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勇気あるタイムスリップ ~750ライダー描き下ろし~

 先日、友人が家に遊びに来たおり、気の利いた手みやげをもって来てくれました。

 なにかというと、「週間少年チャンピオン18号」です。

 ただの週間マンガ雑誌じゃないの、というなかれ。

 40周年を迎えた、ここ最近のチャンピオンは、すごいことになっているのです。

 通常の「絞れば汗がしたたる」(でしたか?)といわれた熱い連載陣に加えて、往年(おうねん)の名作が、往時(おうじ)の雰囲気(ふんいき)のままに、新作として描き下ろされているのです。

 「キューティーハニーVSあばしり一家」(永井豪)とか「がきデカ」(山上たつひこ)などが。

 この回は、石井いさみ著「750(ナナハン)ライダー」(1975~85)でした。

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 来るなり友人は、「今とはコマ割りが違う!」といいましたが、実際、当時そのままに、パースもおかしいし、主人公、早川光の乗るマシンがCB750だし、委員長は正しく委員長的性格そのものでした。

 でも、本当にこうやって並べられると、コマ割りが、同じ雑誌内の現在の掲載マンガと全然違うことが、あらためて分かりますね。

 作者の言葉にも、

『「連載当時と同じ絵とムードで描きおろして下さい!!」
「マ、マジ!?」
 当時いつも聴いていたテープをかけたり、コミックスを読み返したり、気分を若返らせて何とか上がったのが、この”春一番の海”の巻です。

とあります。

 その言葉どおり、当時そのままのヌルーい設定にユルーいストーリーが、みごとに再現されています。

 例の「春風さんこんにちは~」のノリですね。

 いや、これは、バカにしているのでも、けなしているのでもありません。

 このヌルユルさは好きです。

 ただ、これ以前の「高校悪名伝」や「750ロック」のファンとしては、何とも痛し痒しという気持ちを拭(ぬぐ)えませんね。

 だって、知る人ぞ知る、750ライダーも当初はハード路線だったんですから。

 うーん、しかし、ほんっと昔と変わってな……あ、委員長、私服の時、ミニスカートとレギンスのファッションになってる!!

 これって「ぷちなう」?

もはやWEBしかない!

 しばらく前、『海猿』や『ブラックジャックによろしく』の作者で知られる佐藤秀峰氏が講談社との決別を宣言し、今後、自分の作品をネット上で公開(有料)していくと発言し、物議を醸(かも)しました。

 その多くが十代で世に出て、右も左もわからないまま、大人に命じられるままに作品を書き続ける漫画家は、過酷な労働状況や日常茶飯事のネーム無断改変等に反発を感じ、膨大なストレスをため込んでいるといわれています。

 昨年も、漫画家の雷句誠氏(金色のガッシュ!)が、ブログで業界の体質を暴露したことは記憶に新しいところですが、佐藤氏が新しいのは、作品をネット上で有料公開すると宣言したことです。

 パソコンや携帯電話でコミックを閲覧する世風が徐々に浸透しつつあるとはいえ、まだ、漫画といえば、あの質の悪い紙に印刷されたモノ、という考えが主流ですから、氏の試みがどのように実を結ぶか、期待を持って見守って行きたいと思います。

 しかし……近年、「漫画家の造反」というか「当然の主張」が声高になされるようになった背景には、ブログという場が整ったこともあるでしょうが、出版業界が抱えるホコロビが表に現れたと見る方が自然ではないかと思います。

 きちんとした契約書もなく、漫画家と編集者の人間関係だけで仕事を行うのは、トキワ荘時代なら成立しえたでしょうが、漫画という市場が大きくなり、ゲーム化・アニメ化と裾野も広がってしまった現代に続けて行くには無理があると思います。

 それらの契約(口約束)は著作権法に照らし合わせれば、もちろん不当なものですし、なにより大きな問題は、漫画家は週刊誌や月刊誌では「喰っていけない」という事実です。

 これは、もう随分前からいわれていますが、漫画家は「作品が単行本にならないと満足に食っていけない」のです。

 周知のように、ほとんどの漫画家は共同作業で作品を描いています。

 しかし原稿一枚あたりの値段など無いも同然。

 アシスタントにアルバイト料を払ったら、金などほとんど残らない。

 加えて、ここ数年、顕著になってきた「単行本は売れるが、雑誌は売れない」という現象は、もう雑誌掲載の広告収入による週刊・月刊誌の維持が不可能になっていることを示しているのです。

 ならば、漫画の一時掲載(後にコミックになるという前提で)は、雑誌製作に金がかからず流通コストが不要な「ウェブ雑誌」へ移行するのが必然だと思われますが、これも、先に書いたように社会的認知が低いために、未だ時期尚早の感が否めません。

 まあ、しかし、ここ一年ほどで携帯電話のWEB課金は一般的になってきましたし、YAHOOなどの行うネット上コミック閲覧も徐々に利用が広がっているようです。

 この調子でいくと、二、三年以内で、瞬く間に週刊雑誌のネット化が起こるかもしれません。

 携帯電話のメールが、予想以上に一気に世界展開してしまったように。
(パソコン通信時代の「電子メール」を使っていた者にとって、当時と今では隔世の感があります)

 しかし、週刊誌がネット化すると、きっと困るヒトが出てきますね。

 サンパツ屋での待ち時間が、手持ちブタさんになるとか(ぶうぶう)、週に一度、駅のゴミ箱から雑誌を拾って読むのが楽しみだったヒトが、お金を払って、ネットでマンガを読まなければならなくなってしまう。

「週刊マンガの立ち読み」も出来なくなるなぁ……って、わたしはしていませんよ、わたしは。

 マンガはネットに移行し、いずれは本屋も、いわゆる「リアル書店」から「ネット書店」へ移行してしまうのかも知れません(その件については別項で書くつもりです)。

ムシノシラセ……か

 本当は、「わたしの好きな風景」というはなしを書こうと思っていたのですが、新聞の記事を読んで、内容を変える事にしました。

 先日、「論理を経ない真理」で紹介した「性悪猫」の作者、やまだ紫氏が5日、脳内出血のために亡くなっておられました。

 6日に、近親者のみで密葬が行われたそうです。

 新聞記事の代表作に「性悪猫」はありませんでしたが、わたしにとっては、紛れもなく彼女の代表作のひとつでした。

 2006年から京都精華大マンガ学部の教授をされていたそうです。

 十年ぶりに手にした「性悪猫」のはなしを書いた10日後に亡くなられたこと自体、特に意味はないのでしょうが、こうして、この場で彼女について書くきっかけにはなりました。

「100万回生きたねこ」は、愛する者に出会うまで生き返り続けました。

 マンガ家や作家や随筆家は生き返ることはありませんが、その作品に込められた感性、思想、個性は、それを読む者の中で租借(そしゃく)、熟成、再生産されて、ひとの一生を超える時間を生き延びていきます。

 黎明期のマンガ界を牽引した、他の多くの女性マンガ家と共に、やまだ紫氏の作品は残っていくことでしょう。

 たとえ100万年たって、人類自体がいなくなったとしても。

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