NHK大河ドラマ「龍馬伝」が話題になっているようです。
大河では、北大路錦也主演での「竜馬がゆく」以来42年ぶりの「リョウマ」の話です。
わたしの母校は、なぜか図書冊数の極端に少ない学校だったのですが、「竜馬がゆく」の司馬遼太郎の出身校だったため、彼の作品だけは豊富にあり、「竜馬がゆく」も、文庫ではなく四分冊のハードカバーで図書室で読みました。
その時の感想は、スゴイヒトだったんだなぁ、という感じですね。
しかし、心酔するところまでいかなかった。
司馬氏の作品で、わたしが一番好きなのは「風神の門」の霧隠才蔵なのです。
氏が、当時の日本の高度経済成長の中、自らの能力を使って広々と世を渡っていくサラリーマン(技術者としての)の理想を、戦乱の世の天才忍者に託して描いた佳作です。
あ、たった今気づきましたが、司馬氏のリョウマはメスの竜だったんですね。
以前、このブログでも書きましたが、「龍」は指が五本の雄♂のリュウを表し、中国皇帝のみが使えるモノです。それ以外の者は雌♀の「竜」を使わなければなりませんでした。下手に使うと死刑になる……
それはともかく――坂本龍馬は嫌いではありません。
学生時代には、通学電車を途中下車して、伏見の寺田屋にもいきましたし、仕事で高知に行った時は、まだ健在だった闘犬ミュージアムに寄った帰りに、龍馬像を見て、龍馬記念館にも行きました。
文庫八巻(でしたね)とハードカバー四巻も持っています。
ほとんど読み返していませんが……
ここで、突然ですが、基本的にわたしは四コマ漫画が好きです。
恥ずかしながら、自分でもいくつかタブレットで書いて、音楽工房のサイトに掲載したこともある。
おそらく、あの「ジョハキュウ」ならぬ「起承転結」のストーリーテリングが好きなのでしょう。
だから、四コマ漫画作家には、つい批判的な目を向けてしまいます。
玉石混淆(ぎょくせきこんこう)、数ある四コマ(あるいは二列8コマ)マンガの作者で一番好きなのが、山科けいすけ氏です。
氏の「キントトハウス」は、わたしのマンガ・バイブルでもあります。
わたし以外でも、この作品の影響を受けた現役作家もかなりいるのではないかなぁ。
今、一部で評判の「秘密結社鷹の爪」や「天体戦士サンレッド」なども、キントトの「世界服を企むお人好しの総統」の影響を受けているハズ。
いやいや、今回はキントトハウスの話ではありません。
その山科氏が10年ほど前に描いたのが、今回のテーマ「サカモト」↑です(現在絶版中)。
復刊ドットコムでも、かなり多くの復刊希望がよせられているようです。
内容は、いわずと知れたサカモト、こと坂本龍馬が、幕末の英雄たちとおりなすコントギャグなのですが……
これが、幕末ファンにとっては、ちょっとつらい。
・アバタ面で肥満、殺人狂の沖田。
・その沖田のもち肌の体を狙っている土方。
・その土方に抱かれたがっている毛むくじゃらの近藤。
・薩摩の世界的な大きさと自分のキン*マの大きさしか気にしない、ゴワゴワばっかり行っているセゴドン(西郷隆盛)。
・目鼻立ちはキリッとしているものの、丸顔で、妙な変装ばかりしている桂小五郎。
・異人から手に入れた空想本の話(ガリバーだのムー大陸だの)を真実だと思いこんで、サカモトや西郷にファンタジーを教える勝海舟など、かの偉人たちがエキセントリックな人柄にデフォルメされて描かれているのです。
具体的にはこんなカンジです↓(当たり障りのないところを)。
実をいうと、こういうのは好きです。特にサカモトの扱いが良い。
あまり、みんながもてはやすと、他意はないのですが、からかってみたくなるのですね。
そんなにスゴイヒトだったの?って。
1000年、2000年前の人物ならわからない。残っている資料が少なすぎる。
おまけに、そのほとんどが「勝者から見たこっちがヒーロー歴史」観だし、そうでなければ「敗者から見た呪詛にまみれた歴史」観のどちらかなのだから。
でも、明治維新なら少しは資料がある。
当時のひとの多くは字が書けたし、教育もされていた。
だから、記録は、かなり残っているはずです。
