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いのべーしょん万歳 政府広告マンガの妙

 昨日、行きつけの古本屋で面白い本を見つけました。

 今から20年後を描いたユートピア漫画です。作者(原案)は、内閣府イノベーション25戦略会議委員の江口克彦氏。作画は藤井龍二氏……知らない人です。

発行は2007年7月。

 わたしにとって、ユートピア的未来都市といえば、まず思い浮かぶのが、小松左京氏の「空中都市008」ですね。確か人形劇にもなっているはずです。

 ほかに、小学校の頃読んだ「2001年の世界」というのもありました。

 それらの未来では、2001年の時点で、超音波シャワーが生まれ、東京-大阪間には時速500キロのリニアが走っていましたが……実現したのは、一人一台の無線電話(いわゆるケータイ)ぐらいでしょうか。

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 どうです。「2025年伊野辺(イノベ)家の1日」

 磯野家(サザエさん)にかけてあるのかもしれませんが、イノベ家って……いかにも、オカミ主導の広報漫画といった体(てい)で、読んでいて楽しくなります。

 新聞などで一面をつかって載っている、ターゲットもマーケティングもよくわからない、あのテの漫画ですね。

 とにかく、なんかやってます感が目に見えるようにしておけ、という。

 「あとがき」にある作者の、発刊コンセプトを少し引用すると、

「本書は『内閣府イノベーション25戦略会議』で八ヶ月間繰り返された議論の一部を多くの読者に漫画化して紹介し、そのことを理解していただきたいという意図でまとめたものである」

だそうです。

 下のようなチャチ(失礼!)な画の漫画で「~ものである」なんて納まれると、なんだか面映(おもは)ゆく感じますね。

 それに、後に述べるように、ネガティブな部分をまるで示さずに「八ヶ月間繰り返された議論」っていわれても、「この程度にそんなに時間かかるのかよ」って感じです。

 ついでに、高市早苗イノベーション担当大臣(当時)の「まえがき」も引用しましょう。
 
 けっこう面白いですよ。(内閣名、役職名など、すべて当時)

『二〇〇六年九月二六日に発足した安倍内閣では、イノベーション担当大臣というポストが新設され、私がその任にあたることとなった。
 組閣の三日後、安倍総理から、「日本社会に新たな活力をもたらし成長に貢献するイノベーションの創造に向け、医薬、工学、情報工学などの分野ごとに、二〇二五年までを視野に入れた長期の戦略指針『イノベーション25を策定してほしい」とのご指示があった。
 その後、約八カ月の時間をかけて、イノベーション25戦略会議の七名の有識者委員とともに、策定作業に取り組んできた。
 そして、この度、イノベーション25戦略会議の委員としてご活躍いただいた江口克彦氏のご好意により、「イノベーションの創造で私たちの暮らしがどう変わるのか」を分かりやすくお示しする漫画を出版していただくこととなった。
 この浸画を読んでいただくとお分かりいただけるが、安倍内閣が目指す「イノベーション」とは、単に技術革新だけではなく、広く社会システムの刷新も行うことで、画期的・革新的な成果を上げることである。
(中略)
 ここで示した未来の技術は、総合科学技術会議有識者議員や日本学術会議会員をはじめとする多数の学者の英知を結集するとともに、延べ二五〇〇名の専門家が参加したデルファイ調査も活用し、現代の科学的知見をもって予見できる限りの技術的裏付けをしたものであることも付言したい。
 この「イノベーション25は、閣議決定を経て、早速「骨太の方針二〇〇七」に反映される。
つまり、来年度予算や税制から、二〇二五年に向けての取組みがスタートするのだ。
 しかし、私は、その実現への道のりは相当険しいものになると思っている。
 当然のことながら、現在の日本が直面している様々な課題は、科学技術の力だけで夢のように霧消してしまうわけではない。
 本来は「政治」が本気で解決しなければならない喫緊の課題から目をそらすべきではないことを前提に、議論を続けてきた。』

