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さらば夏の光よ

「さらば夏の光よ」とは、遠藤周作原作で、青春のほろ苦さを描いた、あのヒロミゴー!ゴゴー主演の松竹映画(1976年)ですが、今回はそんなカビの生えたような古いアイドル映画の話ではありません。

 実は、ここ数年、夏がくるたび、何かはっきりしない異変を感じていました。

 異変……夏なのにTUBEの曲が聞こえてこない、とか?

 いやいや、そんなことではありません。

「それが、何だか分からないけれど、確かに何年か前とは違う」そんな感じがしてならなかったのですが、それが何なのか、今日、判明しました。

 わたしは、一年を通じて単車に乗っています。

 ああ、ちなみに……このブログを読んでいただいている方はご存じでしょうが、わたしは二輪を「単車」と呼びます。

 しょうもないことですが、そう呼ぶ理由もあります。

 もう何十年か前のこと、友人から、まだ元気があった頃のタモリ氏がやっていた、オールナイトニッポンの「面白いトコ録りテープ」!を聴かされたことがありました。

 その中で、タモリ氏が、日本のオールディーズとして、『単車』という曲を紹介したのですね。

 当時ですら、かなりレトロなその曲を紹介しながら、氏が、

「そういえば、昭和20~30年代って『単車』ってコトバがカッコよかったんだよねぇ」と、つぶやくのを聴いて、わたしは強い感銘を受けたのでした。

 そのころ、すでに二輪はバイクと呼ぶのが一般的で(原付はスクーターになっていましたし)、単車などと呼ぶのは、戦前から二輪に乗っているような人々だけで、その言葉からは、もっさりとした印象しか受けなかったからです。

 しかし、その「単車」というコトバが輝いていた時代があった。

 今思うと、第二次大戦中に流行った「側車付」二輪車(いわゆるサイドカー)に対する「単」車という意味だったのでしょう。

 世の中の流れが、二輪、バイク、オートバイへと向かうなら、自分だけはレトロな「単車」で呼んでやる、という偏屈心が顔をもたげた結果、わたしは二輪車を「単車」と呼ぶようになったのです。

 と、まあ、そんな個人的な感想はともかく、今は「夏の異変」についてですね。

 それは、7月からひぐらしが鳴くようになった――ひぐらしの鳴く頃に――じゃなくて、気温が狂ったようにあがり、吹く風が暖かくなっても、街で原付以外の単車を見かけなくなったことです。

 排気量250以上の単車の数が少なくなった(125CCのスクーターは、まだ多いのですが)。

 かつては、夏が近づくと、冬の間はどこにいたのか?というほど、クオーター・バイクの群れが道路を席巻したものです。
 

 夏は薄い綿ジャケット、冬は革ジャンにオーバーズボンで、震えながら走り続けている身としては、

「一年を通して乗ってこそ『単車(バイク)乗り』。暖かい時期だけ乗る奴ぁ、似非(エセ)ライダーに過ぎないぜ」

とイキがっていたのですが、

 いまや、イキがるべき「相手」をほとんど見かけなくなってしまいました。サビシイ。

 道路から、原付以外の二輪の影が消えてしまった。

 たまに、例の「中年の浮気願望丸出しコンセプト」のビッグスクーターを見かけるだけです。↓

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 これについては、前に本ブログで書きました。簡単に内容だけ書いておくと、

 ビッグ・スクーターが売り出された頃、各メーカー(ヤマハが先陣であったか)は、そのターゲットとして、金を持ちかつ若さを懐かしむ中年男を選びました。

 彼らを惹きつけるイメージフォトとしては、やはり女性とのタンデム(二人乗り)を使いたい。

 しかし、妻ではオトコゴコロに火を付けることはできないだろうし(わたしの意見じゃありませんよ)、実際に中年になった妻が命を危険にさらして(いかに詭弁を労そうとも二輪は危ない。すぐに死にます。特に後ろシートはね)夫に命を預けはしないはず。

 それが現実ですし、メーカーもユーザーもそれは分かっている。

 そこで、どうみたって、糟糠(そうこう)の妻には見えない若い女性をタンデムシートに乗せた中年男が、峠を、海岸線を走るイメージ写真が多用されたのです。

 さすがに、これには違和感も異論も大きかったのか、しばらくすると、いかにも妻っぽい女性を乗せている写真に変わりました。

 それも、イマイチ受けが悪かったのか(あるいは先に述べた理由で荒唐無稽に見えすぎたのか)、今は男ひとりのツーリング写真などが多いようです。

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 個人的にいえば、ノークラッチ・ノーシフトの乗り物は、単車ではないと思っています。
 40キロの速度を保ったまま、アクセルグリップの開閉と、クラッチミートのタイミングで、ショックレスに2~6速までシフトを自在に変えられなければ、単車を安全に乗ることなどできない。

 だから、あの小さなホイール、それに比して異常に長いホイール・ベース、ニーグリップの利かない腰掛けシートの中排気量「原付」は、かつてのマッハⅢ同様、未亡人製造機としか思えない。

 と、ワルクチを書いてしまいましたが、それでも、まだ彼らは二輪の仲間です。フェロウです。

 しかし、ビッグスクーターの増加(あるいは、彼らは単にスポーツバイクからビッグスクーターへ乗り換えているだけなのかもしれません)にもかかわらず、公道上の二輪の数は減り続けているように見える。

 実際に、統計上も、国内におけるビッグバイクおよび中排気量バイクの販売台数は減少の一途をたどっているようで(ピーク時の10分の1)、先日も、そのことがニュースになっていました(各社は急遽、単車の価格を1割~3割引き下げるそうです)。

 世界最高のバイクメーカーを、多数有する日本国内でバイクが売れない皮肉。

 その理由のひとつは、いわゆる若者の安全志向でしょう。

 若い「クセ」に危ないことをしたがらない。

 なんで、そんな危ないものに乗らなきゃならないの、転けたら怪我するし、両足を粉骨骨折したら一年を棒にふらなきゃならないジャン……ってね。

 いやいやチミ、それは間違っとるよ。

 実際は、転けると頸椎骨折で全身麻痺、あるいは頭部強打で、以前なら死亡のところが、中途半端な医学の進歩で一命はとりとめ、高次脳機能障害で記憶が20分しか持たない後半生を送ることになる……って、危険性を強調してどうするの?

