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泣く女 〜サマーウオーズ〜

 以前、知人から「最近の子供は、顔を覆って泣かないんですよ」と聞いたことがあります。

 京都の大学院を出て、今は北海道で教鞭をとりながら研究発表をしている彼女がいうには、自分たちが子供の頃は、泣くときは目を覆いながら泣いたものだが、今の子供たち(若者を含めて)は、顔をまともにこちらに向けながら、涙を拭いもせずに、ただ滂沱(ぼうだ)と泣くのだそうです。

 いくつか原因はあるでしょうが、おそらくはコミックやテレビドラマの影響が主因だと思うので、そのことについて近々論文にまとめようと思う、と彼女は語っていました。

 基本的にわたしは子供との接触がないので、当時は、そのハナシがピンときませんでした。

 なぜ、今、こんなことを書き始めたかというと、現在、封切られている細田守監督のアニメーション「サマーウオーズ」の予告で、ヒロインがそういった、含羞(がんしゅう)のない醜い「幼児」泣き方をしているのを目にしたからです。

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 その時、初めて「ああ、彼女がいっていたのは、このことだったのか」と合点(がてん)がいきました。

 そういえば、細田氏は、前作「時をかける少女」でも、ヒロインにそんな泣き方をさせていましたね、忘れていました。

 唐突ですが、日本で、外国人歌手が人気を博するのはなぜか知っていますか?

 古くはアグネス・チャン、欧陽菲菲や桂銀淑など、かつて外国人女性歌手には人気がありました。

 その理由(仮説ですが)を、以前に読んだことがあります。

 なんでも、日本人(特に男性)は、外国人女性歌手の拙(つたな)い日本語に幼児性を感じて愛着を持つからだそうです。

 いわゆる「ロリコン趣味」を刺激されるというのですね。

 その真偽はわかりませんが、もしそうであるなら、細田監督は、そういった傾向をもつ男性ファンを獲得するために、意識的に上記「幼児泣き」をヒロインに演じ?させているのかもしれません。

 無意識にそれを好んでいるなら、彼がそういった傾向の男だということでしょうか。

 個人的に、そういった泣き方や、自分のことを名前で呼んだりする「トシに似合わぬ幼児性」は、あまり好ましくないことだとは思います。

 泣き顔についてのハナシは、突き詰めると、泣き顔を美しいと思うか否かにかかってくるのでしょう。

 幼児は「泣き顔の美醜」など考えないから顔も隠さない。

 昔は、みっともないから、泣くときは顔を覆いなさいと教えられました。

 唾、涎、鼻水、涙、ゲップ、その他排泄物などを、身体から出す瞬間を見せるものではない、という考えかたが、かつての日本にはあったのですね。

 今は、それが自然なんだから、特に泣くことなんかは恥ずかしがることはない、といった風潮もあるようです。「自然が一番」イズムが広がり過ぎたのかもしれません。

 あるいは、かつて、旧弊(だと思えた親から)うるさくしつけられたコドモたちが大人になって、そんなルールはやめちまえ、自然なほうが良いさと、子供たちに「泣き方」を教えずにきて、その子供たちが成人してしまった、というのが真実なのかも知れません。

 個人的には、ゆがんだ泣き顔を、目の前につきつけるのはカンベンしてほしいですね。

ですが……なので……だからどうよ 真マジンガー

 書きたいことは山のようにあるのに、気がつけば、いつの間にか二週間近くブログ更新ができませんでした。

 それは、わたしが選挙運動に邁進していたから……なわけはなく、ただ怠慢だっただけです。

 ヒマヒマに、「ルナティック・ドール」以前のハナシのプロットを作ったり、時代物を書いてはいますが、そんなことはいいわけにはなりません。

 まあ、わたしの偏ったはなしを待っている人は、ほとんどいないでしょうから問題はないでしょう。

 さて、久しぶりの更新なので、テンションをあげていきます。

 ですが……

 なんて、唐突に「逆接」を持ち出す言葉の使い方をしているのを、最近よく見かけます。

 スポーツ選手たちや芸能人だけでなく、言葉が専門のはずのアナウンサーまでもが使っているからタチが悪い。

 そういえば、先日、某女性党首も使っていたなぁ。

 しかしながら、突然「ですが」といわれても、「(ナニユエ)ですが」なのかがわからない。

 妙に紋切(もんき)り型であるだけに、耳にひっかかりますね。

 なので……

 これも、よく使われている。

 ある事柄を述べて一呼吸置き、「ですが」「なので」と続ける。

 本来ならば、「そういったわけで」「もちろんそれはそうなのですが」と丁寧にいうべきところを、短い言葉でつないでしまう。

 わたしは、最近まで、地上波テレビはほとんど観なかったので、あまり自信をもって断言はできないのですが、こういった言い方を、はっきりと意識的に使い始めたのは、今川泰宏監版「ジャイアントロボ」においてだったように思います。

