みなさんは、おそらく「アキレスと亀」という話をご存じでしょう。
ビートたけしの映画の話ではありません。
いわゆる「ゼノンの(運動)パラドックス」と呼ばれるアレです。
「いわずもがな」の寓話?ですが一応書いておくと……
足の速いアキレスと、ノロマな亀が競争をした。
亀は、ハンデとして、アキレスより進んだ地点(地点α)から出発する権利を得た。
二人は同時にスタートする。
アキレスが、亀のスタートした地点αに到着した時、亀は、アキレスがそこに到着するまでにかかった時間だけ、アキレスより先に進んでいる(地点β)。
次にアキレスがβまで進むと、亀はアキレスがα→βまでかかった時間分、アキレスより先に進んでいる(地点γ)。
アキレスがγまで進むと、さらに亀はその先を進んでいる。
この考えは、際限なくくり返し進めることができるため、足の速いアキレスは、いつまでたっても、ノロマな亀に追いつくことはできない。
これは、もちろん詭弁です。
このパラドックス寓話の面白い点は、いや巧妙な点は、結論が「いかにもアンリアル」なものであるにも関わらず、それを導く過程が、「いかにも論理的で正しく」見えることなのです。
なぜ、こんな話を書いたかというと、先日、「新しい世論調査の方法」として「選挙における予測市場」というモノがあるということを聞いたからです。
それは、参加者が「仮想の株式(バーチャル・トレード)を取引することによって、市場を予測するという考えに基づいたものです。
その例として、某大学准教授という人物が、持ち出した典型例が以下です。
1.明日雨天になる場合に「100円を受け取れる」証券(チケット)を売り出す。
これはつまり、「晴れれば紙くず(0円)になるチケット」ですね。
実際に現実のカネで売り出すのではなく、「ネット上のゲーム」として、参加することで手に入る「仮想マネー」を使って、ゲーム内で売り買いするということです。
2.参加者は、現在の価格が自分の予想より安ければ買う、高ければ売る。
つまり、明日、雨になるだろうという天気予報をみたり、ゲタを投げたりして、明日が雨になる確率が高そうだと思う時、ネット市場にチケットが60円で売られていたら、40円の儲けになるから、それを買うということです。ゲームは「儲けること」が目的ですから。
逆に、明らかに明日晴れると思うなら、紙くずになる前に、30円でも良いから売ってしまうに違いない。
3.その結果の「取引価格」を「雨天になる確率」として扱う。
つまり、皆が「明日雨になる」と考えるなら、チケットの値段は限りなく雨の時に換金される100円に近くなるし、「晴れる」と考えるなら、晴れの時のチケット価格0円に近くなるだろう。
つまり、最終的な、そのチケット価格0-100円が、降雨確率0-100%に対応すると考えるわけです。
チケットの最終価格が60円なら、明日の降雨確率は60%というわけです。
どうです?なんとなく、ゼノン的パラドックスを感じませんか?
こういった「全てをゼニカネのやりとりに帰結させる」という思考は、いかにも拝金主義者の米経済学者が考えそうな感じがしますが、実際に、20年ほど前から、アメリカの「実験経済学」の研究者によって進化させられてきた考え方だそうです。
実際に普及しだしたのは、例によって、インターネットの普及にともなってのことだそうですが、近年、アメリカではポピュラーな手法になりつつありそうです。
その准教授は、対象と方法を選びさえすれば、かなり正確な予測値を得られると胸をはりますが、上の例では、いかにも例えが悪いような気がしますね。
天気は、純粋に物理的な、いや自然現象的なものです。
人によって動かしがたいところがある。
実際には自然現象でなく、「選挙でどの政党が勝つか」や「アカデミー賞は、どの映画がなに部門をとるか」といった、人の思惑(おもわく)で決まる出来事の予測に力を発揮するそうです。
ある事柄について(たとえば、次の選挙でどの政党が勝つか?など)、予測市場(以下で説明)をたてて、そこで売買される証券の最終価格をもって、確率とする。
【予測市場】
問題の顛末(てんまつ)を価値に連動させた証券を取引する市場
つまり、仮想市場で、ある政党が勝つなら100円もらえて、負けたらタダになるような金券を発行し、自由に売り買いさせて、その金券の最終価格をもって、その政党の勝利パーセントとする(ひどく簡略化させていますが)ということです。
これの長所は、昨今、勝間氏などもよく言及するネット上の「集合知」を使うことができる点です。
いわゆる、どこかの本のタイトルにもあった「みんなの意見は案外正しい」という考えですね。
白亜の研究者による専門知識より、一般人の感覚、あるいは市井(しせい)の在野(ざいや)研究者の知識の方が正しいことがある、という考えですね。
ボトムズによるワイズマンというところですか?
あるいはガサラキにおける「超高度な謎の知的生命体10億体」かな?
面白いのは、この場合の「集合知」が、ウィキペディアのような、知識の静的(スタティック)な寄せ集めである「ストック知」ではなく、時々刻々変化する動的(ダイナミック)な「フロー知」であるということです。
静的知なら、かなり固定的ですが、動的知なら、その時のキブン、雰囲気、マスコミのミスリードで、次々と価格が変わることがある。
ありきたりな言い方をすれば、時代の空気を読んだ結果になる、ということです。
もっとも、個人的な感触としては、これには懐疑的です。
上記にある「問題の顛末を価値に連動させた証券」をうまく発行するためには、その「問題の顛末(てんまつ)」が、「明日、雨か晴れか」などの単純なものならともかく、複雑なものであればあるほど、予測市場をたてる側の「問題の簡略化」に高度なセンスを要求するだろうというのが第一。
それほどの才能があるのかなぁ。
そして、第二として、ヒトの寄せ集めである「集合知」には、為(ため)にする意思、特定の政党・人物に悪意を持った個人、ただ面白ければ良いという、愉快犯(間違った使い方)的個人も多く存在し、そういった一握りの人々のアジテーション(扇動)によって、市場価格が変わってしまうことがあると思うからです。
某教授によれば、そういった「悪意をもった個人」による価格操作までをも含め、現実的には正確な数値が出るというのですが、本当なのでしょうか?
いわゆる「数学におけるリミット無限大」、限りなくサンプル数を増やしていけば、そういった個人の思惑は、許容誤差として処理できるようになるかもしれません。
しかし、少なくとも、現時点での、ネット上かつ仮想ゲームの中での、少ない(5000人程度だそうです)参加人数におけるマネー・ゲームによる予測市場は、あまり信頼できないとわたしは思います。
今後、もっと、人々に集合知の意義と意味が広く認知され、悪意あるアジテーションが影を潜め、主催者側が、センス良く予測市場をたてることができれば、あるいはツカエルようになるかもしれませんが……無理でしょうねぇ。
グレシャムのいうように「悪貨は良貨を駆逐」し、大衆は低いレベルで一定となってしまうでしょうから。