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繁栄の終焉 「老いてゆくアジア」

 先日、二年前に、中公新書に「老いてゆくアジア」を書いていた日本総研調査部 大泉啓一郎氏の話を聞きました。

 非常に面白く、そして重要な問題提起を含んでいたので、それをまとめて、自分なりの意見も添えておくことにします

 ちなみに、この項は「夕暮れ時は影が大きく伸びるモノ EU脅威論ってホント?」と対になっています。

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 一般的にアジア、特に東アジアは成長力があるといわれている。

 曰く、世界経済の牽引車、成長株ナンバーワン。

 よって、経済通の間では、東アジアの成長力をどのように日本に組み込むかが肝要だといわれ続けている。

 確かに、今、アジアには勢いがある。

 だが、近い将来、アジアは、急速に老いていく可能性があるのだ。

 エネルギーにあふれる影で、密かに、そして確実に少子化は進んでいる。

 だから、20,30年後にまだアジアが成長しているとはいえないのだ。

 一般に、経済の成長にはいろんな要素がある。

 たとえば、産業革命のように、高度なイノベーション(技術革新)のおかげで生産性が飛躍的に伸びる、道路などのインフラ整備が整い流通が確立される、など。

 その中でも、かなり大きな要素は人口である。

 人口、つまり労働量と購買層数だ。

 これが多いと国が豊かになる。

 逆に、少子高齢化が起こると人口が先細る。労働力が減る、購買層が少なくなる、よって経済が衰えるのだ。

 それが、いま、日本を筆頭に、アジア全体に起こりつつある。

 簡単な指標として出生率を見てみると、日本は1.3以下だが、韓国、台湾、香港、シンガポールは、日本よりさらに低い。

 タイは1.5
 中国も1.6

 つまり男と女二人のヒトから1.6人しか子供が生まれない。
 これでは人口は減る一方だ。

 アジア地域で、そろって出生率がさがっているには共通の理由がある。

 1.子供を産む前提となる「結婚に対する価値観」が変わってきている。
   バンコク、上海、北京などでも結婚しない若者が増えている。

2.子供の養育に金がかかる。
  学費が収入に対して高額である。
  さらに、中国でもそうだが、高学歴になれば高所得になる。
  つまり、
 
  子供を産んだら学歴をつけなければならない
  →金がかかる
  →子供を産まない。

 の流れができる。

 アジアの農村でも同様のことは起こっている。
 農家の親も現金収入が欲しければ、子供を都会の事務員にするからだ。

 これまでアジアの成長を支えていたのは、人口の多さだった。

 上でも書いたように、それにともなう多くの労働力と購買者数。

 作り手が多く、買い手も多いために、経済がまわっていたのだ。

 ここで、人口の年齢分布の違いを見てみよう。

 第二次大戦後に、数多くの子供が生まれた。

 いわゆる、戦後ベビーブーマーといわれる世代である。

 個人的には、「戦争終結による開放感、安心感、および人口激減による危機感が相まって、人々が多く子供を作ったのだ」と考えているが、これで「縦軸を年齢」「横軸を人口」にした棒グラフを作ると、下が広く上が狭い「ピラミッド形」を描く。

→1.「人口爆発形」(現在のインド、アフリカ諸国)
ファイル 515-1.jpg

 この時、国レベルで見た場合、子供が多く、まだ労働人口が少なく国は貧乏である。

 やがて、出生ブームが去って人々が子供を作らなくなると、この広い部分がそのまま上にスライドしていき、上が狭く真ん中が広く下が狭い「菱形」になる。
→2.「人口ボーナス享受形」
ファイル 515-2.jpg

 経済的に負担のかかる子供の数が減り、労働人口が増え国は豊かになる。
 つまり、あらかじめ、貯蓄しておいた人口分布の恩恵(ボーナス)を受けて国は栄えるのだ。

 最後に、広い部分が上に行き、つまり老人が増え、子供が少なくなると、逆ピラミッド型になる。これが現在の日本の姿だ。
→3.「少子高齢化形」
ファイル 515-3.jpg

 ご存じの通り、老人が増え働き手が少なく、国は貧乏になり、先行きが不安で子供を作らず、さらに少子高齢化になる「少高スパイラル」(わたしが勝手に名付けました)となる。