 この作品に影響を受けた芸能人が使いだした言葉を、ある程度英語教育を受けた人が、but、soの日本語訳的に近いことを面白がり、かつ押韻(おういん)したようなテンポも気に入って使うようになり広まったのではないか、と個人的に推測しているのです。

 まあ、少なくとも、わたし自身は使わないし、使いたくはありませんが。

 映画なり、ドラマなり、アニメなりが、成功するということは、ある意味、そのハナシから何らかの言葉が流行語になるということがあります。

 だから、時に制作者たちは、意図的に変わった表現を役者に使わせてみせる。

 さすがに「コールセンターの恋人」でとってつけたように使われる「ということです」は流行らないでしょうが。

 しかし、わたしに関していえば、その作品が「自分の中で本当に立った作品であるかどうか」は、その作品をヒトコトで代表させることができるモノが存在するかどうかにかかっています。

 特に、特撮やアニメなどではその傾向が強い。

 たとえば「ライダー・キック」

 これはいわずと知れた仮面ライダーです。

 ライダーには、「ヘンシン!」というものもありますが、これは、あまりにも亜流を生み出したために「ヘンシン」だけで仮面ライダーを特定できなくなってしまいました。

 「デッビール」といえば「デビルマン」(テレビ版)。

 まあ、変身時のかけ声や、必殺技発動時の叫びが多いわけです。

 おかげで、黎明期(れいめいき)の番組によっては、はじめは無言で技を出していたのに、途中から技名を叫ぶようになったものも多いようです。

 逆におたずねしましょう。

 ベルトといえば? まあ「ライダーベルト(仮面ライダー)」でしょう。

「科学忍法火の鳥」といえば「ガッチャマン」

「愛のムチ」といえば「ゼンダマン」

「オリハルコン」といえば「海のトリトン」かな。

 では「ロケットパンチ」といえば? これはもう間違いなく「マジンガーZ」です。

 さあ、やっと今回のテーマにたどり着きました。

 今、土曜日の深夜に、さきの今川監督の「マジンガーZ」のリメイク「真マジンガー」が放映されています。

 第一回のタイトルが「大団円」(つまりエピローグ)。

 ドクターヘルが死に、(原作通りに)ブロッケン伯爵とアシュラ男爵が同時に散って、ゴーゴン大公が吠え、金色に輝く全能神ゼウス(Zマジンガー)までが登場するというムチャクチャぶり。

 原作者の永井豪自信をして「予想もしない展開で楽しみ」といわしめた力業(ちからわざ)です。

 今回のシリーズで、何が一番すばらしいかというと、「あばりし一家」の菊之助(知っている人だけ頷いて)の年をとった姿(ハレンチ学園の最終回で登場する老婆姿の十兵衛と同じ)である「お菊さん」が異常な反応速度を持つ超人として現れること……ではなくて、クール・ビューティーである金髪アンドロイドのガミアが裸エプロン姿を披露する……ことでもなくて、マジンガーZ自身を「巨大な一本のロケットパンチに変形させる」というアイデアです。

 これで「中身はどうあれ」、このシリーズの成功は八割方決まったようなものです。

 マジンガーといえばロケットパンチ、ロケットパンチといえばマジンガーですから。

 だからこそ、「ふつうじゃあり得ない」、巨大ロボット自身を、もっと巨大なゼウス神の片腕の大きさのロケットパンチにしてしまう、という発想がすばらしい。

 しかも、大空はばたく紅の翼:ジェット・スクランダーではなく、ゼウス神の腕から作られた神の翼:ゴッド・スクランダーが変形して、「ビッグバン・パンチ」(ジャイアント・ロボにおける中将長官が命と引き替えに撃つ無敵のパンチと同じ名前)になるのですから。

 原作では、はっきりと描かれなかったはずの「なぜミケーネに巨大ロボットが眠っていたのか」ということの説明として、今川監督は、太古の昔、地球は、宇宙を二分する勢力の戦争における補給基地(惑星)だった、という設定になっており、ドサクサに紛れて地球を支配しようとした小役人(つまり「神という名の巨大ロボット」の頭脳になれるほど功績をあげていない、ただのミケーネ人)、ゴーゴン大公と二人の男女に分かれていた頃のあしゅら男爵から、ゼウス神がたったひとりで地球を守ったのだという設定をとっています。