 ホネブトの方針って、なんだか懐かしいですねぇ。

「投げだしの方針」じゃないんですかね

 コミックの絵柄ですが、こんなものです↓。

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 各章ごとに、「イノベーション・コラム」もついています。↓

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 内容はすごいですよ。ロボットが普通に我々一般人の世話をしています。
 車は、所有する時代ではなく、カーシェアリングする時代だそうです。
 数年前にアルツハイマーになった女性は、実験段階の薬で完治しています。
 人々は生体チップを体にとりつけており、再生臓器も普及しています。

 政府主導の未来予想図である「デルファイ調査」の年号も書かれています。
 (デルファイ調査とは、文部科学省が、1971年よりほぼ5年おきに実施している技術予測調査のことです)

 全体としては、陽気で明るく、かつて20世紀に、わたしたちが「21世紀かくあるべし」と願った未来像にあふれた漫画です。

 が、どうしても、お上特有の「上から目線」という印象はぬぐえません。

 有り体にいえば、実態に即していないというか……もちろん、政府公報なのですから、悪いことは書けませんが、それにしても嘘くさい。

 第一次大戦以後の100年で、わたしたちは、科学が我々の生活に変化をもたらし、考え方すら変えてしまうこと、つまり利益と表裏一体の弊害をもたらすことを、骨身にしみて知ってしまいました。

 だから、ただ「個人のDNAに応じた処方が施され、完全な治療ができるようになる」と書かれても、そのまま鵜呑みにすることは、もはやできない。
 そこには、恐ろしい弊害が存在することを、わたしたちは知ってしまっているから。

 ただ、個人的にバラ色の未来を描いていた「空中都市008」が好きだったわたしとしては、こういったオプティミスティック・フューチャーは好きです。

 実際にこうなったら、どれほど良いかと切に願います。

 ただ、嘘くさい。

 営利を目的とした、一般の漫画では、とても、これだけ楽天的な内容が企画を通ることはないでしょう。

 その意味で、こういった政府主導漫画は、原子力発電推進コミック同様、採算度外視で言いっぱなしに好きなことが書けてうらやましく思います。

 いったい何部刷られたんだろうな。

 ちなみに、わたしは、アメリカの「デルファイ予測」(別項で書いたプログラム言語DELPHIと同じ表記。古代ギリシャにおいてアポロンの神託(オラクル)を受けたのがデルファイ神殿であったことに由来)は知っていましたが、日本でも、早くからデルファイによる統計予測が行われていたことは、寡聞(かぶん)にして知りませんでした(しかも、延べながら2500人の科学者動員!とは↑)。

異世界のポストマン 〜テガミバチ〜



DVD ポストマン 【『アイ・アム・レジェンド(原題)』劇場公開記...

 わたしは、この映画が、けっこう気に入っている。

 だから、世間的にあまり人気が出なかったこと、あのウォーターワールドよりも知名度が低いことが残念でならなかった。

 良い機会だから、ちょっと「ポストマン」について書いてみよう。

 まず、我々は、何気なく郵便配達人をポストマンと呼んでいるが、アメリカでは、一般的にポストマンとは呼ばないそうだ。

 Please Mr.Postman(Beatls e.t.c)などで有名だから、英語文化圏では、どこでもそう呼ぶと思ったら、そうではなく、それは英国での呼び名らしい。

 なんでも、ラテン語からフランス語を通じて英国でpostになったそうだが、アメリカでは、ゲルマン語から派生したmailを(特に独立以後)場所を意味する以外の郵便関係の言葉に使うようになり、郵便配達人は「メイルマン」と呼ばれているのだという。

 作家デイヴィッド・ブリンの「ポストマン」は、ジョン・W・キャンベル賞・ローカス賞を受賞した作品、いわゆる「終末戦争後の世界」使い古されたアフター・ホロコーストもので、タダのチンピラだった男が、誤解で英雄に祭り上げられ(いわゆる、Reluctant Hero:リラクタント・ヒーローもの)、ついには世界を動かす組織を作り上げるという話だ。

