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ミッキーが危ない!「相撲賭博問題に勝手に思う」

 誰もがご存じ、あの世界的エンターティナーが世に姿をあらわしたとされるのは、1928年!、ひとりの夢想家が「蒸気船ウイリー」というモノクロ・トーキーアニメを作った時です。

ファイル 564-1.jpg

 声優を雇う予算のなかった、というか、そういうシステムすらできていなかった当時(世界初の音楽と声のシンクロアニメ)であったので、ウイリーに乗っているネズミの声は、当然、その作者ウォルト・ディズニーが吹き替えました。

 妙に裏返った、オカシナ声で。

 しかし、オリジナルはオリジナル。

 以来、爆発的人気を博すようになっても、世界一有名なネズミ、ミッキーマウスの声は、ウォルトの裏声に似せたものであり続けています。

 わたしは、以前、ファンタジアのリバイバル上映があった時、上映後の映画館の外で、高校生らしき少年が「ミッキーの声、めっちゃショックや」と歎いているのを聞いて、吹き出したことがありました。

 いやいや、いま、わたしが書きたかったのは、かの著名ジェントルマン・ミッキーのことではありません。

 もっとせっぱ詰まった状態のミッキー、徳俵に足の指をくいこませ、なんとか踏ん張ろうとしたものの、結局「土俵をわってしまった」ミッキーのことです。

 そう、大関コト・ミッキーです。

 わたしは、ゴシップ番組は、あまり見ないのですが、ニュースなどで、ちらっと写る彼の表情は、つねに無表情です。

 怒っているわけではなく、悲しんでいるわけでもない。

 その心中はともかく、外見は、ちょっと困惑している、という感じなのですね。

 このミッキーは……

 まあ、わたしは、相撲界に関しては、それほどの知識も見識も関心も持たないので、この件について、あまり深く書くことはできませんし、しません。

 が!

 ある、相撲記者クラブのジューチンと称する老人が、某番組で、

「名古屋場所はともかく開かなければならない。NHKが実況放送するかどうかは、局が決めればよいだけだが、この連綿と続く伝統はとぎれさせてはならないのだ」

というのを聞いて、ひどい違和感を感じてしまい、かつ憤りを感じたので、ちょっと書くことにました。

 明らかに、この老人は間違っている。

 彼は、相撲に関してドシロウトであるわたしすら知っている、江戸時代に、相撲取りをさしていった、

「一年を十日で過ごすよい男」

という川柳を知らないのだろうか?

 江戸時代の本場所は、長らく、年に10日に過ぎなかったのだ。

 このご老体、まさか、「連綿」というのを、たかだが戦後60年をさしていっているんじゃないだろうねぇ。

 かの田力男(タジカラオ)が、天照大神(アマテラスオオミカミ)が閉じんとする天の岩戸をこじ開けた時から「力強き男」がもてはやされ、それが神事となり、相撲へと引き継がれた……のは良いとして、上で書いたように、江戸時代は、一年10日しか相撲はとられなかったはず。

 神事としての相撲を持ち上げるのならともかく、「格闘技」としてのスモウを「連綿」ウンヌンで語るのは笑止にすぎない。

 現実問題として、現在のように、ほぼ2ヶ月おきに開催するようになったのは、「財団法人」日本相撲協会のゼニもうけの都合からでしょう。

 それと一部の老人ファンのため(非難は覚悟)。

 最近では広く知られるようになりましたが、「国技」というのも、明治に出来た本場所会場が「国技館」と命名されたから、「そこでやるんなら国技でしょう」という理由だけで称しているだけなのですから。

 このへんは、高橋秀実氏の「おすもうさん」↓に詳しいのですが、

http://web.soshisha.com/archives/sumo/2006_0511.php

少し引用させていただくと、

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 歴史書を探ってみると、そのほとんどが、昭和15年発行の『相撲道綜鑑』(彦山光三著、國民體力協會)を参照していた。

「相撲は、肇國(てうこく)以来、日本の國技である」という書き出しで始まる権威ある文献なのだが、そこにはなぜかこう記されていた。

 何ゆゑ、相撲は肇國以来、日本の國技であるか、いかにして、相撲は、肇國以来、日本の國技とせられたか。相撲に関する傳・論・解等の文献は、古来、決して尠少(せんしょう)とはいへない。しかし、遺憾ながらこの點を闡示(せんじ)したものは一つもない。

 国技である証拠はどこにもないというのである。それなのに、どうして「相撲は日本の国技」だと言い切れるのだろうか。同書はこう続く。
 

 この語[「國技」]が、一般的になったのは、明治四十二年「國技館」が新建された當事(とうじ)からである。

 日本ではそれまで「国技」という言葉がほとんど使われていなかったらしいが、明治42年、両国に「國技館」という相撲常設館が建設されてから、相撲は「國技」と呼ばれるようになったというのである。ではなぜ、その相撲常設館に「國技館」という名前が付いたのだろうか。相撲教習所の教科書『相撲の歴史』(竹内誠著、財団法人日本相撲協会)はこのあたりの事情を簡潔に説明している。

 国技館の命名
 一万人余を収容するこの常設館の名称は、当初、板垣退助が主張した尚武館という案もあったが、結局、右の完成案内状に「角力は日本の国技」と江見水蔭が書いたことから、国技館と命名された。

 完成案内状に「国技」と書いてあったから、国技館にしたというのである。建物の完成案内状を見て、そこから名前を決めるというのは本末転倒ではあるまいか。その案内状(「大角力常設館完成?初興行御披露?」)は現在、相撲博物館に展示されている。薄茶けた一枚の紙。その文中には、「事新しく申し上ぐるも如何なれど、抑も角力は日本の國技」と大きな活字で書かれている。「其國技の活字を他よりも大に組ませたるを、尾車が見て國技館と提案、それを常陸山が賛成して」(枡岡智・花坂吉兵衛共著『相撲講本』昭和10年)、國技館という名前が決まったらしい。

 事の経緯を整理すると、まず相撲常設館が建設された。たまたまその完成案内状に「国技」と大きな字で書いてあった。だから「国技館」と名付け、そう名付けたから、相撲は「国技」になったというわけなのである。

 偶然と言うべきか。それともいい加減なのか。先述の相撲関係者も「あくまで先輩に聞いた話ですが」と断った上で、こう明かす。

 「国技館が出来た時、その名前をどう付けようかとみんな悩んだらしいんです。それで偉い先生にお任せしたらしいんですね。そしたら先生が『國技館』って書かれたわけです。それで、国技か、ということになったんです」
 ──それだけのことで国技になったんですか?
 「そうなんです。要するに、看板に『國技館』と書いたから相撲は国技になったんです。その時、国技館という名前じゃなかったら相撲は国技になっていないと思います」

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 どうです、いい話でしょう?

 と、まあ、相撲は「神事」ではあるとわたしは思いますが、コクギでもなんでもないのは確かなので、この際、税制の優遇措置を返上して、力士へ流れるカネを少なくすることを提案したいですね。

 一罰百戒、コトミッキーを含む数人を厳罰にして、今の既得権益を残したまま、うやむやにしようなどという、体格に似合わない小せぇことを考えずに。

 法人を返上し、ただの格闘技団体になって、役員以上を総入れ替えして、ミッキーを含め、下は厳重注意のまま維持そして監視したら良いと思いますがねぇ。

 現役横綱も部屋内でバクチしてたんだしさ。

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