ずいぶん長く間があいたが、やっとこの映画について書くことができる。
この映画を「カッコイイ」映画という視点で書くのはやめることにしよう。
多くの人が、こぞってそういった視点から、この映画を評しているだろうから。
だから、わたしは、こっちからアプローチすることにする。
「ハリーとトント」「真夜中のカーボーイ」(今となってはカウボーイでないところが逆にカッコイイ)「ドライビング・ミス・デイジー」「テルマ&ルイーズ」「ストレイト・ストーリー」「モーターサイクル・ダイアリーズ」「イージー・ライダー」そして「道」に共通する言葉は?
そう、ロードムービーだ。「ドライビング~」をロードムービーに分類することに異論のある向きも居られるだろうが、あれはわたしの中では、確かにロードムービーなのだね。
主人公が「ここではないどこか」を旅することで感じる開放感、旅先の人との会話、触れあい、そして同行者がいる場合その濃厚な同室時間を通じての人間関係の変化などを通して、「主人公の内面の変化を表現する」のがロードムービーだとわたしは考えているが、上記の名作ロードムービーは、さらにいくつかに細分化される。
おわかりでしょうか?
そう、乗り物が違うんですね。
「ハリーとトント」「真夜中のカーボーイ」はバス旅行。
「ドライビング・ミス・デイジー」「テルマ&ルイーズ」は車。
「ストレイト・ストーリー」は耕耘機?で、あとの作品はオートバイだ。
しかし、これには重要な乗り物がふたつ抜け落ちている。
そのうちのひとつ「列車」は、アメリカが鉄道社会でないから仕方がないとしても、もうひとつのほうが抜けているのが気に入らない。
それは「タクシー」です。
もちろん、日本の「夜明日出夫(よあけひでお)」(二時間ドラマ、タクシードライバーの推理日誌)みたいに、タクシーを借り切って何百キロも旅をする、なんてことはアメリカではあり得ないから仕方がないのですが。
そのかわり、タクシーを用いた映画ならいくつかあります。
その代表格が、そのものずばり「タクシードライバー」(スコセッシ、デニーロの秀作)ですね。
だが、そういった、ウィノナ・ライダー出演の「ナイト・オン・ザ・プラネット」のような運転手目線で作られた映画でなく、ただ主人公たちが「タクシーに乗りまくる映画」なのが「グロリア」なのだ。あー、やっとたどり着いた。
場所はニューヨーク・マンハッタン。
かつてはオキャンで美しく、暗黒街でも指折りのギャングの愛人だった彼女も、今では老いて疲れを見せる中年女性になっている。
その彼女が、突然、友人から男の子を託される。
友人の夫が、暗黒街の金を使い込んで、ヤバイ状況になってきたからだ。
始めは拒絶するグロリア。そんなことをするのはヤバ過ぎる。
「わたしには養っているネコもいるのよ」
裏切り者の家族をかくまうだけで、殺される世界なのだ。
だが、結局は引き受けさせられ、嫌がる子供を無理矢理部屋に連れて行くグロリア。
入れ違いにやってくるギャングたち。鳴り響く銃声。悲鳴。
暗黒街に長く身を置くグロリアは、何が起こったかを瞬時に察知した。
すぐにスーツケースに簡単に荷物を放り込んだグロリアは、男の子を連れて部屋を出る。
ここからは、タクシーの乗り継ぎオンパレード。
どこに行くのもタクシーだ。
個人的には、タクシーだとアシがつきやすいのではないか、と心配になるが、彼女はそんなことは構っちゃいない。
家族の元に帰りたい、と子供じみた(ってコドモだけど)逃走を繰り返し、泣き言をいう男の子に我慢強く接するグロリア。
えらいねぇ。わたしなら怒鳴りつけているところだ。わきまえろ、と。
やがて、ふたりの間に信頼と愛情が芽生える。
追いつめられるグロリア。
彼女は、見せしめのために子供も殺されることを知っている。
仕方なく、彼女は、かつての恋人に事情を説明するために会う。
ここらへんがカッコいいんだよなぁ。
いくら、かつての恋人、彼女のかわいい人、であったとしても、彼にもギャングのボスとしての顔がある。
顔にドロを塗られては、もと恋人の言葉だからといって、はいそうですか、と引き下がるはずがない。
おそらく自分は殺されるだろう。震える手でドアを開け、彼女はボス(たち)に会う……
そして、大の男でさえ(いまはこの表現マズイかな)逃げ出すような状況で、彼女は震える足をしっかりと床に着け、ボスたちに向かって啖呵(タンカ)を切るのだ。
「子供は関係ないから、助けろ」と。
グロリアの受け答えを見ていた他の幹部も、彼女が座を外すと「たいした女だ」と感心することしきりだ。
結局、要求を拒絶されたグロリアは、ふたたびタクシーに乗って子供とともに逃げようとするが……
白人女性とヒスパニックの子供が、肌の色の違いを超えて(1980制作当時)信頼しあう
それは母性本能か?俺が、お前に子供を授けてやれなかったことが原因か?と尋ねるボスに、グロリアはきっぱり「違う」と断言する。
「母性本能なんかじゃない」と。
動機がなんであれ、グロリアは、ただ敢然とギャングの組織に立ち向かう。
その姿は、やはりカッコイイ。
格好良いとは、こういうことさ。
見かけ倒しにグラサンかけて気障なセリフを吹いて、汗もかかずに(当時の特権階級たる)ヒコーキに乗って飛び回る中年ブタ男なんて、やっぱ格好悪いわな。
ホント、「グロリア」(1980年版)は、イカス(中年)女がタクシーに乗りまくって、ギャングに立ち向かう、最高にカッコイイ映画なんです。
わたしは好きです。
あ、結局、カッコイイ目線で書いてしまった。