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科学、宗教、哲学、これすべて脳の所産 ~奇跡の脳~




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 以前、VISAの月刊誌に連載されていた池谷祐二氏の「ビジネス脳のススメ」でも紹介された脳科学者ジル・ボルト・テイラーの「奇跡の脳」翻訳版が出版された。

 著者のテイラーは、ハーバードの第一線で活躍する脳科学者であった。

 だが、先天的に脳血管に異常があった彼女は、ある日、脳卒中を起こす。

 専門家である彼女は、自分の脳が機能障害を起こしていく課程を分析しながら体験するのだ。

 「四時間という短い間に、自分の心が感覚を通して入ってくるあらゆる刺激を処理する能力を完全に失ってしまうのを見つめていました」

 侵されたのは、左脳の中央部だった。

 ご存じのように、左脳は、言葉や自分を環境から区別し、位置を把握する能力(方向定位連合野)を司っている。

 その機能が働かなくなり、右脳が優位になってくる。

 それはいったいどんな感覚なのだろうか?

 これは、当事者にとっては悲劇であるが、脳科学にとってはまたとない好機であり、その分野に興味を持つものにとっては、すばらしく魅力的な(言葉は悪いが)そして心胆寒からしめる事件だ。

 よく、映画などには、「狂ったAIを停止させる」行為が登場する。

 印象的なのは、やはり2001年宇宙の旅のHALだろう。

 人を殺し始めたメイン・コンピュータを、ひとり生き残ったボウマン船長が、徐々に機能停止させていく。

 基盤を引き出されるたびに、コンピュータの合成音声は奇妙な発声になり、意味は不明瞭になっていく。

 テイラー女史は、この時のHALの感覚に似た経験をしたのではないか。

 作り物でない、現実の悲劇であるとは分かっているものの(その後の彼女の回復を知っているだけに)、興味は尽きない。

 奇跡の回復(8年がかりの)を遂げた彼女は、この著作の中で書いている。

 左脳が機能低下を起こし、右脳が優位になった時、彼女は「ニルヴァーナ」涅槃の境地に達したのだ。

 これは、考えれば充分にあり得る話だ。

 左脳が司る、他者と自分を区別する機能が低下したのだから「自分が溶けて液体となり」、世界と、いや宇宙と一体化してしまったのだ。

 それこそが、まさに悟りの境地。

 赤ん坊は、かつて母の子宮の中で全知全能であり、完全体でありながら、その世界から引き出され母との接続を切られて泣き叫ぶ。

 だが、彼女は、科学者としての知識をひきずった大人として、再び、赤ん坊のように世界と一体化した完全体となってしまったのだ。

 これは、言葉を換えれば、ある状況下で、脳が特殊な状態に陥ることと似ている。

 はっきり言えば、何らかの衝撃で、一時的に死を体験する出来事=臨死体験に似ているのだ。

 私的見解として、わたしは、臨死体験とは、人が死に臨んだ際、脳が機能停止していく課程で、より最後まで活動する野(フィールド)に、こういった宇宙との一体感を感じさせる作用があると考えている。

 モノカキ的にもう一歩踏み込んでいえば、それは、苦しみの多い人生の最後の最後に、宇宙と一体になる至福の感覚を感じさせる、いわば福音に似たものではないだろうか。
 もちろん、それは、人の上に立つ大いなる存在(人によって呼び方は変わるだろう)から与えられたものではなく、ヒトが進化する過程で、偶然あるいは必然的に、手に入れた能力なのだろうが……

 事故(卒中)後、テイラー女史は、右脳を中心とした生活を続けながら、左脳の機能を回復し始める。

 左脳の主な機能は、先に述べた、彼我(ひが)の区別能力であり位置を把握する能力である。

 それはしばしば、無理に理屈をこね上げ、他者を批判し攻撃的になる(面白いことに、米人お得意のディベートがまさしくそれだ)という負の作用を併せ持つ。

 テイラーは、一度、そういった正負併せ持つ左脳の能力を無くした後、負の部分を「自分で避け」ながら、左脳の機能回復、リハビリを行っていくのだ。

 そのためか、「奇跡の脳」の後半は、まるで宗教について書かれた本のようだ。

 わたしは、なぜか月面上から地球をみた宇宙飛行士が宗教家になってしまった話を思い出してしまった。

 翻訳者(竹内薫氏)は、訳も文章もうまく読みやすい。

 脳科学や、脳障害のリハビリ関係者だけでなく、宗教あるいは哲学に興味がある方が読まれても本書は感銘以上のものをもたらすだろう。

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