もちろん、勝者による都合のよい歴史の改竄(かいざん)は行われているでしょう。
しかし、ある人物を評価するのは公の記録だけではないはずです。
さあ、ここでもう一つ余談を。
わたしは、俵 万智(たわら まち)という歌人が好きです。少なくとも上手い歌詠みだと思います。
一応、自分でも少しは歌を詠みますし作詞もするので、彼女のコトバのセンスというのがデビュー当時から気になっているのです。
しかしながら、個人的には驚きなのですが、どうも、アノ世界では、もうひとつ彼女の評価は高くない気がします。
キワモノ的に扱われているというか……正統でないというか。
しかし、そんなことは関係ない。
なぜなら、わたしには、強大かつ不動の指針があるから。(ここからは少し極言モードに入ります)
それは筒井康隆氏です。
まあ、本当のトコロ、筒井氏の作品の「全作品が最高!」かというと、そうではありません。
若い頃の短編は面白いし好きですが、あまりにスラップスティック(ドタバタ)な作品(五郎八航空とか)は、読んでいて目が痛くなって、疲れてしまう。
しかし、氏の天才性については疑うところがありません。
かつて、氏を評して、井上ひさし氏が、
「筒井氏は、文壇というトラックを、他の作家と一緒になってクルクルと走っています。時にケンケンをしたり、後ろ向きに走ったり、アカンベェをしたり、必死の形相で走っている他の作家と違って、余裕を持って走っているように見えます、が」
そう、「が」、なんです。井上氏は続けます。
「実は、筒井氏は、そのトラックを、すでに何周も先に周回して、その上で、凡百の作家に混じって、彼らをからかいながら、変わった走りを見せているだけなのです」
けだし名言です。筒井氏の天才性を言い得ている。
その筒井氏が、ほんの数作だけ、はっきりと他作家のパロディと分かる作品を書いています。
「バブリング創世記」
「日本以外全部沈没」
「カラダ記念日」
「バブリング創世記」は、いわずもがな、聖書のパロディです。
ジャズ・スキャットで使われる、「シュビドゥバ」などを使った創世記。
「ドンドンはドンドコの父なり。ドンドンの子ドンドコ、ドンドコドンを生み、ドンドコドン、ドンドコドンとドンタカタを生む……」
すばらしい名調子。
聖書の作者(複数でしょうが)が、天才であることは言を俟(ま)ちません。
「日本以外~」は、この間映画化されました。作者、小松左京氏の才能も語る必要はないでしょう。
そして、「カラダ記念日」
サラダ記念日のパロディであることはいうまでもありませんが、その内容がスゴイ。俵氏のすべての歌をパロディにしながら、読み続けると、詠み手がやくざの親分であることが、じんわり浮かび上がってくるという仕掛けが施されているのですから。
いや、何がいいたいかというと、凡庸な同人や歌グループたちが、いかに事実を隠そうとしても、天才は天才を知り、そのことを世に知らしめようとするものだ、ということなんです。
筒井氏がパロディを書いたという時点で、その作者の才能は信じられる。
同様のことが、明治という近代でも起こったはずではないでしょうか。
幕末には綺羅星(キラボシ)の如く傑物(ケツブツ)が登場しました。
死んだ者も多いが、生き残った者もまた多い。
彼らが、本当にサカモトという人物を認めていたなら、時の政府が、いかに薩長同盟が一介の浪人によって為されたということを隠蔽しようとしても、世の中に広まっていくはずでしょう。
しかし、実際には、サカモトの名は、一時、あまり世の表に出なくなります。
早くに(池田屋で)死んだ吉田稔麿や北添佶摩、宮部鼎蔵の名が残り続けていたのに。
まあ、はっきりと攘夷志士として死んだ勝者の側の人間と、土佐藩という微妙な立ち位置のサカモトを同列に扱うことは無理なのでしょうが。
ともあれ、時間の流れで、サカモトは見直され、評価され、歴史上の傑物となりました。
おそらく、偉人の一人であったことは間違いないのでしょう。
山科氏の「サカモト」は、あの「燃えていたアツイ時代」への愛情の発露であると思いますので、わたしは、今こそ、全二巻が復刊されて、日の目をみることを渇望しているのです。