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停電に関する誤解

 久しぶりにブログを更新します。

 二月から、ひと月ほど私用でアメリカに行って来て、帰ってくるなり「東北地方太平洋沖」地震が起こったため、長らく更新できずにいました。

 ブログは情報の発信としては有効だと思いますが、情報収集としては、twitterとfacebookの方が役に立つため、帰国後は、登録したままほったらかしだったアカウントを起こし、ニコニコ動画もプレミアム会員となって、いったい何が起こっているのかを追い続けていました。

 今も、被災地では、恐ろしく辛いことが起こり続けています。

 とにかく、一刻も早く、被災地の方々が、プライバシーのある暖かい部屋で安全に食事ができて、入浴ができるように、無力な身ながら些少の募金をして祈っています。

「モンクのある者は口を開け、そうでないものは永遠に口を閉じよ」

とは、某異国の結婚の儀などで唱される文句ですが、被災地に対して何もすることの出来ぬ身なれば、ただ無駄な口を開かず祈っていよう、と思っていたのですが、一連の報道で、どうしても気になって仕方がないことがあるので、それについて、ここに書いておくことにしました。

 気になる、いや、ハラダタシイのは、関東の計画停電を受ける地区の人々が、インタビューを受けて、

「停電は不便ですが、東北の方のために我慢します」

などという、タワゴトを、たまに発するのを見る事です。

 このブログをお読みの皆さんがご存じのように、

 カントーチホウの停電は、東北の人々のためにやっているのではなく、東電が首都近辺の電力を確保するために東北地方につくったゲンパツが、今回の災害で故障し、寸断されたために、需要に供給が追いつかず、首都の不意の停電をさけるために輪番停電しているだけです。

 神奈川の人々が節電しても、東北地方に電気が行くわけじゃない。

 そもそも、東北の人々が使っているのは、東北電力であって、福島にある東京電力のゲンパツ電気じゃないのです。

 だから、ゲンパツが事故を起こして送電を中断しても電力不足にはならない(そもそもそれ以前に、今日まで電気がほとんど通っていない)。

 もう、既存のマスメディアには何も期待していませんが、それでも、そういったアタリマエの知識を関東圏の人々に通底させる程度のことはやって欲しいと思います。

 誰のための停電なのかぐらいは知らしむるべきでしょう。

ニコ動論「ゲームプレイは、作り手がさせるもの?ゲーマーがするもの?」

 先日は、ヤマト(復活編)について、イキオイで愚かなことを書きました。

 が、何割かは本心なのでまあ、いいでしょう(もうすぐ公開される実写版については、そんなものがあったという記憶だけに留めたいと思います)。

 あれで書きたかったことの一つは、過去の作品の自己模倣コラージュ作品も、ある種のファンには嬉しいものだ、ということです。

 要するに、「ヤマト 復活編」は、過去のヤマト作品からさまざまなパーツ(音楽、シーン、小物)を取り出し、それを使って切り貼りしたコラージュ作品、つまり過去の作品をざっと鳥瞰した、見やすく分かり良い地図ようなものです。

 観ていると、ノスタルジックでなんだか気持ちよくなれる。

 その点で、わたしは、ヤマトを評価しています。

 そもそも、自己模倣は、多くの作曲家、作家、コミック作家によって、ごく普通に行われている行為です。

 否、極言すれば、人気作家とは、人気を博した過去の自作品をうまく換骨奪胎(かんこつだったい)したように見せかけ、同工異曲(どうこういきょく)の作品を途切れず生み出せる能力を持つ人のことなのでしょう。

 確かに、毎回カメレオンのように表現を変える作家もいます。

 が、それは話題にはなりますが、大して売れない。金にならない。

 かつて、毎回、意欲的に、色々な作品を創りだしていた西村京太郎(「消えた巨人軍」とかね)や東野圭吾は、わくわくさせてくれて面白くはあったけれど、それほど売れなかった。(「消えた~」は映画化されたけれど)

