく読みやすい。

 脳科学や、脳障害のリハビリ関係者だけでなく、宗教あるいは哲学に興味がある方が読まれても本書は感銘以上のものをもたらすだろう。

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