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「アリス・イン・ワンダーランド」のさきがけ 「悪夢の国のアリス」

 ゲーム「どろろ」について書いたついでに、もうひとつ、ゲームについて書きます。

 今まで、基本的に、ゲームはコンピュータ・ベースのものをやってきました。

 だから、PS2を手に入れて、あらためてその操作性の良さに驚いています。

 だいたい、コンピュータでやるゲームは、キーボード操作がメインでしたから。

 PSPも持っていますが、あれは友人とKAI経由でやるモンスターハンターと動画鑑賞専用なので、他のゲームは知らないのです。

 コンピュータ用のゲームは、野心的、実験的で冒険心に満ちた作品が多く、魅力的です。

 プロペラ機によるエアコンバットの名作マイクロソフトの「クリムゾン・スカイ」は、フォース・フィードバック付きコンロトーラを購入してで操作するほど熱中しましたし、天下のクソゲーとして名高い「パソコン版トゥームレイダー2」はキーボード操作だけで長時間苦しみましたが、終わってみれば面白かった。

 後の、他のマシンに移植されたものと違って、TR2はプロトタイプの常でゲームバランスが最低だったのです。

 このように、パソコン用ゲームの名作は、後に専用機に移植されるものが多いのです。
「CALL OF DUTY」とかね。

 しかし、今回、ご紹介する「アリス イン ナイトメア」は、そのカルト的な人気にもかかわらず、なぜか専用機に移植されませんでした。
 http://www.japan.ea.com/alice/main.html

 もうすぐ公開されるティムバートン監督の「アリス イン ワンダーランド」がインスパイアされたと噂される名作です。
  http://www.disney.co.jp/movies/alice/

 10年も前の作品なのに、その魅力は、今観ても色あせていません。

 タイトル通り「悪夢の国のアリス」(正確には「悪夢の中のアリス」かな)を描いた3Dゲームです。

 不思議の国の冒険を終えて自宅にもどったアリス。

 その後も、時折、夢でウサギたちと遊ぶ彼女を不幸が襲います。

 自宅が火事になって、両親を失ってしまうのです。

 心に重大なトラウマを抱えたまま、精神病院で成長した彼女に、ある日、胸に抱いたウサギが話しかけます。

「もういちど、僕たちを助けるために不思議の国に戻って」

と。

 しかし、不思議の国は、かつての美しい場所ではなかった。

 ウサギは不気味で悪意のある顔をし、チェシャ猫はヒントこそ与えてくれるものの、相変わらずの皮肉屋ぶりです。

「役に立つものがあったらキープしておけ。捨てていいのは愚かさだけ。そうすれば生き残れる」

 出会ったトランプの兵隊たちは、アリスに襲いかかります。

 殺らなければ殺られてしまう。

 ナイフを振るい、トランプを投げて兵隊たちの首をはねるアリス。

 そして、アリスは血にまみれたナイフを握りしめ、かつてのワンダーランドを取り戻す決意をするのです。

 それが、結果的に彼女のトラウマを克服することにもなるのですね。

 なんとも、ダークで不条理で魅力的な作品です。

 バートンの映画はここまでイッテないだろうなぁ。

 備忘録を兼ねて、ゲームのムービー部分だけを集めた動画を掲載しておきます。

 ぜひ、一度、ご覧になってください。

 わたしは、今回の映画より、こっちの雰囲気の方が好きだな(映画はまだ観てないって!)。

俺を返せ! ゲームとしてのどろろ評価

ファイル 511-1.jpg
 蛇足ながら付け加えると、「どろろ」を、ゲームとして客観的に判断すると、サイコー!なゲームではありません。

 操作性もよく、チュートリアルは親切ですが、何人かが書いておられるように、ゲームバランスが悪い点がある。

 ショッパナはそう難しくないのですが、全七章+終章のうち、第三章がサイコーに難しいのですね。

 それ以降は、百鬼丸が強くなりすぎて「カツカツの勝利」、ナロウ・エスケイプってのがほとんどなくなるのです。

 エンディングの、さらにあとに続く終章「どろろ」は例外として……

 何度も繰り返し、最初からゲームをする「ヤリコミ」もありません。

 ザコ敵は、後半使い回しが多く新味に欠け、ボス敵にいたっては、ほぼ同じヤツがでてくることもある。

 しかし、個人的にはそれで良いと思います。

 「どろろ」は、ゲームというより、原作その後を描きたいという人々が、たまたまゲームというメディアを使った作品だと思うからです。

 ゲーム自体を楽しむというより、プレイヤーに、ストーリーと雰囲気を味わってもらいたい、昨今の劇場版アニメのように、話題づくりのためだけに声の通らない活舌(かつぜつ)の悪いアイドルタレントを使うのではなく、はっきりと明瞭に話す声優たちの声に酔い、雨宮慶太の文字にシビれながら、名作の完結を観てもらいたい、そんなコンセプトだということが、痛いほど伝わってくる。

