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もうすぐCSでやるぞ ~パプリカ~

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 この22日に、CSアニマックスで「パプリカ」を放送します。

 筒井康隆の原作も好きですが、映画も大好きです。

 今敏の作品は「千年女優」も「東京ゴッドファーザーズ」も苦手だったのですが、この「パプリカ」は、原作がしっかりしているためか、過去の作品の「何を言いたいのかワカラン」といった感じがまるでなく、すばらしい内容に仕上がっています。

 音楽はP-MODELの(って古いか)平沢進。

 これもいい!

 個人的に平沢進の無国籍音楽(という評価じゃもちろん足りないけど)は大好きだし、その幻想性は、「パプリカ」にベストマッチしていると思います。

 アニメ「パプリカ」については……分析的な評価はやめます。

 このブログの長期的読者なら(いるのか?)ご存じなように、わたしは本当に好きだと分析できなくなるのです。

 だから、ウチのケツ子(黒猫♀)も分析しません!

 というわけで、アニマックスがご覧になれるかたは22日夜9時をお見逃しなく。

 CSをご覧になっていない方はDVDレンタルに走りましょう。 

 いいや、この作品は買ったっていいや(主観に基づく感想です。感動には個人差があります)。

 とにかく、ご覧になってください。

 そして、美しく冷静で知的な主人公が、夢の中で変身する第二の人格、おきゃんでコケティッシュで元気いっぱいの探偵パプリカが体験する幻想的な夢世界の冒険を経験してください。

己だけが消え去る恐怖 ~キャシャーンSins~

 以前にキャシャーンSinsについて書きましたが、さらに追記を。

 キャシャーンSinsも二十話近くになって、佳境に近づいてきた。

 この数話ではっきりとしてきたことは、キャシャーンSinsが、加速度的に恋愛物語の様相を呈してきたということだ。

 姉の死の原因を作ったキャシャーンをねらい続ける女性型ロボット・リューズと、キャシャーンの恋物語。

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 しかし、かつてすべてのロボットがそうであったように、無限の再生能力を持つキャシャーンとは違い、リューズの体は確実に滅びに向かっている。

 自らを復讐の刃として、キャシャーンに憎しみをぶつける敵として登場したリューズは、記憶を失い、そのために他人から教えられる自らの行いを後悔し、滅びを止めようとあがくキャシャーンの姿に、徐々にココロを開いていく。

 
 下世話な言い方を許してもらえば惚れてしまうのだ。

 第18話「生きた時これからの時間」(脚本:大和屋暁 絵コンテ:山内重保 演出:山内重保 作画監督:丸 加奈子)は、なかなか画期的な回だった。

 まるまる30分を、実写合成を交えながら、リューズの内的葛藤を描くことに使ってしまったのだから。

 よっぽどコアなファンでないかぎり、離れていってしまうんじゃないかなぁ。

 この回の終わりに、リューズは姉の死を乗り越えて、キャシャーンについていく決意をする。

 詳しくは、このサイトを観てください。よくまとまってます。

 そして、第19話「心に棲む花を信じて」(脚本:吉田玲子 絵コンテ:中山奈緒美 演出:中山奈緒美 作画監督:奥田佳子 )

 この回は、観ていて痛かった。

 そして、この回を観ながら、わたしは、「滅びを描いたSF作品におけるエポックメイクな作品を、今、リアルタイムで目の当たりにしているのではないか」と思うようになったのだった。

 かつて、地上の生物、あるいは宇宙の生物、そしてロボットを主役にして、それらが滅びに向かいつつある姿を描いたSFは多くつくられてきた。

 しかし、こういった形で「滅び」を描いたSFはなかった。

 19話で、いよいよリューズの体にも滅びが近づいていることが描かれ始めるのだ。

 18話で彼女はキャシャーンへの憎しみに決別した。

 そして19話で彼女はキャシャーンへの愛に気づく。

 同時にそれは、滅びの無い体を持つキャシャーンと、崩れつつある体をもつリューズとの、そう遠くない永遠の別れの痛みをリューズに負わせることになる。

 おわかりだろうか?

