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まだまだ終わらない冒険 「海皇紀」

 まず、最初にお聞きしましょう。

 長生きしたいですか?

 巷(ちまた)では、

「生きとし生けるものは、すべて、一分一秒でも長く生きたいものだ」

といわれています。

 これが、まあ、わからなくはないですが、 個人的には、あまりピンとこない。

 わたしは、イイ年をして、まだ頭の中がガキのせいか、あるいは、見届けなければならない子や孫(はまだ無理か?)がいないためか、石にかじりついてでも長生きしたいとは思わないからです。

 じゃあ、こっちから死ににいくか?と問われたら、もちろん、そんなことはしませんが。

 イタイのは嫌ですからね。

 ひとつには、父親が幾度も大病を患い、あげく声を失い脳梗塞で体が麻痺しながら、何年も生き続けたのをみてしまったため、それはそれで立派な生き方だとは思いながらも、QOL(クオリティ オブ ライフ)をそこなってまで生きることには懐疑的(かいぎてき)だからです。

 長生きをすると、そういった生き方になる可能性が高くなる。

 それに………

 わたしには、90歳を超える知人が何人かいます。

 感覚的に、ある程度、健康に恵まれれば、男女とも85歳くらいまでは、生きることが可能なようです。

 しかし、90歳越えは難しい。

 80代と90代には大きな壁がある。

 これを越えるには、よほど、持って生まれた長命力に恵まれなければなりません。

 個人的な感触ですが。

 彼、彼女たちの多くは、頭も体も達者で元気いっぱいなのですが、そのほとんど全員が、

「知り合いのほとんどが、先に死んでしまって寂しい。長生き『してしまった』ことが、こんなに孤独だとは思わなかった」

と、嘆きます。

 もちろん、老人用の施設や集会所行けば、年下ながら友だちもいるでしょう。

 しかし、いわゆる「Same Generations memories」、同世代記憶を共有する友人がいない。

 みんな、壁を越えられず先に逝ってしまった。

 その孤独を、どうすれば、いなすことができるのか?

 通俗ないいかたですが、内面が豊かであれば、独りになっても「やるべき仕事、作業」を持つことができて、孤独に耽溺(たんでき)しなくてすむ。

 和歌を詠む、詩を作る、茶華道に没頭するなどね。

 それがなければ、情報の溢れるこの時代、もうどこにもそんなものはないのに、見たことのない景色、食べたことのない食べものをもとめて、旅行と美食を繰り返すことになる。

 働くだけの今までの人生はマチガイだった、これからが本当の人生なのに、時間が少ない、と焦りながら。

 でも、もし、あなたが英雄だったら大丈夫。

 なんでも、英雄とは、

「歴史に大きな痕跡を残し、(若くして)悲劇的末路を迎える者」

 だそうですから。

 しかし、もし、希代の英雄が誰よりも長生きしてしまったら?

 戦いの中ではなく、戦後、年をとって平和のうちに死ぬことになったら?

 彼は英雄の資格を失ってしまうのでしょうか?

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 月刊少年マガジン連載の「海皇紀」が12年間の連載を終了しました。

「修羅の門」「修羅の刻(とき)」の作者、川原正敏の海洋伝奇?小説です。

 修羅シリーズは格闘漫画で、時代を現代においた「門」と、過去においた「刻(とき)」のニ種類があります。

 川原氏は、画は、それほど上手ではありませんが、ストーリーテリング能力は素晴らしい。

 次から次へと、際限なくアイデアが湧き出ているように見える。

 そうして、それぞれの登場人物に詰め込まれたエピソード(漫画内で描かれる、描かれないに関わらず)が物語に深みを与えます。

 個人的には、数千年の歴史を持つという暗殺拳、武器を使わず、無手(むて)で人を殺す技を極めたとされる『陸奥圓命流(むつえんめいりゅう)』が、過去の歴史上の著名人たち(宮本武蔵、土方歳三、沖田総司)と、いかに関わったかを描いた「修羅の刻」が好きでした。

 あとがきで、作者が、

「歴史上の人物、特に幕末の土方、沖田、坂本龍馬のことを考えると、意味もなく模造刀を取り出して、暗い部屋の中で構えてしまう」

と書いているのを読んで、深い共感に胸を打たれたこともあります。

 さて、海皇紀。

 最初の数ページを読めばおわかりになると思いますが、一見、大航海時代以前の海洋冒険モノのように見えます。

 しかし、実は、今を下ること二千数百年後の遠未来(あるいはスターウォーズのように、過去の話かもしれないけれど)の話です。

 帆船で海を支配する「海の一族」にあって、トリックスター的に自由きままに事件に顔を突っ込む影船八番艦の艦長が、一代の英雄、ファン・ガンマ・ビゼンです。

 常に自信に満ち、悠揚迫らず ( ゆうようせまらず )、幻の日本刀を携え、誰も見たことのない体術を使う英雄。

 魔術のように風を読み、手足のように帆船を操る海の男。

 彼が、陸の覇王(はおう)、「海皇紀」における信長的存在、カザル・シェイ・ロンに王の器を見てとって、海から彼の世界平定を支援するというのが、「海皇紀」の大枠(おおわく)です。

