記事一覧

作家の未来予想図

ファイル 583-1.jpg

 昨日、DVDを整理していると、あの「コブラ」の作者、寺沢武一氏のもうひとつの代表作「ゴクウ(VOL.1:VOL.2)」が出てきました。

 ちょっと気になってしまい、始めだけ観てやめようとしたのですが、つい最後まで観てしまいました。

 本の整理などでもよくあることですが、結局、昨夜は「内容を確認しようとして手に取った本に没頭してしまい、最終的に何も片付かないまま」状態になって、ほとんど作業ははすすみませんでした。

 アニメーションを見終わって、このところ少しずつ気になっていたことが、はっきりとした形になるのを感じたので、ここで書いておくことにしました。

 その前に――

 寺沢氏の「ゴクウ」、ご存じでない方のために、カンタンに紹介しておきます。

 『近未来の日本』、ある私立探偵が事件に巻き込まれ、左目を失います。

 敵による催眠術から逃れるために自らナイフで目を突くのですが、その行為を「面白い」と思った何者かによって、彼は、各種センサーを内蔵し、あらゆるコンピュータに入り込んで、データを引き出し、コンピュータ制御のマシン(たとえそれが核ミサイルであろうとも)を操ることができる義眼を与えられ蘇るのです。

 現在であれば、全ての重要なサーバーは幾重もの防火障壁(ファイヤウォール)によって守られ、「機械的なクラッキングで進入し支配する」のが容易でないことは、たいていの方がご存じでしょう。

 まあ、そこは30年近く前の作品のこと、あまり細部にはこだわらないとしても、気になったのは、ゴクウの描かれる『近未来』が2014年であることです。

 え!、確か今年は2010年だから、あと4年で、ゴクウの住む「二度の大地震で壊滅的打撃を受けながらも、再び耐震型超高層ビルが林立するトーキョーシティ」の世界がやってくるの?

 いやいや、とても無理です。

 二度の大地震はともかく、いまだ都市部では「卵形の未来的建造物」はおろか、超超高層ビルも建ってはいません。

 足もとには老朽化した雑居ビルが乱立しているし。

 お台場の某テレビ局の建物?うーん。あれは違うでしょう。

 いや、何の話かといいますと、SF作家(マンガ家含む)の考える「近未来」は、つねに、現実より早回しである、ということです。

 ハインラインの「夏への扉」では、1970年に冷凍睡眠が実用化され、30年後の2000年代初頭(すでに過去!)には、すでに世界から虫歯と風邪がなくなっていました。

 実際には、まったくそんな気配はありません。

「謎の円盤UFO」のオープニング・ナレーションは、
「1980年代、人類はすでに地球防衛組織SHADOを結成していた」
ですしね。

 要するに、これが何となく気になっていたことだったのです。

 つまり、どうやら、現実は、つねに作家たちが考える「近未来」よりも歩みが遅いらしい、ということがはっきりしてきたのです。

 このブログでも人気が高い?コーナーである「デルファイ統計予測」は、さすがに、科学者、あるいは、その方面の「専門家」が書いているために、それほど現実とのズレは感じられませんが、それでも、弱冠の遅れは感じます。

 この傾向が顕著なのは、当然ながら、科学技術が「異常なほど」進んだ戦後30年ほどに作られた作品群です。

 いわゆる「科学万能時代」「何でも出来る世界になる期待感」にあふれたエネルギッシュな時代。

 もちろん、その反動による「暗い世相観にまみれた後進的暗未来」も、いくつか描かれましたが、数からいえば「進んだ科学文明的未来」が圧倒的に多かった。

 さすがに、最近は「わずか十年ほどで世の中が変わるような物語」は、あまり書かれなくなりました。

 これは、何度も期待しては科学の進歩に裏切られてきた、過去数十年の経験によるものでしょう。

 人によっては、「個人同士が瞬時に意思を伝えあえる携帯電話」の普及こそが、エポックメイキングな発明なのだ、と叫びますし、個人が世界に向けて意見を発信できるブログやツイッターがイノベーションなのだといいます。