 だから、何度も繰り返しゲームをして、スペシャル武器を探したり、称号をもらったりする必要はないのです。

 確かに、それで定価8,000円は高いのかも知れません。

 まあ、アニメのDVDなどは、30分6,000円前後と高いのが相場ですから、そう考えれば適正とも思えますが。

 だからこそ、廉価版、いわゆるBEST版が実売価格2,500円で売られている今、このゲームはやってみる価値があるのではないかと思うのです。

 なんせ、製品のコピーに「俺を返せ!」と高らかに記す制作者たちの作品なのですよ。

 彼らは、百鬼丸が「生まれながらにすべてを奪われた男」で、どろろが、魂以外のすべて=『俺』を取り戻すための遍歴を描いた手塚作品の名作だということをよくわかっている。

 その完結編を観ることができて、さらにゲームで参加することもできるんだから、文句なんてないと思うのです。

 命がけの危険な旅をともに過ごしてきた、百鬼丸とどろろが、ラストでイイ感じになるのもなんだか嬉しいですし。

 今、気づきました。
 五年後のどろろが女性らしくなっているのは、ただ単に年頃になったからではなく、醍醐景光が作りつつある平和のもとで、肩肘を張って男としていきる必要がなくなったためなのでしょう。

 動画で観ることもできますが、このゲームの最後の言葉、どろろが百鬼丸の手に頬を寄せ、囁くよういいう「アニキ」ということばの「甘い響き」、声優の面目躍如な声音をゲーム後にぜひ味わってほしいと思います。

 その意味で、「どろろ」を単純にゲームとして評価することは、わたしにはできません。

 これは、体験できる「どろろ物語」なのですから。

原作者をこえて紡がれる夢 どろろ

 やった、やったやりました。

 ほげほげたらたらほげたらぴー

 ついさっき、二週間ほど前からやっていたps2ソフト「どろろ」の最終敵を倒し、エンディングを観ることができたのです。

 1969年度テレビアニメ版主題歌、ほげたらはこちら↓

 二週間といいましたが、最初の一週間たらずで最後の敵、いわゆるラスボスまでは、サクサクいけたのですが、なにせ、最後の敵が途方もないヤツで、あまりに勝てないものだから、しまいには半分以上あきらめて、毎日一時間だけチャレンジしてダメだったら仕事に戻る、という親にゲーム時間を決められている小学生のような日々を過ごしてきたのです。

 今日もダメだろうと思いながらやり始めたら、妙に体調がよかったのか、ついに最後の48連続スライス(という攻撃です)まで、キメることができました。

ファイル 510-1.jpg

「イイトシをして何をゲームにうつつを抜かしている」とお考えの方もおられるでしょうが(しかも6年以上前の作品!)、これはゲームというより手塚治虫が描かなかった結末を描いた作品といってよいモノなのです。

 その意味で、この作品後に作られた映画「どろろ」とは、一線も百線も画した作品です。

 手塚マインドがたっぷりと詰まっている。

 どろろは、最近のゲームによくあるように、まっすぐなストーリーを、間にゲームを挟みながら進めていく「動画→ゲーム→動画→ゲーム」パターンの作品ですが、その映像とゲームの世界観が正しく手塚ワールド。

 廃墟のあばらやなんて、室町の荒れた寒村の雰囲気そのものです。

 そこに、ちょっと女の子みたいなどろろを引き連れた百鬼丸が乗り込んで、魔物を退治し奪われた48の体の部位を取り戻す、という、映画でも知られたストーリーが展開されるわけですが、映画より、はるかにおどろおどろしい雰囲気が楽しいのです。

