堀江貴文氏がいうところの、「周回遅れ」の「さらに周回遅れ」のコメントでナンなんですが、一連の「勝間-ひろゆき」発言関連で、思うところがあったので書いておきます。
ご存じの方も多いと思いますが、ことの始まりは、ひろゆき氏が、このGW中に放送された、勝間和代氏の番組に出演したおり、その対談で(どうみても意図的に)勝間氏の意見をのらりくらりとはぐらかす彼に業を煮やして、彼女が「ダメだコレ」と発言したことでした。
話の流れからすると、勝間氏のいう「駄目だコレ」は、ひろゆき氏を指すのではなく、、あきらかに、今回の対談はダメだった、という意味なのですが、「睡眠不足でいらだって不機嫌だった(本人のブログによる)」ひろゆき氏は、その言葉尻をとらえて、「確かにボクは言葉を知りませんが、ダメだコレはないでしょう」と、「ダメなコレ」が、自分を指すかのようにミスリードして勝間氏にダメージを与えようとしました。
あ、youtubeにリンク張ろうとしたら消えてる。
まあ、探せば、どこかで見ることが出来ると思います。
それにノセられた、あるいは分かっていてノッた人々が、ツイットやブログで騒ぎ立てたため、少々大事(おおごと)になって、最終的に勝間氏が自身のブログで釈明謝罪をすることになった(謝罪のみはできない、というのがディベート好きな彼女らしい)というのが騒動の顛末です。
これは、まあどうでもいい。
その点について興味のある方は、ひろゆき氏のブログや勝間氏のブログをみてください。
ひろゆき氏のはなし↓
http://www.asks.jp/users/hiro/68256.html
勝間氏のブログ↓
http://www.katsumaweb.com/modules/d3pipes/index.php?page=clipping&clipping_id=569
ひとことだけ書いておくと、これは、フォト・リーディングによって大量の「知識」を詰め込み、視点を固定したまま(ちょっと怖い)、まるでマジシャンがロープでつながった万国旗を、帽子からツルツルと引っ張りだすように早口で言葉を連射する勝間氏に対して、多くの人が何となく感じる「独りよがりさ」を、(機嫌の悪かった)ひろゆき氏がピンポイントで狙い撃ったということなのでしょう。
文章はともかく、たまに画像で見る彼女の言動に、わたしは長らく違和感を感じてなりませんでした。
それがある時、その違和感は、彼女がまるで地面に掘った穴に向けて「王様の耳は~」と話し続けているような感じがするからなのだ、と気がついてスッキリしたことがありました。
上で「独りよがり」と書きましたが、文字はともかく、勝間氏の会話には相手がいないように思えてならないのです。
(おそらく)彼女も、素人相手の講演や交流会などでは、もっとゆっくり話をしているのでしょう(見たことないから知らないけど)。
しかし、討論などでは、相手の知力を最大限に評価した上で、そのスピードで話そうとされるのですね。
ワンセンテンスごとに、自分の言葉が相手にしみこんでいるかどうかの判断は後回しにしてね。
そんなふうにみえる。
でも、公開の場の会話なら、それを見ている人もわかるように、ある程度ゆっくり特殊な言葉を使わずに話すべきなのではないかなぁ。
彼女の話ぶりを見ていると、いつもわたしは、このブログでも何回か引用した、伊丹十三氏の言葉を思い出すのですね。
「プレイボーイというのは、男としての自信のなさを、落とした女の数で示そうとしいるだけの哀れな男なのだ」
これは名言です。
個人的には至言といっても良い。
これをあてはめると、
「自らの意見についての自信のなさを、大量の情報と言葉の多さで糊塗(こと)しようとしているだけなのだ」
という感じでしょうか。
とにかく、彼女が話すのを聴くと、ボーレートの違うモデム同士が無理矢理ネゴシエイションしているような気がするのですね。
300bpsのビーガリガリと2400bpsのギャギャーは繋がらんですよ。
↑古すぎて今の人にはわからないでしょう。分かる人だけ頷いてくれたら嬉しいです。
さて、ここからが本論です(って、まだ入ってなかったの?)。
上の騒動に関連して、ホリエモンこと堀江貴文氏が以下のように書いています。
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10526599498.html
これは面白いですねぇ。
堀江氏に関していえば、個人的には好き嫌いはありません。
頭の良いコドモであるとは思います。そして性格的にどこか歪んでいる。
さらにいえば、ただの人間です。
だから、若い頃は、かなり理想論をかざして会社を起ちあげたものの、ライブドアを買収し株式売買で大金が転がり込んでくると、ごく普通に金に翻弄されてしまった。
そんな印象ですね。世間に流れる情報から判断しただけなので違うかも知れませんが。
ただ、彼が週刊誌や新聞で書いたり話したりするコトバは信用してはいけないと思っています。
そもそも、彼はマスコミを馬鹿にしています。