 ご存知のように、乱れた世を平定するには、二通りの方法があります。

 すなわち、孟子が説くところの、王道と覇道。

 王道とは、真の王が行う政治。
 その徳をもって、ホンモノの仁政を行うために、小国であってもあなどられず、国から争いがなくなる

 覇道とは、王が武力を使ったニセモノの仁政を用いて国を治めるやり方。
 王に徳がないため、ナメられないためにバックに強大な武力を必要とする。どこかの建国200年あまりの国に似てますね。

 少しスジは違いますが、織田信長などはこちらにあたります。

 しかし、かつて世界を治めた国がありながら、経年劣化で、そのシステムが壊れ、世の中が千々(ちぢ)に乱れた時は、武力ある賢王によって覇道が行われ、素早く世の中をまとめるのもひとつの方法です。

 その意味で、ファンは、カザル・シェイ・ロンを認め、海から彼をバックアップしたのでしょう。

 あと、細かいことですが、タイトルが海皇「紀」であるのに、ストーリー中に、かの銀河英雄伝のように「後の史実家によると~」風の紋切り型の記述はほとんどありませんでした。

 はたして、「紀」と「伝」の違いなのか?

 もっとも、海皇紀は、最終回に明確になるように、登場人物の一人である、古(いにしえ)の「カガク」の知識を受け継ぐ女性メルターザが、回想録の形式で書いたもの、とされているため、「伝」こそがふさわしいのかもしれません。

 後世の歴史家が文献を紐解(ひもと)きながら、当時を想像してかいた史書ではなく、正に、その時代を生きた女性が、自分の印象と記憶のままに記した物語、そう考えれば、ファンが女性に関して淡白すぎるように見える理由もわかります。

明らかに、メルターザもファンに好意を持っていたため、彼女は、女にだらしないファンを想像できなかった、あるいは知らなかったに違いありません。

案外、男の目からみると、カタイ男も女に弱かったりするものですがね。

 全45巻(予定)いずれにせよ、大作です。

 先に書いたように、作者の頭のなかには、ストーリーがあふれています。

 倒すべき敵(たとえそれが過去の科学兵器を使う最大級の敵であっても)がいなくなってからも、まだまだ作者の頭の中では戦い足りない。

 だから、書く。

 物語が終わってからも、どんどん書く。

 しかも文字で!

 主要な登場人物、一人ひとりについて、彼、彼女らが、この物語の後、どのような人生を歩み、そしてどのように死んでいくのかを、マンガの最後に細かい文字でびっしりと書いてしまうのです。

 主要な登場人物たちは、そのほとんどが、幸せな晩年を過ごし、元気に死んでいく。

 なかでも特筆すべきなのは、物語のなかでも、明らかにヒロインの位置を占めていた、マイア・スアル・オンタネラです。

 その言動から、おそらく、ファンは彼女に好意を持っていたでしょう。

 物語の最終盤、瀕死の重症を負った彼女は、『いつまでも年をとらない』ファンの母マリシーユ・ビゼンから、怪我を治し人を長命にする薬(ナノマシン)を打たれます。

 その後、ファンは、もうひとつの海の部族ジーゴ・サナリアの首長の娘、褐色の肌をした大柄の美女、アグナ・メラ・ジーゴと結婚し、子供をもうける。

 部族間の絆を強めるための、ある意味政略結婚です。

 あきらかにアグナはファンのことを好きですが、ファンはマイアの方が好みに見える。

 通常のドラマツルギーでは、アグナが身を引き、マイアとファンが結ばれ、めでたしめでたし、となるはずのところ、作者は、あっさりとアグナとファンを結婚させてしまいます。

 そして数十年後、ナノマシンの影響で、いつまでも若いままのマイアを、いまわの際に枕元に呼び寄せたアグナは、まだ若さを保つファンとマイアを引き合わせ、一緒に住むように命じたのちに息をひきとるのです。

 ペテン師(アグナは、いつもファンのことをそう呼んでいた)には、妻がふたりぐらいいるだろう、と。

 おそらく、川原氏は、英雄に恋した女性たちの、誰一人として泣かせることができなかったのでしょう。

 逃げといえば逃げですが、まあこういう終わりかたもまた良いと思えます。

 そして、ファンは死ぬ。

 自分を慕い、自分のために死にたいと後をついてきた部下たちに、誰独り非業の死をとげさせず、彼らのベッドの上での最期を看取った後で、彼は、愛する八番艦のデッキの上で、立ったまま大往生をとげるのです。

齢(よわい)101歳。

 おそらく、あれほどの大冒険をくぐりぬけた英雄の(と呼ぶべきか)中では、飛び抜けた長命だったでしょう。

 強い精神力を持つ彼でさえ、その最期の瞬間には、「とうとう俺が最後のひとりになってしまった」と寂しそうにつぶやきます。

 あるいは、紛れもない英雄であるにもかかわらず、「英雄として悲劇のうちに非業の死をとげず生き延びてしまった悲哀」を、その瞬間、彼は感じたのかもしれません。

「海皇紀」機会があれば、お読みください。

 エピソード別に幾つかの章に別れているので、他の大作コミックにくらべて比較的読みやすいと思います。

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