 確かに、社会的にみれば、それらは、大いに意義のあることかもしれませんが、そういった「情報がらみ、ネットワーク」の進歩ではなく、もっと「物理的」な、瞬間移動ができたり、水を使わず洗濯したり(超音波シャワーって呼ばれてたなぁ)、できるような、そんな発明を目の当たりにしたいわけですよ。

 すぐに実現できそうだった、電気自動車(しかも中途半端な)の普及までに、どれほどの時間がかかってしまったことか。

 もちろん、インフラストラクチャーの整備も必要ですから、一足飛びにいかないのはわかるのですが、それでも遅すぎる。

 SF作家、特に流行作家は、人々の希望を、時代の期待(と不安)をくみ取って作品にします。

 だから、日々報道される、「どこそこの大学で、こういった基礎理論が完成しました」という情報から、話をふくらませて未来を描く。

 我々も、そういった情報から、もっと便利なものが、世の中に現れることを期待する。
 限りある寿命や不治の病を含む、現実にあるさまざまな不具合を 将来的には科学が解消してくれると、長い間裏切られ続けながらも、根本的なところで、われわれは信じてしまっているのでしょう。

 結果的に実現するなら、ちょっとでも早いほうがイイ!

 そう思うからこそ、作家に限らず、現実の不具合さに飽き飽きした、われわれの「未来予想図」は、常に現実より進んでしまうものなのかもしれません。

24年を経て蘇る悪魔 チェルノブイリ火災の恐怖

 いやぁ、今年の夏は暑いですね。

 今夏の異常なほどの暑さによって、世界各地で山火事が多発しています。

 さすがに、日本では、極端に大きな山火事は発生しませんが、恒常的に乾燥している地域では、一度火がつくと2000ヘクタール程度はあっという間に焼けてしまう。

 現に、今も、ヨーロッパでは山火事が多数発生しています。

 中でも、特に問題なのは「あの」ロシアとウクライナの国境付近、チェルノブイリ近くで発生した山火事です。

 日本ではあまり話題になっていませんが、さすがに地理的に、彼の地に近いフランスでは、サルコジ大統領の「ロマの人々に対する差別発言」とともに、昨夜のF2「20HEURES」で大きくとりあげていました。

 ロシア政府を始め、近隣諸国の「科学者スジ」は、こぞって「危険性は僅少(きんしょう)である」との大合唱をくりかえしていますが、チェルノブイリ原発事故によって拡散した放射性物質(セシウム137など)を内部にため込んだ植物や土壌が、この火災によって再び空気中にまき散らされることの危険性は、決して無視できるものではないと思われます。

 放射能情報研究委員会(まるで、日本のバカ番組のタイトルのようです)の定期的な測定によると、放射能は、まだ危険値レベルではなさそうですが、この組織がどの程度信頼できるものなのかは、はなはだ疑問です。

 とくに、セシウムなどは、人に対する影響だけではなく、家畜や農作物に対する影響も考えなければなりません。

 さすがにフランスのF2放送だけに、2年後には、この地域からフランスに畜産・農作物が輸入される恐れがあるので、「この火事は他人事(ひとごと)ではない」と、依怙(えこ)精神さかんなフランスらしく、アナウンサーも心配顔をしていました。

 いや、何がいいたいかというと、原因が、自国による原発事故であろうが、他国による爆弾攻撃であろうが、放射能汚染の恐怖と痛みと苦しみには変わりがない、ということです。

 四半世紀を経ても悪霊のように蘇ってくる「残留放射能の恐怖」に対して、悪霊をブタに取り憑かせておぼれ死にさせるという、あのドストエフスキーの逸話のように、すっきりとした解決策を科学者たちは考えなければなりません。