 ゴーゴンはともかく、さすがに、あしゅら男爵が、もともと「トリスタンとイゾルデ」という夫婦だったという設定には笑ってしまいましたが(ワーグナーですか)……

 超人好きの今川氏によって、衝撃波すら手から発するようになったあしゅら男爵や、バイオレンス・ジャックに登場する小柄な「ジム・マジンガ」を呪術師ピグマン子爵としているのも吉。

 微妙に世界観の違う役者を多数とりこみつつ、自分の世界観を貫くのは、今川氏の真骨頂といえます。

 最近の放映で、暴走したマジンガーの変形した姿が「あの」魔王ダンテであったことも特筆しておかねばなりません。

 と、このように、多くの永井豪作品を組み合わせて作られている「真マジンガー」ですが、それゆえの懸念もあります。

 まさか、バイオレンスジャックみたいに、「終わってみればデビルマン」じゃないよね、という懸念が。

 そうならないように祈りながら、最終回までの数話を待っているこのごろです。

(ちなみに、わたしは田舎に住んでいるので、直接テレビ放映は視聴できません。放映終了直後から一週間行われるバンダイチャンネルのネット配信
http://www.b-ch.com/
で観ています。第一回はいつでも視聴可能)

 なろうことなら、最終回までに「アニマル・ケダマン」を出してほしいなぁ。

 ですが……

ジェダイって強かったんだ! 〜クローン・ウオーズ〜

 今、某ハイビジョン放送で、スター・ウオーズ「クローン・ウオーズ」(ああややこしい)を放映しています。

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 2008年公開映画の続編となる3DCGアニメーションで全100話構成の予定だといわれています。

 実のところ、どちらかというと、わたしはスタートレックのファンで(先日ディアゴスティーニの「週間スタートレック」をコンプリートしました。あらためて計算すると数年感に15万円をつぎ込んだことになります!)、スターウオーズについてはほとんど興味がありませんでした。

 かの、アーサー.C.クラークに「スターウオーズの宇宙空間で爆発音が聞こえるのはかまわないんだよ。わたしはあの映画の大ファンだから」と言わしめた映画ではあるものの、最初の公開時(エピソード4)から、ストーリーに魅力を感じなかったので、一度も映画館に足を運んだことはありません。

 さすがにテレビ放映されたものはいくつか観ました。

 当時、映像はすごいと思いましたがストーリーに惹かれはしませんでした。

 ステレオタイプの英雄モノ、しかも程度の低い西洋チャンバラにしか思えなかったのです。

 「ジェダイ」というものが、何かわかりにくかったということもあります。

 英国における円卓の騎士のように、たいして強くはないものの名前だけが残っている英雄の子孫、みたいに思っていたのですね。

 それが、時代設定がエピソード1にもどり、エピソード2になったころから、ジェダイの騎士のスーパーマンぶりが、わたしの好みにあってきました。

 特に、オールCG化された宮沢総理、じゃなくてヨーダの超人ぶりには目を見張らされました。

 そして、このCGシリーズです。

 これに先立つ前作の、いかにもアメリカンコミックのようなショート・アニメーションシリーズは特に面白いとは思いませんでしたが、30分の尺でCG化された本作品では、まさしくジェダイナイツはスーパーマンです。

 超能力を使って空を飛びレーザーを跳ね返し、もうほとんど無敵です。

 もっとこういった感じで映画を作ってくれたら、スターウオーズファンになっていたのに、と少しばかり残念です。

 相変わらず、デフォルメされたCGではあるのですが↓、

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映画ほど悪相ではないにせよ、なかなかアナキンのワル顔(今のところ正義の味方で良いヤツです)が決まっています。

 とくに、後のダースベーダー:アナキンに、女性のパダワン(弟子?):アソーカ・タノが登場するのが良いですね。

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 このシリーズに続く(という設定の)映画では、アソーカは出ていなかったように記憶しているので、その経緯も今後の100話で描かれるのでしょう。

 いかな絶対絶命のピンチになっても、涼しい顔で冗談をいいつつ肩をすくめる、オビ・ワンとアナキンの師弟コンビはかなり魅力的です。

 人やドロイドはCGの限界か、動きが軽すぎて嘘くさいのですが、巨大戦艦などのCGは、細部までクリアな映像でなかなかのものです。

 というわけで、今後の展開に期待したいと思います。

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