 ふたりとも角がとれ、内容がパターン化され、ツマんなくなったら突然売れ出した。

 まあ、つまり人々は予定調和が好きだ、ということです。

「予測不能」というコピーで売り出された映画も、そのコトバに惹(ひ)かれて観にはいくでしょうが、そんなのばかりだと嫌になってしまうのですね。

 意外に早く。

 だから、最後は悲恋だな、あるいはハッピーエンドだな、と予測しながら観て、その通りだと「なぁんだ」と思いながらも、ホッとして映画館を後にする。

 中には奇をてらうあまり、人道的に「これはやらんだろう」と思っていたら、やってしまう映画なんかがありますね。

 最近観た映画の中では「ミスト」(スティーブン・キング+ダラボン)なんかがそうでした。

 まあ、こういうのは、えてして「後味(あとあじ)の悪い映画だったなぁ。観なければ良かった」という評価になります。

 いやいや、今回はそんなことについて書きたかったのではありません。

 上でも書いたように、人は、予測不可能なものを欲しながら、結局は予測可能なものを求める事が多い。

 だから、作り手は自己模倣に陥りやすい。セルフコピーせざるをえない。

 まあ、それはいい。自分の評価を落とし、自分を尊敬できなくなるだけだから。

 しかし、模倣には、もう一つ方法があります。

 他人のものをマネる。

 一般的に盗作といわれる行為ですが、現代では、これが「お目こぼし」される場合があります。

 先日、新聞紙上で、明治学院大学准教授の稲葉振一郎氏が、そのことについて面白いハナシを書いていました。

 氏は、ニコニコ動画(以下、ニコ動)をさして「バカと暇人のための道楽としてのウェブ」と一刀両断していますが、その中で、ニコ動とyoutubeの最大の違いを、その「動画に対するコメントの表示方法」だと指摘しています。

 ご存じの方も多いでしょうが、ニコ動で、コメントは画面を右から左へと流れていくのです。

 コメントが「動画と別枠に表示される」いわゆる静止したコメント・タイプのyoutubeと「動画の上に字幕として流れる」動的コメント・タイプのニコ動では、そのライブ感がまるで違います。

 これによって、本来、別の場所、どころか、別な時間帯で動画を観た者同士ですら「擬似的な同期感覚」を持つことになるのです。

 これは新しい感覚です。

 そういった、動画投稿サイトの新しい可能性を指摘しながら、同時に、氏は、著作権上の問題も指摘しています。

 投稿動画の多くは、他人のアニメや音楽から切り貼りをした、コラージュあるいはモンタージュ作品だからです。

 だって、先に書いたように、多くの人は、まったく目新しいものより馴染んだものを好むもので、観たことはあるが、正確には観たことがない、なんか新しいコラージュ作品が好きなのですから。

 まったく新しいものを世界に示しても、滅多にウケません。

 それより、すでに世の中に知られたアニメや音楽をベースに「切り貼り」した作品をアップした方が注目度が高い、人気もでる。

 そういった、「二次創作」は、厳密にいえば、オリジナルの作者の著作権を侵害していますが、同時に「明日のプロフェッショナルたちが将来、自分のオリジナルを作るための腕を磨く修行としての一面もある」ために、近年では、作り手は出版社などの著作権者も、頭から彼らを否定しない風潮になっています。

 コミケ(コミックマーケット)などはその最たるもので、すでに、業界では、新しい才能の草刈り場と化した感もあります。

 わたしも一時期、ダマされてコミケに関わったことがありますが、あそこは、コラージュとモンタージュそして、オリジナル創作がメルティング・ポット(坩堝:るつぼ)状態です。それらがドロドロに溶けて、玉石混淆(ぎょくせきこんこう)の新しい才能(数は少ないけれども)が熱かった。

 今や、ニコ動が、アニメや映画を含む「動画」の才能の草刈り場になっているのですね。

 と、ここまでが、「序」「破」「急」の「破」まで。

 オーソドックスな思考展開です。

 しかし、氏は、もう少し話を先に進めて、ニコ動には「既存の映像の丸上げ」(これは完全な犯罪です)でもなく、二次創作ともいえないジャンルが(知らぬ間に)確立してしまったのではないか、と指摘するのです。

 それは何かというと、皆さんも観たことがおありでしょう。

 「ゲームの実況プレイ動画」です。

 確かに「ゲームの合間を埋めるための超美麗CGムービー」のアップは容赦なく削除する運営側も、プレイヤーがゲームをプレイする映像は簡単には消さない。

 プレイ動画における。ゲーム制作者とプレイヤーの関係は、劇作家とその劇を上演する役者の関係に似ているという面があるからです。

 とすれば、歌手や演奏家における「著作隣接権(りんせつけん)」といったものが、発生するのではないか?

 そう氏は指摘します。

 いわゆるスポーツや、囲碁、将棋といった伝統的なゲームにも、第三者が観ても楽しいプレイというものが存在するからです。

 観るも観ないも自由な、ニコ動におけるプレイ動画の人気がそれを裏付けていますね。

 氏は、将来それに制度的な裏付けが備わる日がくるかもしれないと結んでいますが、これについては、わたしの意見は少々懐疑的です。

 だって、著作権がうるさくなってから、数十年にわたって連綿と続いている、囲碁将棋チェス、スポーツのプレイ(映像)に対しても、「厳密な」著作権行使は行われていないのですから。