 制作に、漫画原作者の広井王子や雨宮慶太(ゼイラム、ガロ)の名を連ねているだけのことはあります。

 雨宮慶太による独特の字体による題字もイカしています。

 残念ながら、キャラクターデザインの沙村広明の「らしさ」はあまりCGには生かされていません。マニュアルの扉絵はいかにも「無限の住人」っぽいのですが。

 しかし、文楽人形に似た、異様に手足の長い、怒り肩の百鬼丸は非常に魅力的です。

 銀魂の坂田銀時の声優である杉田智和の声も良い。

 手塚治虫が説明しなかった、なぜ百鬼丸が体の器官を48も奪われても生きているのか、という説明も納得いきました。

 もともと、魔物を退治する光の戦士として生を受けるはずだった百鬼丸を畏れて、魔物たちが、乱世を平定して平和な世の中にしたいと願っていた彼の父、醍醐景光の心のスキにつけ込み、百鬼丸の体を奪ってしまった、というわけです。

 そういった特殊なヒトだから、少々体を奪われても死なない、というのですね。

 同時に、子供のころからの疑問が氷解しました。

 百鬼丸は、からだがツクリモノだから強いのであって、魔物を倒していけば、どんどんタダの人間になって弱くなるはずなのに、どうするのだろう、と思っていたのです。

 しかし、もともとスーパーな人間なのだから、元に戻ればスゴクなって当たり前。
 
 ゲームの百鬼丸は体を取り戻すたびに、どんどん強くなります。

 足が戻ったら、今までの数倍の速さで走ることができるようになるし。

 このゲームをするにあたって、いろいろなサイトを参考にさせてもらいました。

 だって、攻略本を手に入れようにも6年も前の作品じゃ手に入りませんから。

 なかでも「ゲーム大好き主婦のブログ」のにゃおさんのブログにはお世話になりました。

  http://paralyze.cocolog-nifty.com/blog01/2005/12/post_c4d8.html

 「百鬼丸に海馬が戻った」時に、彼女がふとつぶやく、「良かった!でも……今までなかったのかよ」には、笑ってしまいました。

 どろろのストーリーモードは、ほぼ原作通り・映画通りです。

 父景光から魔物を落とし、弟多宝丸が死んだ後も、百鬼丸は魔物退治を続けます。

「アニキ、おいらもついていくぜ」
「勝手にしろ」

 そして、陽気なエンディング、横スクロールで歩いていく百鬼丸とどろろ……え、おわり?↓

 しかし、それが終わると、最後には「つづく」の文字が。

 これまでたどってきた村や山に戻り、生き残っている魔物を退治していくのです。

 そして、47番目の魔物を倒した時、百鬼丸はどろろに、

「おまえの体の中に48番目の魔物がいる」

 と告げます。

 ショックを受けるどろろ。

「俺はこれから旅に出て、おまえの中の魔物を倒す方法を探す。何十年かかってもだ」 
「わかった。おいら待つよ」

 そして旅立つ百鬼丸。

 その時に、「今度会う時までには、女の子らしくなっていろよ」というのもお約束です。

 しかし、映画のどろろもそうですが、このCGのどろろも、やっぱりちょっと女の子みたいなんですね。

 原作では、どうみたって女の子には見えない(失礼!)どろろだからこそ、最後の百鬼丸のコトバが衝撃的なのです。

 そして、最終章、タイトルはその名も「どろろ」

 変体書家?の雨宮慶太の面目躍如。カッコイイ字です。

 そして、エンディングへと気持ちを引き込むすばらしい導入部。

 五年後――

 昔と何一つかわらない百鬼丸が帰ってきます。

 そして、大きく成長して、女性らしくなったどろろが出迎える。

 このときのどろろの衣装がいいなぁ。

 子供の時は、ただの薄着一枚だったから。

 百鬼丸は、魔物を引き出すことはできるが、どろろから完全に引き離すことはできず、魔物の中にどろろを入れたまま戦うことになる、と告げます。

 危険だから、腕はこのままでも良いという百鬼丸を制して、やってくれ、というどろろ。

 そして最後の戦いが始まる……のですが、これが「っぱナイッスよ」というヤツでした。

 四つのステップで少しずつ弱めていくのですが、そのどれもが、今までのボスの比じゃない。

 ひょっとしてクソゲー?と何度思ったかしれません。

 しかし、ついに闘神降臨す!というか、単なるツキで倒すことができました。

 そして、達成感さめやらぬまま、最後にどろろが見せた感謝と愛情に胸が暖かくなるうちに、今度こそほんもののエンドロールが始まるのです。

 いやぁー、映画より遙かに物語らしい、マインドのこもった作品を観終わった感じですねぇ。

 このセンで映画をリメイクしてくれたら、一も二もなく観に行くんだがなぁ。

 というわけで、最近、滞っていたブログ更新のいいわけを兼ねて、「どろろ」攻略の報告とさせていただきました。

 あー疲れた。

 オトナになったどろろ↓

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