 ここで、注意しなければならないのは「人口ボーナス」を享受できるのは、

1・労働人口が多く
2.彼らが働く場所が整い
3.そのための教育を受けるインフラが進んでいる

 場合であるということだ。

 アフリカのように、ただ人口が多いだけでは国が爆発的に豊かにはなれない。

 これをうまく享受できた国は、日本、韓国、台湾、シンガポールなどの国であり、中国は、長く「社会主義」を続けていたために、ギリギリボーナスを使えただけと考えられる(中国の人口ボーナスは1970年80年代と考えるため)。

 中国でも他の東アジアと同様に、第二次大戦後にベビーブームがあったのだが、社会主義だったためにベビーブーマーが農村に残ったのだ。

 そのために、中国の経済的立ち上がりは1980年代後半である。

 それゆえ、理屈からいって、中国が、人口ボーナスが終わる前に先進国になっているかどうかは分からないということになる。

「生産年齢人口のピークが老人になる」、つまりグラフの広い部分が上になる時期を人口ボーナス終了時期と考えると、

それは、

 日本 1999年~1995年
 韓国、台湾、香港、シンガポール 2010年~2015年
 中国 2010年~2015年

となって、中国の労働人口は、2015年程度をめどに減り始めることがわかる。

 もちろん、日本は十年以上前から減っている。

 もっとも、人口ボーナス論は理論値であるので、実際には、中国の農村にある過剰労働人口(2億人!)が、まだまだこれから都会に流出するために、人口ボーナス終了時期は、もう少し伸びるだろうと考えられる。

 また、地域の格差によって、人口ボーナスが見かけ上続いているように見える都市もある。

 たとえば、上海は「一人っ子政策の効果?」で、すでに少子化となっている(0.6人)が、周辺地域からの人口流入で、今も繁栄を誇っているのだ。

 とはいえ、ヒトは歳をとると移動したくなくなる。

 冒険もしたくなくなるものなので、都市近郊の農村に住む人々も、30代を越すと今の生活を捨てて都会に出て行かなくなるのだ。

 そのため、いつまでも、地方農村部からの人口流入で、上海が繁栄を続けることはできないだろう。

 どんな国も、やがては頂点を過ぎて高齢化に向かう。

 そのスピードを計るのが、高齢化率(65歳以上の人が占める人口比率)が7%から14%になるのに、何年かかったという指標(倍加年数)だ。

(国連は、高齢化比率が7%を超えた社会を「高齢社会」と定義している)
 

 それによると、日本が7%になった(高齢社会になった)のが1970年、14%になったのが1994年、つまり24年かかっている。

他のアジア諸国と比較すると、

 日本     24年
 韓国     18年
 香港     30年
 シンガポール 16年
 中国   23~25年

 ちなみにヨーロッパの倍加年数は、

 フランス   115年
 スウェーデン 85年
 英国     47年
 ドイツ    40年

であるので、欧州に比べて、アジア、特に東アジアの高齢化が異常に速いことがわかる。

 実際に、アジアの国々では、礼儀を含めた伝統文化の破壊と少子高齢化が激しく、日本以上に危機感を持っている国が少なくないのだ。

 ノンビリとした農村、皆が顔見知りの、しっかりしたコミュニティ、親子三代の大家族など、日本の戦前ノスタルジーを、東アジアの国々に求めるのはもはや幻想といってよい状態だ。

 たとえば、タイでは「家族開発計画」なる施策が行われている。
 内容は、「おじいさん、おばあさんを大切にしよう」「近所の人に会ったら挨拶をしよう」といった、戦前の日本にあった修身(しゅうしん)に近い笑止な内容であるという。

 それほど、アジアにおける近年の「コミュニティ破壊」は深刻だ。

 アジアに、かつての日本の郷愁を求めても、無駄になってしまっている。

 最近では、先を行く日本に、その問題点と対策を相談に来るアジア諸国も多いのだ。

 以上から得られる結論(暫定的)は、EU脅威論同様、東アジア脅威論、なかんずく中国の「極限的経済発展脅威論」もマユにツバをつけながら考えていかなければならない、ということだ。

 しかし、EUと違い、東アジアの経済状況は日本に大きな影響を及ぼす。

「日本を脅かす韓国、中国、台湾の発展が衰えて良かった」などという近視眼的な安堵でこの「去って行きつつある人口ボーナス」を捉えてはならないのだ。

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 では、なぜ、東アジアがヨーロッパ各国に比べて、早く高齢化してしまったのか、次回はそれについて私見を書くことにします。

