去る8日、俳優・エッセイストの池部良氏が亡くなりました。
享年92歳。
その内面はわかりませんが、わたしは、氏の一生は豊かなものであったと信じます。
ざっと略歴を核書いておくと、
立教大学を卒業後、監督を志し(実は在学中から東宝のシナリオ研究所に在籍していた)たものの、知的でスマートな風貌から役者となった……が、太平洋戦争勃発のため徴兵され、中国山東省へ。
大卒であったため(と、おそらく体格が良かったため:身長175センチ)に幹部候補生に仕立てられ(答案を白紙で提出したのに合格したとされる)、44年に南方に送られるも、輸送船が撃沈。
得意の水泳で難を逃れ、ハルマヘラ島へ到着し、その地で終戦を迎える。
一年足らずの抑留を経験し、苦労して帰国、俳優に復帰する。
1949年の「青い山脈」は有名ですが、個人的には、氏がおそらく唯一金田一耕助を演じた「吸血蛾」(1956年)が好みです(もちろん、同時代的には観ていません。スカパーで観ました)。
袴姿にボサボサ頭の金田一と違い、黒のスーツに黒のソフトをダンディに着こなした金田一耕助は、見事なほどの二枚目でした(市川昆版「犬神家の一族」以前の金田一は、全部スーツ姿なのです)。
何かの雑誌インタビューで、この作品について尋ねられた氏は「よく覚えていません」と答えられていましたが……
あとは、子供の頃、テレビでみて以来、わたしが毎夜うなされ続けた「妖星ゴラス」(1962年)にも、科学者の役で出演しておられます(今、気づきましたが、ゴラスが地球に衝突するのは1979年という設定なのですね)。
そして、池部氏といえば、東映の任侠映画「昭和残侠伝シリーズ」です。
あの作品で、わたしは、世の中に「カッコイイ刈り上げ」があることを教えてもらいました。
ここだけの話ですが、気が滅入った時、邦画なら裕次郎の「赤いハンカチ」「夜霧よ今夜もありがとう」「俺は待ってるぜ」、池部良氏の「風間重吉」が出ている「昭和残侠伝シリーズ」、そして若山富三郎出演の「緋牡丹博徒シリーズ」をくりかえし観るだけで充分元気がでます。個人的にはね。
あと、池部氏といえば、その文才に触れずにはおけません。
氏の文章は余芸の域を超えています。
もちろん、もともと監督家志望で、その勉強もされ、実際に何本も自分で脚本を書いておられるのですから、うまいのは当然のように思えますが、それとエッセイはまた別です。
わたしのようなベタな文章ではなく、氏の文章は、凛として美しく背筋が伸びている、のです。
なかなかできるものではありません。
2009年に『そよ風ときにはつむじ風』で文芸大賞をとるのもむべなるかな、です。
さらに、1983年より2009年まで、長らく、日本映画俳優協会理事長を務められておられました。
このように「太く」「豊かな」人生を送られて後の逝去ですから、わたしなどのように、細く貧しく、たぶん短い人生を送るはずの者にとっては、うらやましい限りです。
未来は知らず、現在のところ、人はいずれ死にます。
結局、死に様は生き様に他ならないのですから、亡くなられるギリギリまで社会と関わり、仕事をされていた池部氏の生き様は、おそらく素晴らしいものだったのでしょう。