記事一覧

ビルマはビルマ

 もう随分前になりますが、「荒城の月」と「花」の英語歌詞を作って欲しいと頼まれました。
 半分仕事のような個人的な依頼だったので、ずっと先送りし続けていましたが、いよいよ取りかからなければならなくなって、資料をこねくりまわし始めたのですが……

 日本語の歌詞なら、恥ずかしながら「ネイティブ」なのでなんとか作ることができるのですが、英語の歌詞は、押韻するのもシラブルを考えるのも難しいのです。

 これも頼まれて、組曲ペール・ギュント(グリーグ)の「ソルベーグの歌」や、トスカ(プッチーニ)の「歌に生き愛に生き」の日本語歌詞も先日作りました。

 日本語なら原詩のイメージを残しつつ言葉にすることができるのですが、やはり英語はムツカシイですね。

 歌曲を歌われている方で、その歌詞を歌ってやっても良い、という方がおられるかもしれないので、別項でその歌詞も挙げておきます。

 で、それが、今回のタイトル「ビルマ」とどうつながるのかということですが、外国の歌を調べているうちに「埴生の宿」に行き当たったのですね。

 ご存じのように……いや、たぶんご存じとは思いますが、若い方で、ご存じない方のために書いておくと、「埴生の宿」は、もともとイングランド民謡です。たしかアメリカ人がリメイクし「Home,Sweet Home」として、世界に広がったものです。

 日本では里見義が歌詞をあてています。

「埴生(はにふ/はにゅう)の宿も 我が宿~」で始まる、イングランドやアイルランド特有の抒情に満ちた美しい曲です。

 念のため書いておくと、埴生の小屋とは埴土(しょくど)に立つ小屋、埴土とは、粘土質で水はけの悪い畑作に適さない貧しい土地の意味で、要するに、耕作に向かない貧しい土地に立つ家、貧乏な家の意ですね(万葉集)。
 あるいは、埴土の上に屋根を作り、土の上にそのまま寝るような貧しい家のこと(平家物語)という意味もあるようです。

 里見義も難しい表現を使いますね。おそらく明治時代には、一般的な表現だったのでしょう

 つまり、ビンボったらしい小汚い小屋でも、我が家は我が家、「Home,Sweet Home」の直訳です。

 そして、わたしたち日本人には、なんといっても映画「ビルマの竪琴(たてごと)」で、日本を思って歌われる印象的な歌です。

 え、「火垂るの墓」しか知らないって?

 カンベンしてくださいよ。
 戦後、焼跡闇市派(やけあとやみいちは)の作品ってのは、どうも苦手でいけません。
 とにかく、わたしにとって、埴生の宿といえば、「ホーム、スイートホーム」、貧しくとも楽しい我が家、いざ帰りなんあの土地へ、という歌の内容を見事に作品に取り込んで作られた「ビルマの竪琴」が思い出されるのです(特に映画、しかも中井貴一のリメイクじゃないやつ)。

 さて、ここからが本題です。

 先日、日本で、ビルマの解放を願って報道と活動を続けている人々の話を聞いたのですが、彼らは、ビルマ人を含めて、自らの国を「ビルマ」と呼んでいるのですね。

 穏やかな口調で、日本のマスコミ各社が当然のように使っている「ミヤンマー」という国名は、現軍事政権が勝手に決めた名前であるから使いたくない、と。

 すごいなぁ。ATOKはビルマと入力すると、ミヤンマーに変えようとするぞ。
 IMEは、うちのは古いからそんなことはしないな。

 現在の政権に異を唱える人々は、自国を「ビルマ」と呼んでいる。
 しかも、アメリカのマスコミ報道は、通常、あの国を「ビルマ」と表記しているというのです。

 じゃ、なんで日本はいそいそと、ビルマからミヤンマーに呼び名を変えちゃったの?