 もちろん、そういった乗り手の意識変化もあるのですが、それより、もっと実際的な原因があります。

 具体的にいえば、バイクの維持費は高いということです。コスト・パフォーマンスが悪い。

 定員がたった二人なのに、タイヤ、オイル、クーラントなどの消耗品代やメンテナンス代もそこそこ必要な上、さらに割高に感じるのは、税金および自賠責保険、任意保険などの法的費用です。

 251CC以上なら、車検まで受けなければならない。

 その上、都会では、小型以上の単車を停めるスペースがない。

 原付は自転車のとなりに停めることができ、車には駐車場が用意されていても、単車用の駐車スペースが用意されていないことがほとんどです。

 そのくせ、空いた場所に駐車しておくと、わずかな時間でも、例の「緑のおじさん」がやってきて違反切符を切ってしまう……

 わたしの友人は、そのために単車を手放してしまいました。

 最後の問題は、一(いつ)に、二輪メーカーの怠慢が原因です。

 彼らは、シティ・コミューターとしての原付に力を入れすぎて、単車本来の「走る楽しみ」を日本の若い世代に伝えようとはしなかった。

 おまけに、四輪と違って値段を下げるという努力をまったくしていない。

 二輪車の価格は異常に高かったのです。

 さらに種類も少ない。

 メーカーのサイトを見てください。

 原付とビッグスクーターのラインナップばかりで、昔ながらのオンロード、オフロード車の種類が激減している。

 特に大型車は海外のみをターゲットにしているため、国内で手に入れようとすると逆輸入するほかないのです。

 確かに、長らく単車は社会的評価が低かった。

 暴走族やローリング族(ともに死語?)、自転車並の信号無視、車の横すりぬけ、違法改造による騒音など、道路から単車の影がなくなってほっとしている人も多いことでしょう。

 メーカーには、ライダーに地道なセーフティ・ライディングを啓蒙する義務があったのにそれを怠った。

 ここにきて、漸(ようや)く、各メーカーはあわて始めています。

 それほど、二輪人口は減っているのです。

 みなさんも、一度、意識的に道路ですれ違う二輪の数を数えてみてください。

 明らかに数年前より、少なくなっていますから。

 免許取得年齢になって、すぐに単車に乗り始めて数十年、ほぼ途切れずに単車に乗り続けて来た身には寂しい限りです。

 しかし、一方で、フォッシル・レシプロ・エンジン、つまり化石燃料を使うピストン式内燃機関の時代は終焉を迎えているのかもしれないという気持ちはあります。

 さすがに四輪よりは燃費がよいというものの、これからは二輪もハイブリッド化、プラグイン・ハイブリッド化、あるいはオール電化?は避けられない道のようです。

 やがては、アキラで描かれたように、バッテリーで動く超伝導バイクが登場するのでしょう。

 なれば、わたしたちは、これまで、フォッシル・フューエルを使ったエンジンに乗り続けられた幸福に感謝しなければならないのかもしれません。

 今後、ひょっとしたら二輪が息を吹き返し、ふたたび道路にライダーがあふれる時代がくるかもしれない。

 しかし、おそらく、彼らの乗るマシンは、かぐわしいガソリンの排気煙をださず、宝石のように美しいエンジンを響かせず、体感速度とエンジン音から判断してギアをシフトしない無段階変速の高効率モーターになっていることでしょう。

 密閉容器の中で気化させた燃料に点火し、そのエネルギーで前後するピストン運動を円運動に変えるという、原理はきわめて原始的なレシプロエンジンを、たゆまない研究によって、信じられないほど高性能に高めてきた内燃機関史は、電磁モーターにとって代わられ、わたしが老人になるまで生きていたら、きっと、若い子供たちに

「そうさの、わしらが若い頃はの、ガソリンを爆発させる二輪に乗ってたんじゃよ。ああ、おまえたちに、あのすばらしさが伝えられたら……すまんの。わしらが良い気になって、ガソリンを使いすぎたおかげで、おまえらにその楽しみを残せんかった……」

と話しかけることでしょう。

 そうすると、ワカゾーどもは、

「うっせ、黙ってろジジィ。んなもん、いらねーんだよ。超伝導モーターのうなりの方がもっとすげーんだからよ」

なんて、反論するかもしれません、が、まあそれもいい。

 そのためには、メーカーが主導して(国がするわけないんですから)、礼儀正しく、法律を(そこそこに)守るライダーを育成し(二輪を世の中に反抗するための道具としてだけ捉えるのはステレオタイプ過ぎます)、日本国内に、もういちど二輪文化を復興させなければならないでしょう。

 長い目で見て、自国にユーザーのいないマシンを作る企業が、栄えたためしなんぞありはしないのですから。

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