 Reluctant Hero:リラクタント・ヒーローものについて補足すると、巻き込まれた主人公が、大志もなく、生き残るためにあがいているうちに、本人の意志に反して英雄になってしまう、という話のことだ。よくあるよね。

 アフター・ホロコーストの世界、荒野で偶然見つけた郵便配達人のジープと制服を使って、点在する小さなコロニーに入り込もうと考えた、流れ者の主人公ゴードン・クランツは、殺された配達人が持っていた手紙の反響に驚く。

 人々にとって、離れた土地の情報や人の消息は、宝のように貴重だったのだ。

 ほら、杜甫も『春望』で言っているではないか、「家書抵万金」(カショバンキンニアタル)と。

 同時に、人々は、郵便という制度を象徴するポストマンに、失われた文明への憧れと、その復興の気配を感じて大いに盛り上がる。

 ちょっと、ウマい話にありつきたかっただけのチンピラが、人々が発する熱に低温火傷(ていおんやけど)し、ついには、英雄の役を演じ通さなければならなくなってしまうのだ。

 これぞ、Reluctant Heroモノの醍醐味。いいねぇ。

 人と人の心をつなぐ郵便配達の感動話に、巻き込まれヒーローを使えば面白くないわけがない。

 映画の方は、ちょっと演出にミスがあったりして人気がでなかったが、小説は間違いなく傑作です。

 ちなみに、題名が「メイルマン」ならぬ「ポストマン」なのは、アフター・ホロコーストで、世界観が独立戦争前の西洋文明未発達時代(1700年代)に似てしまったため、あえてその頃に使われていた「ポストマン」を使ったのではないかと、評論家の高橋良平氏は指摘している。

「イル・ポスティーノ」
「山の郵便配達」
「郵便配達は二度ベルを鳴らす」等、

 まこと、郵便関係の映画に不作はほとんどない。

 あ、でもあのナガシマカズシゲの、その名もズバリ「ポストマン」はどうなんだろう?ひょっとしたら駄作もあるかも。彼はあまり縁起がうまくはないし……

 あと、人情バラエティ番組で、タレントが、ぞろぞろとスタッフを引き連れて、外国の誰かに手紙を届ける「ポストマン」ってのも、もうすぐ始まるね。
 ああいった、お膳立てされた、デキアイのお涙ちょうだいは観る気はないけれど。

 さて、「テガミバチ」
 これも郵便配達人の話だ。
 ということは、名作なのだろうか?

【Book】 浅田弘幸 / テガミバチ: 4: ジャンプコミックス

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 テガミバチの舞台は、どことは知れぬ異星の、アンバーグラウンドと呼ばれる暗黒の土地。

 権力者が住む、小さな島の真上にだけ人工太陽が輝き、辺境に行くほど暗くなってしまうという、きっちりとした階級のある世界だ。

 辺境に点在するコロニーに手紙を届けるのが「テガミバチ」と呼ばれる「メイルマン」だ。

 コロニーの間に横たわるのは、鎧虫(ガイチュウ)と呼ばれるバケモノが住む危険な荒野。

 ほらほら、なんとなく似ているね。おそらく作者の浅田弘幸も、あの「ポストマン」からインスパイアされて「テガミバチ」を書いたに違いない。

 だが、「ポストマン」と違い、人々は、なぜかテガミバチを蔑(さげす)んでいる。

 ある時、ひとりの男の子(主人公:ラグ・シーイング)が、手紙(小荷物)として、届けられることになった。

 若きテガミバチ、ゴーシュ・スウェードは、様々な困難を乗り越えて、ラグを無事、目的地に届け、二人は親友になる。
 この旅の合間に、世界観やギミック(心の弾で荒野の怪物を倒す武器「心弾銃」やその原動力の宝石)の説明がなされるのだ。
(って、この名前のセンス、なんとかならないかな。セロ弾きか?あと、町の名前がヨダカってのも、まあ聖書から採ったのならいいが、まさか、あの少女コミックSFの名作から引っ張ってきたんじゃないよね?それとも、宮沢賢治かな?)