 
 ビルマという国名に関しては、前に面白い話を聞いたことがあります。

 ビルマとは、日本が勝手につけた名前で、ビルマの長い歴史で、彼らが自らをビルマと呼んだことはなく、外国がそう呼んだこともなかった、と(似たような名の地方都市はあったそうですが)。

 たしか、二十年ほど前に、軍事政権がミヤンマーと名を変えた時に、日本ではよくそういった報道がされていたように思います。

 それが事実なら、今、ビルマの解放を願う人々は、日本が勝手につけた、どの時代でも、どの世界でも使われたことの無かった「ビルマ」という名を旗印に解放運動と解放報道を続けていることになります。

 もちろん、それを根拠に、現政権より日本軍統治下の方が良かったからだ、などとはいいません。

 しかし、日本のマスコミは、その事実を、もう少しちゃんと理解すべきなのではないでしょうか。

 国名変更から数十年を経て、人道的にいかがなものか、と世界的に非難があつまる国(ある調査では、ビルマの国民の自由度は世界で一番下から二番目、最下位はいわずとしれた北朝鮮)を、日本の大好きなアメリカのマスコミでさえ「ビルマ」と表記する国を、日本のマスコミは、ミヤンマーと呼び続けているのですから。

 政府が、国家間で、ビルマをミヤンマーと呼ぶのは仕方がない。

 しかし、マスコミは、国のようにビルマが持つ天然ガス、レアメタルなどの豊富な天然資源に目がくらんで、ミヤンマー軍事政権に迎合(げいごう)してはいけないと思うのです。

 前政権から数十年にわたって、カネをもらい続けていた、偏向報道ががお得意の評論家、新聞社に何をいいってもムダかもしれませんが(一部週刊誌をのぞいて、あの野中発言をまったく報道しない<否定を含めて>マスコミのオソロシサを、皆さんはどうお思いなのでしょう)。

石上神宮 七支刀を見てきました

 遷都1300年事業の一環で、石上神宮(いそのかみじんぐう)で、国宝・七支刀が六年ぶりに公開される(2010年5月17日~6月11日の平日のみ)と聞いて行ってきました。

 http://www.jalan.net/kankou/evt_0083241.html

 あの、刀身に6つの枝があって、抽象化された炎みたいな形の刀です。

ファイル 542-1.jpg

 といっても、「見に行きます、はいどうぞ」というわけにはいきません。

 あらかじめ往復はがきで申し込み、「当たれ」ば拝観できるという勿体つけぶりです。

 申し込みが必要と知った時点で、かなり気持ちが冷めたのですが、以前より、この刀はぜひ見たかったので、久しぶりに往復はがきを買いました。

 前にどこかで書いたと思いますが、基本的にわたしは、あまり歴史的な「モノ」に共感を感じません。

 かつて、スミソニアンで見たセントルイス号もただの赤塗りの複葉機でしたし、月から帰ってきたアポロのカプセルも、小さすぎてなんだか月着陸すら疑問に思える素人細工のオモチャに見えました。

 いわゆる、サイコメトリー的に、歴史的遺物に触って、そこから何かを感じようとすることに何か抵抗を感じるのですね。

 厳として存在する歴史というものに、凡夫が触れるだけ、あるいは見るだけで何かを感じとろうなんて甘いですよ。

 だからこそ!

 小さい声でいいますが、美術館や博物館に押し寄せる物見遊山の老人たちは、あまり好きではありません。

 ただ、「ソレを観てきた」と他人にいいたいだけ、または見るだけで何かを感じられるカモと期待して押し寄せる連中が、ずっとその作品に興味と憧憬を持っていた方々、本来その作品を見るべき人々の閲覧を邪魔するべきではないと思うのです。

 だから、わたしは有名作品の特別展示には、なるべく行かないようにしてます。

 それに、有名でない作品の展示をしている時の美術館の方が魅力的です。

 日本に来たばかりのパンダ、あるいはヨン様の追っかけと同じ感覚で、永徳の洛中洛外図を観にきた人々の頭を見るより、無名の仏像展示をしている時の、人影少ない常設展のほうが、ずっとゆっくり楽しんで閲覧できますから。

 まあ、美術館や博物館も、人が来てくれないと、高い金を払って外国から作品をかき集められないでしょうから、人混みは仕方ないのかもしれませんが。

 要するに、わたしは、ただの天の邪鬼なんでしょう。

 話が脱線しました。

 とにかく、わたしは、そういったモノ自体にあまり興味はないのですが、七支刀(しちしとう:ななつさやのたち)の刀身には漢字が刻まれています。

 朝鮮半島と日本の関係を示す、現存する、最古の文字史料です。

 しかも、人によって違う文字に見立ててしまうほど摩耗した文字が!