懐かしきヴァージニア>懐かしの野営地

 先日、単車に乗って出かけた帰り、信号待ちでエンジンを切って(二輪なのにエンジンストップしてるんです)待っていると、なんだか、懐かしいカンカンという音が聞こえてきました。

 どこから音が聞こえるのかと、ヘルメットを跳ね上げ(前に、このブログでも書きましたが、わたしのヘルメットは前部跳ね上げ式のフルフェイスです。かぶったままアイスクリームが食べられて便利!)て、あたりを見回すと、見つけました。↓

 シルバー人材センターの脇に立つフラッグ・ポール、つまり国旗掲揚用のポールに、旗揚げロープが風にはためいて当たって立てる音だったのですね。

ファイル 514-2.jpg

 これは懐かしい響きです。

 かつて、ボーイスカウトに所属して、休日になれば小学校の校庭や、近くの神社でテントを張って野営の練習をさせられていたときに、よく聞いた音です。

 県営の球場や陸上競技場などでも耳にする音ですね。

 一日の活動を終えて、シュラフ(いまはスリーピングバッグというのかな)にもぐりこむと、遠くで、このカーン、カンカーンという、妙によく響く音が聞こえてくる。

 連日、その音を聞きながら眠りについたのを思い出しました。

 個人的には懐かしい響きです。

 それで、さらに思いだしたことがありました。

 ボーイスカウトといえば「スカウト・ソング」というものがあります。

 ご存知のかたも多いでしょうか?

 「ジャンボリーの歌」とかね。

 いろいろあるのですが、あの中で、わたしが特に好きだったのは「懐かしの野営地」でした。

 朝6時に起床して、「配給」の笛の音でバケツを持って本部と野営地を往復し、薪を割り、タチカマドで食事を作り、オリエンテーリングに出かけ、結索技術(ロープ結び)を練習する。

 夕方近く、疲れた体をテントの中で横たえていると、遠く離れた本部テントあたりから、この曲が流れてくるんですね。

 ♪いざゆかん懐かしの
  夢のふるさと那須の森
  鳥は歌い木々は笑み 
  われを招く丘の家
  わが友と佇む~♪

 他の多くのスカウト・ソング同様、名曲に歌詞を付け替えて換骨奪胎したものですが、これがいい。

「懐かしの野営地」は、原曲をグラント作曲の「懐かしきヴァージニア(Carry Me Back)」というアメリカ民謡から得ていますが、尾崎忠次氏のすばらしい歌詞によってスカウトソング随一の名曲になりました(個人的感想)。

 いやいや、あまりに個人的思い出ばかり書くのもいけませんね。

 ともかく、何気ない音で、いろいろと忘れていた記憶が喚起されることがあるものだなぁ、とあらためて、ヒトの記憶の不思議を感じた次第でした。

Youtubeに原曲のオカリナ演奏がありました。↓

夕暮れ時は影が大きく伸びるモノ EU脅威論ってホント?

ファイル 513-1.jpg

 今回は、ちょっとマジメに、世界ジョーセーにおける、ここ数年の過去と未来について、現在わたしが考えていることを、いくつか書いておきます。

 しかし、時代の変化というのは、面白いものです。

 世が世なら、どこかの農場で空を見上げ、今日は落ちるか、明日は空が落ちてくるかとヤミクモに頭をかかえて明日を心配するだけの農民であったに違いないわたしが、インターネットや様々なメディアを通じて、明日よりも、もっと先の未来を憂うことができる。
 まあ、マスコミや政府が選別し、あるいは意図的に流すガセ情報からは、間違った結論しか出てこないのですが。

 間違ったインプットから真実が出てくることは、ほとんどありませんから。
 (そのことについては「デジタル技術を媒体にした情報入手の危険性」というテーマで次回書くつもりです)

 まず、書いておきたいのは、マスコミや(自称)経済専門家が、こぞって、世界経済の脅威として報道してきたEU経済圏の実体についてです。

 ヨーロッパ各国がユーロに貨幣統一された時、ほとんどの経済シンクタンクの専門家たちは、その巨大な経済圏を、アジアなかんずく日本に対する重大な脅威だと声高(こわだか)に叫んでいました。

