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作家の未来予想図

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 昨日、DVDを整理していると、あの「コブラ」の作者、寺沢武一氏のもうひとつの代表作「ゴクウ(VOL.1:VOL.2)」が出てきました。

 ちょっと気になってしまい、始めだけ観てやめようとしたのですが、つい最後まで観てしまいました。

 本の整理などでもよくあることですが、結局、昨夜は「内容を確認しようとして手に取った本に没頭してしまい、最終的に何も片付かないまま」状態になって、ほとんど作業ははすすみませんでした。

 アニメーションを見終わって、このところ少しずつ気になっていたことが、はっきりとした形になるのを感じたので、ここで書いておくことにしました。

 その前に――

 寺沢氏の「ゴクウ」、ご存じでない方のために、カンタンに紹介しておきます。

 『近未来の日本』、ある私立探偵が事件に巻き込まれ、左目を失います。

 敵による催眠術から逃れるために自らナイフで目を突くのですが、その行為を「面白い」と思った何者かによって、彼は、各種センサーを内蔵し、あらゆるコンピュータに入り込んで、データを引き出し、コンピュータ制御のマシン(たとえそれが核ミサイルであろうとも)を操ることができる義眼を与えられ蘇るのです。

 現在であれば、全ての重要なサーバーは幾重もの防火障壁(ファイヤウォール)によって守られ、「機械的なクラッキングで進入し支配する」のが容易でないことは、たいていの方がご存じでしょう。

 まあ、そこは30年近く前の作品のこと、あまり細部にはこだわらないとしても、気になったのは、ゴクウの描かれる『近未来』が2014年であることです。

 え!、確か今年は2010年だから、あと4年で、ゴクウの住む「二度の大地震で壊滅的打撃を受けながらも、再び耐震型超高層ビルが林立するトーキョーシティ」の世界がやってくるの?

 いやいや、とても無理です。

 二度の大地震はともかく、いまだ都市部では「卵形の未来的建造物」はおろか、超超高層ビルも建ってはいません。

 足もとには老朽化した雑居ビルが乱立しているし。

 お台場の某テレビ局の建物?うーん。あれは違うでしょう。

 いや、何の話かといいますと、SF作家(マンガ家含む)の考える「近未来」は、つねに、現実より早回しである、ということです。

 ハインラインの「夏への扉」では、1970年に冷凍睡眠が実用化され、30年後の2000年代初頭(すでに過去!)には、すでに世界から虫歯と風邪がなくなっていました。

 実際には、まったくそんな気配はありません。

「謎の円盤UFO」のオープニング・ナレーションは、
「1980年代、人類はすでに地球防衛組織SHADOを結成していた」
ですしね。

 要するに、これが何となく気になっていたことだったのです。

 つまり、どうやら、現実は、つねに作家たちが考える「近未来」よりも歩みが遅いらしい、ということがはっきりしてきたのです。

 このブログでも人気が高い?コーナーである「デルファイ統計予測」は、さすがに、科学者、あるいは、その方面の「専門家」が書いているために、それほど現実とのズレは感じられませんが、それでも、弱冠の遅れは感じます。

 この傾向が顕著なのは、当然ながら、科学技術が「異常なほど」進んだ戦後30年ほどに作られた作品群です。

 いわゆる「科学万能時代」「何でも出来る世界になる期待感」にあふれたエネルギッシュな時代。

 もちろん、その反動による「暗い世相観にまみれた後進的暗未来」も、いくつか描かれましたが、数からいえば「進んだ科学文明的未来」が圧倒的に多かった。

 さすがに、最近は「わずか十年ほどで世の中が変わるような物語」は、あまり書かれなくなりました。

 これは、何度も期待しては科学の進歩に裏切られてきた、過去数十年の経験によるものでしょう。

 人によっては、「個人同士が瞬時に意思を伝えあえる携帯電話」の普及こそが、エポックメイキングな発明なのだ、と叫びますし、個人が世界に向けて意見を発信できるブログやツイッターがイノベーションなのだといいます。

 確かに、社会的にみれば、それらは、大いに意義のあることかもしれませんが、そういった「情報がらみ、ネットワーク」の進歩ではなく、もっと「物理的」な、瞬間移動ができたり、水を使わず洗濯したり(超音波シャワーって呼ばれてたなぁ)、できるような、そんな発明を目の当たりにしたいわけですよ。

 すぐに実現できそうだった、電気自動車(しかも中途半端な)の普及までに、どれほどの時間がかかってしまったことか。

 もちろん、インフラストラクチャーの整備も必要ですから、一足飛びにいかないのはわかるのですが、それでも遅すぎる。

 SF作家、特に流行作家は、人々の希望を、時代の期待(と不安)をくみ取って作品にします。

 だから、日々報道される、「どこそこの大学で、こういった基礎理論が完成しました」という情報から、話をふくらませて未来を描く。

 我々も、そういった情報から、もっと便利なものが、世の中に現れることを期待する。
 限りある寿命や不治の病を含む、現実にあるさまざまな不具合を 将来的には科学が解消してくれると、長い間裏切られ続けながらも、根本的なところで、われわれは信じてしまっているのでしょう。

 結果的に実現するなら、ちょっとでも早いほうがイイ!

 そう思うからこそ、作家に限らず、現実の不具合さに飽き飽きした、われわれの「未来予想図」は、常に現実より進んでしまうものなのかもしれません。

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