 これは、自分の目で見てみたい。

 石上神宮は、もともと朝廷の武器庫です。
 
 七支刀は、長らく御神体として見ることも触ることも許されませんでした。

 江戸時代に、あの水戸黄門が「大日本史」編纂のために使わした使者も追い返されているほどです。

 しかし、明治になって、廃仏毀釈のため職を失ってやってきた水戸出身の菅政友が、さび付いた刀身の一部が金色に光るのを不審に思って小刀でガリガリ削ったところ(本人の記録による)中から、金象嵌(きんぞうがん:彫った部分に金を嵌め込む手法)が施された文字が現れたのです。

 このあたりがイイですねぇ。

 ずっと神社に使えていた宮司なら、ご神体を削るなんて考えもしなかったでしょう。

 刀身は損傷が激しく、文字の判別が難しいところもあるのですが、まさか無頓着にガリガリやった時に、誤って削ってしまったんじゃないでしょうね。

 ともあれ七支刀。

 形状からいっても実用性はゼロだったでしょうが、刀というからには一応は武器です。

 武器ならば見たい。

 モノはともかく、コトバや表意文字である漢字には興味もあります。

 というわけで行ってきました。

 ジーンズ、ミニスカート禁止ということで、久しぶりに白シャツとダーク・ジャケットという格好です。

 天候には恵まれましたが、境内は閑散としていました。↓

ファイル 542-2.jpg

 名物のニワトリ放し飼いは、相変わらずです。↓

ファイル 542-3.jpg

 境内に作られた待合いテントには、すでに閲覧を待つ人々が座っていました。
 今回の定員は50人程度だったと思います。

ファイル 542-4.jpg

 わたしも、黄緑色の閲覧パスを首からかけて、パイプ椅子にすわりました。

 老人8割、その他2割というところですね。

 あれ、若い人は数人をのぞいて男女ともジャケット着用、あるいは暗色の服を着ているのに、老人たちのほとんどはポロシャツにパステルカラーの服です。

 まさか「なんか分からんけど、一応見ておくか」派の人々ではないでしょうね。

 嫌な予感がします。

 以下、次回に続きます。

さとり世代、ですかぁ?

 近頃、2チャンネルで「ゆとり世代」の次は「さとり世代」じゃないの?という意見が出て、ひろゆき氏がそれを支持するような発言をしたため、世間に広がりつつあるようです。

 でも、どうなのかなぁ。

 草食系で、あまりガツガツしない若者って、悟ってるの?

 似而非(エセ)悟りでしょう、それは。

 ほら、よく会話で使われる「なに悟ったみたいなこといってるの?」ってヤツと同じで、単に「意欲がないだけ」じゃないのかな。

 少し前に書いた「時代の閉塞感」と、付け加えれば、シャカリキ(語源知ってますか?)にならずともなんとか食っていける「国としての豊かさの名残(なごり)」のおかげで、遠い目標と近くの目的を見失い、何につけてもヤル気をなくしている若者を「悟る」というコトバで表現するのは間違いです。

 一見似ているようにみえて、まるで違う。

 片方は中身が空っぽ空虚で寒風吹きすさび、他方は、これ以上ないほど充実したが故の、外面的静けさなのですから。

 でも、なんとなく定着しそうな気がしますね、このコトバ。

 ヒトは、本能的に、名前のないものを恐れるものですから。

 正確でなくても、語感がよくて、雰囲気さえ似ていれば、似て非なる物でもその名をつけて安心したがるものです。

 いまの「意欲のない若者」がブキミなだけに、オトナたちは「さとり」世代という名前をつけて、きっちりと自分の中で分類したいのでしょう。

 あの寓話に出てくる、木こりをからかったあげく、飛んできたオノの頭で顔面を粉砕されて死んでしまう、サルに似た心を読む化け物、覚(サトリ)だというなら、なんとなく納得はできるんですがねぇ。

ファイル 541-1.jpg

↑鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「覚」

 そうだなぁ、あえていえば「さとり」には一歩およばぬ偽物ということで、「さとら」世代ってのはどうでゲス、ダンナ?

 「り」のひとつ手前ってことで「ら」。
 「悟られん」にもひっかけて。

 さとら世代――

 うん、これなら納まりがいいな。 

ページ移動