 しかし、それについて、わたしには違和感が感じられてならなかった。

 なぜなら、それは「ヨーロッパはひとつでなけれがならない」という理想のもと、どうみても、不良国(経済的に)を抱え込んでの経済統合だったからです。

 よくいわれるように、鎖の強度を決めるのは「その中の一番弱い環」です。

 他がいかに強くても、弱い部分で切れればそれまで。

 ドイツやフランスがどれほど頑張ろうとも、経済的不良国を抱えての統合には無理がある。

 ヒトに例えれば、いかに図体がデカかろうと、腎臓や肝臓、肺や胆嚢に致命的な欠陥があれば巨体は長生きできないのです。

 総合的に強くもない。

 なのに、夕暮れ時に、長く伸びる小さな友だちの影におびえるコドモのように、日本のマスメディアと(自称)経済学者たちは、随分、日本国民にEUのオソロシサを吹聴してきました。

 異常なほど。

 もちろん、炭坑夫が坑道に入るとき掲げるカナリアのように、他に先んじて警鐘をならし、あるいは「岳陽楼記」にいう先憂後楽(天下の憂えに先んじて憂え、天下の楽しみに後〈おく〉れて楽しむ)なのがジャーナリズムの本道であるのはわかります。

 しかし、どうも最近のマスコミの行動原理に、わたしには未来の読み間違い、いや「間違った時に、楽天的に間違うより、悲観的に間違った方が攻撃されずに済む」という保身が働いているような気がしてならないのです。

 アリテイにいえば、楽天的なことをいうより悲観的なことをいったほうが、利口にみえる。

 コズルイ考えです。

 案の定……

 EU統合から経ること数年、その頭文字をとって、PIGSと呼ばれる国々からホコロビが見え始めています。

 P:ポルトガル
 I:イタリア
 G:ギリシア
 S:スペイン

 もともと、これらの国が経済的に弱く、EU経済圏に入れるかどうか、議論があったのは記憶に新しいところですが、それにしても、わざわざ「ブタども」という並びで蔑称する(たしかEUでもそう呼ばれているはず)のはどうか思います。

 ドイツやフランスにとっては、「俺たちのアシを引っ張るなよ」という気分なのでしょうが……

 もちろん、彼らの憤りもわかります。

 実際、最近になって問題が発覚したギリシアにいたっては、EUに参加するためにクリアしなければならない経済基準(財政赤字がGDP比3パーセント以下)を、最初の1年しか守っていなかった(上はギリシアの国旗)。

 2001年にユーロ統合されてから、曲がりなりにも条件を守ったのは1年間だけ。

 それ以降、今まで8年間、ずっと粉飾決済しながら他国をダマしてきたのです(現在の財政赤字は12パーセント!)

 そもそも、他の11ヵ国は1999年にEU統合されていたわけで、ギリシアが2年遅れたのは赤字が多すぎたためだったのですから、最初から無理な婚姻であったというわけです。
 今では、二年後に試験をパスしたのも統計的ゴマカシをしていたのだ、といわれているほどです。

 さらに、赤字の原因が「高所得者に対する過度の優遇税制」と「公務員の異常な高給」にあるというのだから、ドイツ、フランスの怒りもムベなるかな、という感じですが、そんなことはもともと分かっていたのになぁ、という気もします。

 個人的な感触では、ヨーロッパ各国のほとんどのヒトは、働くことに熱心ではありません。

 特に南欧は。

 長期休暇の合間に、ちょこっと働く感じですね。

 例外はあるでしょうが、精神的に(あるいは文化的にといってもいい)「成熟」というか「老成」してしまって、「アクセク働いたって、どうせ一生だぜ」という諦観にも似たジジィぶりを感じます。

 これは、次回に回すことになる『老いていくアジア』、あるいは『早熟すぎる後進国』と今は書いてはいけないので『早熟すぎる発展途上国』に一脈つながるところのある話です。

 いま、日本を脅かす、と学者とマスメディアが煽っているものは、大きく二つあります。

 ひとつはEUそして中国。

 2008年以降、リーマン・ショックをきっかけにした経済変動でギリシアの不良性は暴露されました。

 そして、EUが必ずしも盤石(ばんじゃく)でないことがわかった。

 では、日本を脅かす?存在として挙げられている、中国を含むアジアの国々は?

 それについては、次回に書きます。

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