 ゴーシュの目的は、人工太陽の下、日の沈まない首都で働くヘッド・ビーになって、足の不自由な妹を治療することだという。

 数年後、ゴーシュを追ってテガミバチになるラグ。
 だが、ゴーシュはテガミバチをクビになり、行方不明だった。

 主人公ラグにはいくつか目的がある。それは、自分にテガミバチへの憧れを与えてくれたゴーシュを探すことと、連れ去られた母親を見つけることだ。

 数々の仕事をこなすうちに、ラグは反政府組織にゴーシュがいることを知る……

 以上のように、テガミバチは、絵柄がちょっとわたしには合わないのと、いかにもコミックっぽいロリータ・ビースト(すぐにパンツを脱いでしまう亜人間)の出てくるのがちょっと辛いのだが、それを差し引いても、立った設定で、かなりのセンス・オブ・ワンダーを与えてくれる佳編だ。

 不思議な宝石の力を使い「自分の心を削って弾として打ち出す」という考えは、本当の銃弾に似ていて面白い。
 ほとんどの人が、現実の猟師は銃弾で獲物を殺すと考えているようだが、本当はちがうのだ。
 良い猟師は、自分の心=魂を弾丸にのせて獲物を撃ち抜いている。
 だから、きわどい駆け引きをし、知恵比べをした末に打ち倒した獲物、好敵手といってもいい、を、たくさん知っている猟師は、例外なく哀しく寂しく優しい目をしているという。(蛇足ながら、わたしが実際に知っている限りでも、猟師は家庭が不幸なことが多い。

 あと、テガミバチで描かれる、相棒動物(ディンゴ)とテガミバチとの信頼と愛情の関係も、猟師と猟犬の関係に似ているな。

 まるで、手塚治虫の「火の鳥」のように、掲載誌(月刊ジャンプ)の休刊で、少年ジャンプ、ジャンプ・スクウェアと渡り歩いている作品ではあるが、魅力があるためか現在も連載が続いているのは幸運であるというべきか。

 1話あるいは数話で1エピソードのストーリーは、先の「ポストマン」同様、人と人との心をつなぐ話で、秀逸である。

 ただ、先に書いたように「ポストマン」と違うのは、テガミバチが、街と街の間に怪物を放って孤立させ、人々を思い通りに支配しようとしている権力の手先と見なされて、蔑まれているという点だが、それによって「ポストマン」に流れていた、ふんわか暖かい雰囲気を無くしてはいるものの、決して作品の味をそこなっていない。

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 書き込みが多くパースが偏っていて、ちょっと見にくい作品ではあるが、機会があればぜひ読んで見てほしい。

 読んで、ラグが心弾を撃つことで、心を開かぬものの隠れた叫びが、荒野に谺(コダマ)する一瞬の感動を、ぜひ味わってほしい。

「テガミバチ」 棺を覆わないと定まらないが、いまのところ秀作です。

生きるということ 〜イキガミ〜

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【Book】 間瀬元朗 / イキガミ: 5: ヤングサンデーコミックス

 藤沢周平の作品を読んで、胸を打たれるのは、主人公たちが常に腹をすかしていることだ。

 江戸時代は、よほど裕福で暇な者以外は、町人であろうと武士であろうと、常に空腹を感じて生活していたらしい。

 水戸黄門などの、いい加減な時代物TV番組(あれはあれで好きだが)に毒された現代人にはピンとこないかもしれないが、江戸や浪速の大都市ならともかく、地方の町のそこかしこに食べ物屋や夜泣き蕎麦があったはずがない。

 冷蔵庫があるわけもないから、特に夏場なら、朝炊いた飯は、いちにち二日で食べ終わらなければならないし、まして独り者で外に出ることが多ければ、家に帰って食べるものがないことなど当たり前なのだ。