 コスモクリーナーDのようなマシンを。

 低炭素社会化とエコの名の下に、いたずらに原発を増やそうとする前にね。

夏がくれば思い出す ~終戦は真夏の出来事~

 夏、といえば、連想するものが――

 昼ならば、輝く太陽、海の家、「氷」のノボリ、はじけ飛ぶ水しぶきに女性の素敵な水着姿、夜ともなれば、女の子たちのほっそりとしたウエストにキュッと締まった帯も初々しい浴衣姿、ちょっと汗ばんで上気した頬に、ゆったりと風を送るうちわ、手をつないで見上げる夜空、漆黒に咲く色とりどりの花火――

 なんて夢のような情景ばかりであれば、どれほど良いでしょう。

 しかし、奇(く)しくも日本に生まれ、戦後教育をうけた者であれば、8月がくれば思い出すのは(あるいはマスコミなどのリーディングによって思い出させられるのは)、史上初めて「生活する民間人の頭上に落とされた」二種類の原子爆弾(リットルボーイが高濃縮ウラン、ファットマンはプルトニウムを用いたもの:「アジア人に対する放射能爆弾の影響を知るため」違う種類の爆弾を違う場所に投下したとされる)と天皇による玉音放送でしょう。

 個人的に、人々が玉音放送を聞くイメージというのは、

「猛暑の中、流れる汗を拭おうともせずに、じっと真空管式ラジオを見つめる人々」

です。

 そう、現代日本において、終戦とは「うだるような暑さの中の出来事」なのですね。

 もちろん、戦争が終結するのは夏だけではありません。

 世界を見渡せば、真冬のさなか、木枯らし吹きすさぶ中での終戦を経験している国も少なくない。

 日本だって、大阪冬の陣の終戦(停戦)は冬だったわけです。

 しかし、我々日本人にとっては、いわゆる「さきの大戦」の印象が強すぎて(あるいは「さきの大戦」が直近の戦争であり残された資料も多く、それを体験した人々がまだ生きているために)、戦争といえば「太平洋戦争」「終戦といえば1945年8月15日」ということに条件反射的になってしまうのですね。

 もし、イタリアがコシヌケにも真っ先にケツヲワラズ、返す刀で日本に宣戦布告セズ、ドイツがもう少しガンバリ(とはいえ、一説によると、自殺直前のヒトラーは過労過ぎて、自殺しなくとも、あと数週間で死んでいたらしいですが……)さえすれば、日本の終戦は冬になっていたかも知れません。

 あるいは、一年で、もっとも気候の良い、春先や秋口のうららかな日になっていたかも知れないのです。

 しかし、いろいろな地方、色々な時代の激しい戦争をみても、そういった季候の良い時期に終戦を迎えたものは、それほど多くありません。

 逆にいえば、こういうことです。

「戦争勃発(ぼっぱつ)」後の、振り上げたコブシをおろす「終戦」という決断は、寒熱冷暑(かんねつれいしょ)の厳しい時期に、それに耐えかねたように行われることが多いのだ、と。

 しかし、それでも、日本の終戦は、西行法師のあの句のごとく、

「願わくば 桜の下にて 春死なんその如月の 望月のころ」

であって欲しかった。

 過酷な時代を生きた人々に、冷徹な宣告をする日であるならば、せめて季節は美しくあって欲しかったのです。

 それが、戦争を知らないわたしの、単なる感傷にすぎないことはわかってはいるのですが……

p.s.
ちょっとだけ興味があったので、劇場版NARUTO疾風伝と交互に、NHKの「色つきの悪夢 ~カラーでよみがえる第二次世界大戦~」を観ました。
夏恒例の戦争関連番組は、なんとなく恣意と作為を感じて(その底に善意があるのを認めるのにヤブサカではありませんが)、あまり観る気がしないのです。
さすがに、最新のデジタル技術を駆使して色づけされた映像は刺激的でしたが、お恥ずかしいことに、ヒトラーなどは、あまりに自然すぎて、かえってそっくりさんによる映画のように感じてしまいますね。再放送は29日です。

ページ移動