近頃、2チャンネルで「ゆとり世代」の次は「さとり世代」じゃないの?という意見が出て、ひろゆき氏がそれを支持するような発言をしたため、世間に広がりつつあるようです。
でも、どうなのかなぁ。
草食系で、あまりガツガツしない若者って、悟ってるの?
似而非(エセ)悟りでしょう、それは。
ほら、よく会話で使われる「なに悟ったみたいなこといってるの?」ってヤツと同じで、単に「意欲がないだけ」じゃないのかな。
少し前に書いた「時代の閉塞感」と、付け加えれば、シャカリキ(語源知ってますか?)にならずともなんとか食っていける「国としての豊かさの名残(なごり)」のおかげで、遠い目標と近くの目的を見失い、何につけてもヤル気をなくしている若者を「悟る」というコトバで表現するのは間違いです。
一見似ているようにみえて、まるで違う。
片方は中身が空っぽ空虚で寒風吹きすさび、他方は、これ以上ないほど充実したが故の、外面的静けさなのですから。
でも、なんとなく定着しそうな気がしますね、このコトバ。
ヒトは、本能的に、名前のないものを恐れるものですから。
正確でなくても、語感がよくて、雰囲気さえ似ていれば、似て非なる物でもその名をつけて安心したがるものです。
いまの「意欲のない若者」がブキミなだけに、オトナたちは「さとり」世代という名前をつけて、きっちりと自分の中で分類したいのでしょう。
あの寓話に出てくる、木こりをからかったあげく、飛んできたオノの頭で顔面を粉砕されて死んでしまう、サルに似た心を読む化け物、覚(サトリ)だというなら、なんとなく納得はできるんですがねぇ。
↑鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「覚」
そうだなぁ、あえていえば「さとり」には一歩およばぬ偽物ということで、「さとら」世代ってのはどうでゲス、ダンナ?
「り」のひとつ手前ってことで「ら」。
「悟られん」にもひっかけて。
さとら世代――
うん、これなら納まりがいいな。