 腹が減るとは突き詰めれば命の危険につながること---つまり逆説的に、そのことで彼らは否応なしに生きているということを実感していたのだった。

 だが、医学の発達と平和、経済的繁栄(他の多くの諸外国に比べて)、そして家の機能の外部委託化(レストランやコンビニエンス・ストアの発達)のおかげで、空腹と死が日常生活から遠ざけられた結果、現代日本の若者たちは死を意識することが少なくなった。

 だったら、と多くの作家は考える(なんせ生きるというのは、モノカキの一大テーマだから)。

 突然の死が訪れたら、若者はどう考え行動するだろうか。

 死と違い、生とは曖昧模糊(アイマイモコ)とした概念だ。

 昔、子供相談室で、無着成恭が「生きるってどういうこと」と聞かれて、即座に「ご飯を食べて、おしっこやうんこを出すことだよ」と答えたのに唸らされたことがあるが、それは事実だ。

 つけ加えれば、自身の遺伝子を残すこと、そして、そのための行為をすること、というのも入るとは思うが、「食べて出すこと」が生きることなのは間違いない。

 だが、普通の人はそんな風には考えない。生活の上で嫌なことや嬉しいことが、辛いこと楽しいことが波状的にやってくるからだ。

 食べること(あるいは出すこと)を「喜び」と感じられなければ、生きる、あるいは生きている、という実感がわきにくくなる。

 だったら、「生きる」ということを考えるために、それを際だたせるためにはどうすればよいのか?

 (コミック)作家を含め、ほとんどの人は、生は死の反対のものであると考えているだろうから、生というものをはっきりと意識させるために、突然の「死」を突きつけて、その反応を導きだし、結果、生を浮き彫りにしようと考えたのだ(わたし個人としては、死は生の一部と考えているが)。

 それが「バトルロワイアル」であり「フリージア」であり、ちょっとひねくれると「愛人(アイレン)」であり、今回とりあげた「イキガミ」なのだ。

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 イキガミは、国家繁栄のために、確率的に何パーセントかの若者を「間引く」法律が制定された平行宇宙、あるいは近未来世界の話だ。

 死の二十四時間前に、役所から逝紙(イキガミ)という、太平洋戦争時の召集令状、通称赤紙(アカガミ)を模した通知書が届く。

 物語は、通知作業を行う公務員を狂言回しに、イキガミを受け取った若者の様々な反応を通じて、つまり、死という刷毛(ハケ)で、その若者にまとわりつく様々な不純物を払って、彼自身の生そのものを浮き彫りにしようとする。

 ある若者は、かつて自分をいじめた者に復讐し(もちろん、そのような行いをするものには、残された家族に激しいペナルティがある)、ある女性は、帰宅途中の愛する男の姿をひとめ見るために、違法の延命ドラッグを飲み過ぎて、かえって寿命を縮めてしまう。
 全体としては、よく練られた話であるし、何も不足はないのだが、暗すぎて、わたしには合わなかったなぁ。

 死をもって生を浮き彫りにするのは常套手段ではあるが、生は必ずしも死によってのみ浮き立たせられるものではない。

 生を生として輝かせる方法が個人的には好きなのだ。

 まあ、甘いといえばその通りだが。

「生は暗く 死もまた暗い」

 マーラーの「大地の歌」の歌詞どおりに諦観するには、わたしはまだ若いようだ。

 イベント(生ぬるい現実への気つけ薬)としての死は劇薬すぎる。

 だからこそ、連続で飲まされたら胸焼けがしてしまうのだ。

 それに、そういった対比手法は、ちょっと安直易な気もするしね。

 あと、キャッチフレーズの「死んだつもりで生きてみろ」は、ちょっと違うって感じがするな。
 結局死んじゃうんだしさ。

 「イキガミ」たしか、映画になるんだよね。

 観たい人は観ればいいんじゃないかな。 

 邦画の作り手の感性にはぴったり合っていると思うし、関西で食べるうどんに大ハズレがないように、そこそこの作品には仕上がると思うから。

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