いや、自分で頭が良いと自負する人間の多くがそうかもしれませんが、自分以外の誰もが自分より頭が悪く、共に語るに足らないと思っている。
だから、マスコミと、それにぶら下がっている衆愚(わたしが思っているのではありませんよ)相手には、テキトーな思いつきで引っかき回してやれ、と思っているようにみえてならないのです。
たとえば、以前に彼は某新聞紙上で、
「世の中、金だ。小学校の時の劇で、一番可愛い子が主役をやらずに、街の権力者のブサイクが主役だった。つまり金だということでしょう」
などと書いていました。
これを普通にとってしまえば、世の中を知らないバカ小僧ということですが、わたしにはそう思えない。
あるいは、
「マスコミなんかいらない。インターネットに情報は落ちているから、それを集めれば雑誌や新聞をつくることができる」
なんていったこともあった。
さすがに、これはジャーナリストの総スカンをくらいましたね。
でも、わたしには、そんな言動さえも、「どれぐらいトンがったことを言えば、やれば、世の中が我慢できなくなるのか調べてやれ。面白いし」といった、奇矯な行動に走る奇癖が彼にあるような気がするのですね。
分かっていてやっている。
いわゆる、間違った使い方の「確信犯」です。
ご存じのように、本来、「確信犯」に、わかってやっているの意はなく、道徳的、宗教的あるいは政治的な確信に基づいてなされる犯罪、という意味しかありません。
一般的に用いられる用法は今のところ間違いです。
まあ、いずれ間違った意味が定着するのでしょうが。
ただ、彼は、世の中全部を馬鹿にしているのではなく(そうしないほどには頭が良いからです)、中には、一目おく人間もいることを知っている。
上記ブログを呼んでもわかるように、その「一目置く人」がひろゆき氏であり、つだるの津田氏なのですね。(ひろゆき氏とは対談集も出ている)
残念ながら、勝間氏はそれに入っていない。
少し前の「朝まで~」(録画したけど、ナナメ観で消してしまったなぁ)で、結構、勝間氏から「私たちヤング世代」と仲間扱いしてもらっていたのに、冷たいなぁ、堀江氏は。
で、これから、本題中の本題になります(え、まだだったの?)。
ブログの中で、堀江氏は以下のように書いています。
「ひろゆきと論戦をするならば、もっと違った観点でこっちも本質的なところを攻めていかなければならない。一般論やありふれた言説をただなぞるだけだと、このように反撃されるのだ」
前半部については、個人的には、ひろゆき氏が「本質的」なことをいっているとは思いませんでした。
「儲ける金の金額ではなく、仕事自体の歓びにこそ幸せが在する」という、一般的な幸福論を述べた、ということですね。
それに対して、勝間氏の説く「人から認められ、それに見合った金を儲けることが幸せ」も、耳障りはよくありませんが、幸福論のひとつです。
好き嫌いはあっても、優劣はない。正誤もない。
今日、食べる金もないドン底の生活を経験した人間にとって、金を無視した幸福論は容認できないものですから。
後半部、「一般論やありふれた言説をただなぞる」という言葉がでるのが、やはり堀江氏の頭の良いところですね。
見事に勝間氏の可能性と限界を言い得ています。
彼女の不幸は、見える人には、(事実はどうであれ)そう見えてしまう、ということですね。
あれ、まだ本題に入ってない。どうしよう。
つまりね、前半部の、勝間氏は表層を、ひろゆき氏は本質を観ている、という部分に、ホリエブログを見ている多くの読者が反応したわけですよ。
そのほとんどが、堀江さん、あんたは正しい、「ひろゆき本質、勝間表層」バンザイ論だったのが、どうにも気になったのです。
上でも書いたように、二人の幸福論に優劣はない、正誤もない、とわたしは思うのです。
おそらく、堀江氏も、適切な言葉を思いつかなかったから、ノリで「本質」云々(うんぬん)と書いたと思うのですね。
よく考えれば、本質、非本質なんてそんな単純な話ではないことはわかるはずです。
それを、堀江氏の言葉にのって、ひろゆき本質、勝間非本質~などと浮かれて、ハメルンの笛吹き(パイドパイパー)についていくコドモみたいに、堀江氏の意見についていくのは危険です。
なぜなら、彼は、マスコミ(ネット含む)とそれに群がる人々をバカにしている男なんですから。
誠意のほども、甚(はなはだ)だ不明瞭な人間ですし。
笛の音に浮かれてあとを付いていくと、どことも知れぬ山奥で、舌を出してどこかへいってしまうかも知れませんよ。
その点では、勝間氏の方が、笛吹としては誠実さがあるかな。
少なくとも、あとをついていって、サーカスに入り、自堕落な生活をするうちにロバになってしまう、なんてことはないでしょうから(あれ、こりゃピノキオか)。
結婚しないワーキングガールを大量生産した、かつての雑誌「クロワッサン」のように、崖っぷちまで連れていかれてから、我が身に危険を感じた彼女が、用意万端、自分だけパラシュートで飛び降りる姿を、涙目で見送る可能性は否定できないけれども。
あー、読み返すと、どうも悪意がある文章だな。
すみません。
ピースウォーカーがなかなか進まなくて機嫌が悪いんです。