普段、滅多に観に行くこともないのだが、思いついてYAHOO動画を観に行ったところ、モンキーパンチ原作の「シンデレラボーイ」を見つけた。
これは、何年か前に作られているのを知っていて、一度観たいと思っていたのだ。
さっそく、全13話、一気観しました。
というか、オープニングを観た途端にイカレてしまったので、あっという間に観終わってしまったのだ(本編の内容はオープニングほどには良くないのだが)。
まず歌がレトロな感じで良い。
カットがスタイリッシュ。
例えが悪いが、官能部分の少ないキューティーハニーみたいかな。
そう「シンデレラボーイ」は、全体が古き良きアニメの匂いでいっぱいなのだ。
これは、原作、監修者モンキーパンチのセンスなのだろうか?
作品の内容自体は他愛ないものだ。
男女ペアの探偵が、ある事故がきっかけで肉体統一され、一つの肉体を交互に使うようになる。
ひとりが使える時間は24時間。
つまり、一日おき、午前0時に肉体が男から女、女から男へと変化する。
真夜中に消えてしまうからシンデレラというわけだ。
だが、それがいったい何だというのだ?
そんな設定は珍しくもない。
今まででも、そのようなシチュエイションの話はたくさんあった。
しかし、それらの話のほとんどは、コメディ色の強いものだった。
シンデレラボーイにもコメディ部分はあるが、よりスタイリッシュなストーリーになっているのだ。(もちろん基調はコメディだよ)
特筆すべきなのは、肉体を共有して生きていかねばならなくなるという、極限状況に陥ったにもかかわらず、ふたりともあまり、それを重大に捉えていないことだ。
主人公ランマはまったく動じず、女性キャラ、レイラも「悩んでも仕方ない」とサバサバしたものだ。
昨今の神経症的キャラクタばやりの中にあって、ものに動じない主人公達はなんとも心地よいものだ。
社会差別や組織内の抗争、内部分裂と闘いながら正義を為す主人公もいいだろうが、そんなのばかりだと、なんだかシンドクなってくる。
たまには、こんなふうに、スカっとシンプルなストーリィもいいものだ。
女性キャラクタには、モンキーパンチらしさが少ないが、上の画をみて分かるように、主人公ランマは初期のルパン三世そのものの顔をしている。髪の毛はルパンより長髪だが、顔つきから体のスタイルにいたるまで、ほんとうにルパンそのものだ。いや、ルパンよりルパンらしい(ってどういうことだ?)。
初めのうちこそルパンの亜流のような違和感を感じるが、それも二、三話までで、だんだん慣れてくる。
オープニングで一瞬映る、ランマと彼に寄り添うコケティッシュでキュートなミニスカート姿のレイラのツーショットも決まっている。
こういったイカス(って古いねマッタク)ショットを、てらいもなく出してくるのがいい。(おそらくはモンキーパンチのセンスだろうな)
ストーリィに、これといった特徴はないと先に書いたが、ひとつだけ、ちょっとひっかかる点があった。
回を追うごとに、レイラが呟くように言い始める言葉がある。
「もう二度とランマに会えない……」
「危険だけど、もう一度ランマに会えるんだったら……」
そう、二人にとって、肉体を一日おきに使おうと世界は何も変わらない。
もともとタフな精神構造をもつふたりなのだ。
その状況で元気に生きていくことができる。
だが、たとえ世界が何一つ変わらなくても、ひとつだけ以前と違うことは、今後一切、お互いが生きて出会うことがないということなのだ。
テーマとしてはっきりとは示されないものの、シンデレラボーイは、恋人たちが、ひとつの肉体のなかでまっぷたつに裂かれる物語だ。
死んではいない。
病気でもない。
お互い元気で生きている。
世界は何も変わらない。
だが、それでも二度と生きては会えない恋人同士、それがランマとレイラだ。
現代版、織姫彦星。
このあたり、もうすこし深く斬り込んでくれたらもっと面白い話になったかもしれない。
自分の頬に手をあて、「ここにいるの?ランマ」
このセンス、いいなぁ。
ああ、そうそう、迂闊なことに、五回目くらいまで、シンデレラボーイの世界が近未来であることに気づかなかった。
街並みが、今の世界とほとんど変わらないから。
何で気づいたかというと、街を走る車がすべてエアカーだからだ。
時間があれば、第一回を。
なければオープニングのみをぜひ観て欲しい。
http://streaming.yahoo.co.jp/program?k=cdbs00002
通常は第一話のみ無料。
YAHOOプレミア会員であれば、全話観ることができる。
ちなみに、公式サイトはこちら
http://cinderellaboy.at-x.com/