 この点に関しては、動画投稿サイトの動向を見守っていきたいと考えています。

「四千万歩の男」の残したもの……は、実際デカかった

 昨日、「完全復元伊能図 全国巡回フロア展」に行ってきました。

 伊能忠敬が制作した日本地図を「原寸」で展示する催しです。

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 まずは、チラシからその主旨を引用してみましょう。

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「2010年は、伊熊測量開始210年に当たります。

 下総国佐原(現千葉県香取市)の商人・伊能忠敬は、49歳で隠居後、50歳のとき江戸に出て天文・暦学を修め、55歳の1800年から72歳の1817年まで17年かけて日本全国を実測し、正確で美しい日本地図を遺しました。

 各地でウオーク日本1800や伊能忠敬ゆかりのウオークが計画・実施されています。

 この催しとともに、伊能図の原寸大複製を作成し公開する「完全復元伊能図全国巡回フロア展」を各都道府県で開催することを企画しました。

 いよいよ、待望の奈良で開催します。

 伊能忠敬は1806年冬に四国の測量を終えて、冬に奈良を測量しました。これた「大和路測量」です。測量作業とともに寺社仏閣を巡っています。その即席を辿ってください。」

 しかし、この伊能図『全』展示、さあ測量210年記念です、さっそく展示しましょう、といった簡単なものではありません。

 なぜなら、幕府に提出されたものは明治6年の皇居炎上の際に焼失し、東京帝国大学に保管されていた伊能家控図についても、大正12年の関東大震災で焼失したからです。

 よって、わたしが子供の頃は、そういった地図を作った人がいたよ、という史実と、縮小された複製地図だけが残っていただけだけでした。

 それが、伊能大図、全214枚のうち、アメリカで207枚!が発見されたため、現代の写真技術を使うことで、伊能忠敬らが作成したものと同じ美しい地図が蘇りました。

 ここで、注意しなければならないのは、およそ200年前に作られた地図の大きさです。

 当時は、もちろん紙の地図で、現代のように、画面をフリップしたり、ピンチしたりして、移動、拡大・縮小ができるようなものではありません。

 したがって、地図一枚一枚がデカい。なんせ実測図ですから。

 これをもとに、より使いやすい伊能中図、伊能小図が作られたわけです。

 写真でみれば分かるように、一枚が、およそ全紙(新聞紙見開き一枚)サイズ以上(実際は畳一畳)のサイズです。

 それが、214枚ある。巨大ナリ。

 展示会のタイトルに「フロア展」とあるのは、もちろんフロア展示するからなのですが、もうひとつ、その地図を床に敷いて、その上を歩き、直(じか)に伊能図を見ることができるという意味があります。

 人々はこのように↓地図の上を歩き、ひざまずきながら興味ある土地を見ているのです。

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 展示物が巨大すぎて、普通の会場では展示できないため(と、おそらく費用を安くあげるため、アカデミックな催しであるため)に、展示会場には、各地の市や大学の体育館を充てているようです。

 写真でみればわかるように、一見、ただの体育館で、特に何もない展示場です。

 しかし、会場内を歩く人々の熱気は相当なものです。

 皆、飽きずに地図に見入っています。おそらく、自分の住んでいる場所、生まれ故郷、出かけた場所が、200年前にはどうだったのか調べているのでしょう。

 会場内には巨大なブリッジが造られ、その上から、巨大な日本地図を鳥瞰(ちょうかん)することができるようになっています。

 しかし、こうやって見ると、日本って大きかったんだなぁ。

 政治でも地理でも、すぐにアメリカやアフリカと比較するから小さく見えてしまう。

 あの辺の土地って、無人の場所がほとんどの荒野なんだから、単純比較すること自体がおかしいんだけどなぁ。

 地図の多くは、海岸沿いの正確な測量を心がけているため、日本中央部の峻険な山々は白く抜け落ちていますが、海岸線の正確さは驚くべきものです。

 しかし、なにぶん200年前の地図です。

 京田辺市やあきるの市などの「笑止な観光目当て造語土地名」あるいは「イメージ先行無理矢理ひらがな土地名」が無いのはもちろんのこと、意外に、現在、知らぬ者のない土地が地図上にない反面、無名な土地ながら、当時から記載されているものが多数あります。

 北海道の多くの地名は、現在のように漢字を当てられず、カタカナのままであり、クナシリ島の測量の正確さは驚くべきものです。
 
 
 さらに、会場内には、当時の測量道具や測量方法を記したパネルも展示されています。

 その一つに、このようなものがありました↓。

ファイル 589-4.jpg

 伊能図が、実際に何年まで日本地図として使用されていたかを記した図です。

 これから、昭和の初めまで伊能図が使われていたことがわかります。

 まさに、国家百年の計。

 この展示会は、今後もまだまだ日本全国を巡っていく予定のようです。

 近くで催された時は、ぜひ行かれることをおススメします。

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