 これまでの、「滅び」を描いたSF作品は、ほぼ全てが、皆一様に滅んでいく姿を描いていた。

 ある時はウイルスで、ある時は太陽のバクハツで、またある時は核戦争で。

 しかし、「恋人同士の一人が永遠の命を持って、もう一方が他の全ての生き物とともに滅んでいく」なんて設定は、少なくともわたしは観たことがない。

 キャシャーンを愛することで、リューズは死に対する恐怖を実感するようになる。

 リューズは戦闘ロボット=戦士だ。死ぬことは怖くないだろう。

 だが、自分だけが死に、他の者一切が死滅した後に愛する者だけが生き残るという必然に彼女は慄然とするのだ。

 死の恐怖、何もなさずに死ぬ恐ろしさから逃れようとして、また愛するものにすがろうとして、そして同時に、いっそ自分と同じように愛する者を滅ぼそうとして、リューズはキャシャーンに刃(やいば)を向ける。

 だが、結局は殺さない。

 殺せるはずがない。

 ならば、彼女に残るのは、滅び=死への恐怖だけだ。

 おびえる彼女に、キャシャーンはロクな言葉をかけられない。

 そりゃあそうだ。

 自分が原因で「世界」が滅びに向かっているのだ。

 リューズの苦悩は、キャシャーンをさらに後悔に駆り立てることになる。

 もし、自分が滅びの原因を作ったのでなければ、キャシャーンは「自らリューズとともに滅ぶ」という選択が出来ただろう。

 アシモフのBICENTENNIAL MAN(ロビン・ウイリアムズによる映画化あり「アンドリューNDR114」↓クドさを押さえたR・ウイリアムズの演技が秀逸)のように、愛する女性の老化とともに、自分のパーツも老朽化させ、彼女の死とともに、この世を去っていったロボットがごとく……

 だが、キャシャーンには、滅びに身をゆだね、死ぬことすら許されていないのだ。

 それこそが彼のSin。

 さて、皆さん。

 展開はトロいが、このキャシャーンSinsは、そんじょそこらにあるような、ペラペラな作品ではありません。どっしりとした質量のある作品です。

 構成の悪さ、および玉石混淆(ぎょくせきこんこう)なストーリーのせいで、絶対に視聴率は上がらないだろうが、そんなこととは関係なく、この作品は、紛れもなく、SF滅びカテゴリの金字塔になる可能性がある作品です。

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 リンゴと称する人間の女の子をキーとして、なんとなく先の展開は読めてしまいますが、そういった大枠はともかく、キャシャーンとリューズ、イモータルな男とモータルな女の恋物語として観れば、この作品は他のアニメ作品を圧してひときわ輝いています。

 今からでもおそくありません。

 まだ観たことのない方はぜひ一度ごらんください。

 そして、最初の頃は観ていたけれど、タイクツで観るのを辞めた人も、我慢してもう一度アタックしてみてください。

 「キャシャーンSins」

 今のところ観る価値のある作品だと、わたしは思います。

守銭奴なる英雄 ~ヴァイパーズ・クリード~

 以前に書いたアニマックス放映の「黒塚」が、二回目以降、一度も観ないまま終了してしまい、そのまま録画設定を放置しておいたところ、1月6日から始まった「VIPER'S CREED(ヴァイパーズ クリード)」を自動録画してくれていたので、先ほど第1回を観てみた。

 VIPER'S CREED公式サイト

 結論からいうと、今後はどうなるかわからないが、今のところ期待が持てそうな感触だ。

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 絵柄は、上のような感じで、あまり好みではないのだが設定が悪くない。

 温暖化による海面上昇、テロの頻発、最終的に大戦が勃発した21世紀の地球、地表の35パーセントが水没し各都市が孤立する中、(おそらくは)日本のお台場あたりであろう、フォート・ダイバシティは、流通の要所として繁栄を極めていた。

 土着の人々(風体からしておそらくは日本人)は、商売のためだけに、ダイバに入り込む外国人を快く思ってはいない。

 そのダイバシティを、不定期に大戦中にバラまかれた無人兵器が襲ってくる。

 それらからシティを守っているのが、シティと保護契約を結んでいる民間軍事会社「アルコン・グローバル・セキュリティ」で、その尖兵(せんぺい)となるのが、ヒトガタ変形三輪車?(ってチョットカッコ悪い?)部隊であり、そのエースが、「ユニット・ヴァイパー」と呼ばれるチームだった。

 彼らによって守られている「ダイバシティ」の人々は、誰も、ヴァイパーたちに感謝をしていない。
 彼らが、金のためだけにダイバにやってきた雇われ兵士であることを知っているからだ。

