わたしが、最初に、その会社のマシンを知ったのはⅡCという型番でした。
まだまだ薄っぺらだったコンピュータ雑誌の巻末ページの、胡散臭そうな個人輸入業者が出した広告で知ったのです。
しかし、当時のわたしには高価すぎて手がでなかった。
パーソナル・コンピュータの黎明期だったのです。
それ以外の広告は、ほとんどが基盤剥き出しで、ディスプレイと言えば数字を表示するだけのセグメント表示のみ、キーボードはテンキーだけで、扱える言語はアセンブリ言語のみという、信じられないほど原始的な状態でした。
それにひきかえ、そのマシンは性能だけでなく、白くすっきりした薄さの筐体デザインすら素敵だった。
そのメーカーの名はApple Computer。
社名より、その社長の名前の方が有名なコンピュータでした。
APPLEのマシンは、その後Ⅲが発売され、LISAへと受け継がれてきます。
しばらくして、自分で会社を作り、コンピュータで音楽を作り始めたとき、初めて手にいれたのはCLASSICでした。
シーケンサーのVisionとスコア(楽譜)ソフトのencoreを動かすためでした。
当時はすでに、アタリのマシンもIBMもソードも、クリーン・コンピュータと称するシャープMZ-80Bや、NEC PC-8801、バブルメモリ搭載がウリの富士通FM-8も出ていましたが、なによりアート分野、特に音楽分野ではアップル製品が定番だったのです。
Visionは、現在発声中の音を黒いボールのバウンスで示すのですが、何せ、要求する作業が、マシンの性能を越えているため、実際の発声タイミングより随分遅く、うまく操作するためには、早めにスタートボタンを押して開始し、終わる時間を見越してストップボタンをクリックする、という、今から考えると冗談のような特殊操作が必要な劣悪環境でありました。
しかし、それでも他のマシンの他のソフトよりも、はるかに快適に、実用的に音楽を作ることができたのです。
一太郎Ver.3を使った書類印刷や、ロータス123(「桐」なんてのもありましたね)を使った表計算処理は、NECのPC9801で行っていましたが、まだまだ日本製品のMMI(マン・マシン・インタフェース)としてのマウス操作は、お遊び程度、せいぜい花子(書いているだけで懐かしい)の図形描画で使う程度で実用レベルではなかった。
やがて、型落ちのSE-30を手に入れ、本格的に音楽制作を始めると、ⅡcX、Ⅱci、Ⅱsi、Lcと買い換え、買い増しし、仕事を続けました。
その後、Quadraが発売され、Powermac、そして、一時期、Applehがライセンス供与していたパイオニア製のマシンなども購入し、使いました。
そして、あのボンダイブルーが有名なimacの登場です。
imac自体は、Usbのmidiインタフェースに信頼がおけなかったので、音楽開発用にはしませんでしたが、そのデザイン(見た目は可愛いけど、目の前でみると結構デカかった)にはイカれました。
やがてマシンはG3、G4と性能を上げていき、ついにOS-Xの時代になります。
その合間にも、創業者による「砂糖水を売るより、未来を作ろう」発言(本人がいったかどうかはマユツバものですが)や、そういって雇い入れた人物から、今度は自分が会社を追い出されるという毀誉褒貶(きよほうへん)ぶり、その後に彼が起ちあげ発売したNeXTコンピュータ(これも欲しかったけれど、ワークステーションなみの値段にとても手がでなかった)のスゴさ、そしてアップル社に返り咲き……等々、アップル周辺というより、その人物周辺は、いつも賑やかで、話題にこと書きませんでした。
やがて、その人物は、あのipodを発表し、ipodを内包した電話iphoneや、それを拡大した(だけではないが)ipadを矢継ぎ早に発表します。
そして、去る5日……
おそらく、世界中の人々が、一斉にこの「事件」を話題にするでしょうから、わざわざ、わたしが書くこともないのですが、やはり書かずにはおれません。
米アップル社の創始者にして、先日までCEOであったジョブズ氏が亡くなりました。
よく知られるように、彼自身はプログラムを書く天才でもなく、ハード設計の達人でもありませんでした。
しかし、彼には、向かうべき道を知る嗅覚と直感、決断力がありました。
優秀なプログラムを書ける人間は、勉強と学習で生み出せます。
奇抜で、部品数が少なく、よって故障の少ないハードを生み出す人間も。
しかし、人にCORRECT ORIENTATIONを指し示すことのできる人間は、まずいません。
ビル・ゲイツが1万人いてもダメなのです。
彼の死によって、美しく華のあるコンピュータ黎明期は終わりを告げ、コンピュータ文化は停滞を余儀なくされるような気がします。
後の研究家によって、コンピュータ史の停滞時期、と呼ばれる気が……
今現在、すでにあるマシンの性能を上げることなら凡百の人間にもできるでしょう。
しかし、今あるものを組み合わせて、新しい価値を生み出す作業ができる人間は数少ないのです。
ステーブ・ポール・ジョブズ。
実際に会って話をしてみれば、欠点の多い、自分勝手でイヤな奴だったのでしょう。
歴史に名を残す天才というのはそういうものです。
如才がなければ、世に数多いるゼニ屋(MBA保持で、人の金で相撲を取る経済の専門家)になるでしょうから。
イヤな奴、傲慢で、そして魅力的な男……
コンピュータ業界は夜空に燦然と輝く巨星を失ってしまいました。
しかし、個人的には最後に問題が残ります。
かつて、誰かが、本田宗一郎氏が最後に褒めたマシンとしての軽四スポーツカー、ホンダ・ビートを苦心して手に入れたと言っていました。
だから、わたしも、今使用しているiphoneのまま、iphone5が出るまで待とうと思っていましたが、おそらくジョブズが目にしたであろう最後の実機(コンセプト・デザインのモックアップではなく)であるiphone4sを手に入れるかどうか迷っているところです。
彼が、目にした最後のマシンなのだから、手にいれたい。
それは、おそらくわたしが、コンピュータ黎明期に、彼のような新しい時代を切り開く天才と同時期に生きられたことを、幸福に思っている証拠に他ならないのでしょう。