 男女混成のヴァイパーたちは、皆が「金のためだけに働く守銭奴」たちで、彼らを支えるために、それぞれ一人ずつ女性オペレーターが付き、情報収集し指示を伝える。

 いわゆる、パトレイバーの「フォワードとバックアップは一心同体」(だったか?)パターンですな。

 なぜ、オペレーターが若い女性ばかりなのかは分からないが、画的(えてき)には、華やかさがある。

 任務の遂行上、会社の指示無く道路等、建造物を破壊すると、弁済金はヴァイパー個人が負担しなければならない。

 このあたりは、カウボーイ・ビバップでも使われた、経済導入リアリズム描写といったところか。

 しかしながら、個人的には、軌道エレベーターが重要な役割を果たした「Z.O.E Dolores, i」(ゾーン・オブ・ジ・エンダーズ)程度の金銭感覚なら面白いと思うが、 戦闘員個人が「儲かるか儲からないか」で「街を救うか見捨てるかを決める」部隊の設定は、現実から乖離(かいり)しているような気もするのだった。(おそらく傭兵部隊の傑作、エリア88の影響だろうが)

 ちょっと横道にそれるが、意見を書かせてもらうと、日本のアニメは「しょせんアニメはオトギバナシである」という非難を跳ね返すために、まず政治を導入し、イズムを引き込み、最後に経済概念を持ち込んでリアリズムを手に入れた。
(どの有名アニメが、そういったエポックメイクなことをしたかは考えてみてください)

 わたしには、どうも、それが完全に正しいとは思えない。

 もちろん、アニメが、そういった方向へ進んだのは、ある意味必然的な成り行きであったのだろう。

 そのことは否定はできないのだが……

 そうか、今、気づいた。

「カウボーイ・ビバップ」や「Z.O.E Dolores, i」あるいは「サムライ・チャンプルー」は、個人が金の心配をする設定だったが、「ヴァイパーズ~」は、主人公たちが所属する会社が、企業として金の心配をするのだった。

 つまり、パトレイバーで導入された、中間管理職英雄物語的な部分もあるのですね。

 そのへんが、わたしのセンスには合わない部分なのかも知れない。

 ちなみに、わたしは、こういった「英雄行為」に金銭感覚が持ち込まれたのは、シミュレーションやRPGで、金を儲けて装備を強化するシステムに、視聴者が慣れてしまったこともあるのではないかと密かに考えています。

 もちろん、視聴者の高年齢化?が進んで、会社の経理やヒエラルキーに詳しい人々の鑑賞に堪える作品が必要になったこともあるでしょうが……

 それはさておき「ヴァイパーズ・クリード」

 物語は、新しくオペレーターとして配属された女性ルーキー・サクラコの目を通して語られます。

 この辺は、なんとなく「B.B.B.:ブラック・ブラッド・ブラザーズ」あたりに感じが似ているな。

 彼女は、守銭奴?ヴァイパーたちの中にあって、ひとり採算を無視して無人兵器の破壊に挑む'''隻眼のサイキのオペレーターに任命され(ちなみに、サイキの乗るマシンには、一つ目鬼サイクロップスの文字がペイントされている)、会社の命令を無視するサイキに振り回されることになる。

 「バイパー~」を今までのアニメに類型化して考えれば、当初、よそよそしく馴れ合いを好まないバイパーやオペレーターたちも回を重ねるごとに気心が知れ、友情とはいえないまでも連帯感を持つようになって、反目しあいながらも共通の敵に向かっていく、というのが予定調和的な落としどころのような気がします。

 書き忘れていましたが、監督は映画「アップルシード」と、その続編である「エクスマキナ」の荒牧伸志氏です。

 前回、予算度外視(制作時の、じゃなくて主人公たちの行動が)のハナシを作っていた荒牧氏が、どのように、金銭がらみ会社の経営がらみのストーリーを作っていくか楽しみです。

 敵が巨大化し、ハナシが肥大化すると、往々にして細かい金のことはスッとばした軍事行動まがいの戦闘になってしまうものですから。

 そういったパターンから抜け出て、新しいハナシを作ることができるのか、今後の展開を観ていきたいとおもっています。

 演出面からいえば、海上に浮かぶ高架道路上を、無人戦闘マシンが高速で走行しつつ併走するバイパーたちに迎撃する様子は、攻殻機動隊で思考戦車タチコマが暴走マシンを追撃する姿に似ています。

 空の闘いでなく地上、しかも高速移動中の闘い。

 おまけに、高速走行するマシンは、企業の許可を得てヒトガタマシンに変形します。

 このあたりはジリオンっぽくもあるのでしょうか(マクロスはヒコーキでしたから)。

 いや、ハリウッドで制作されたゴールドライタン、もとい「トランスフォーマー」の影響の方が大きいかな。

 いずれにせよ、制作者は、タイトル通りCREED(信条)ある演出をして欲しいと思います。

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