映画「サロゲート」を観ました。
ブルース・ウィリス主演の映画です。
まったく何の前知識もなく、サロゲートって、あの人工授精のサロゲート・マザー(代理母)のこと……にしては、男臭さが売り物?のブルース・ウィリスにはそぐわないなぁ、と考えていましたが、やはり内容はそんなソフトなものではありませんでした。
昨夜、友人に「ブルース・ウィリスが好きだなぁ」と指摘されましたが、いわれてみれば、彼主演の映画は、ほとんど観ていますね。
おそらく、いわゆる「ハリウッド・システム」に組み込まれた「自分自身の役どころ」「世間が彼に要求している役回り」を、彼と彼のエージェント(サロゲートではなく!)がよく理解して、オファーされる映画の脚本を良く読んで出演映画を決めているから、結果的に、だいたい、わたし好みの作品に出演することになるわけです。
もちろん、人気者だからこそ脚本は選べるわけですが、これを出演料の多寡(たか)と「自分の役回りを変えてみたい」「自分のイメージを変えてみたい」などといった野心で出演作を決めてしまうと、作品によって毎回当たり外れのある役者になってしまうわけです。
まあ、彼にしても、一時期いわれたように、泣き虫オスメントと共演した「あの作品」以降、方向性を変え、しばらく陰気なハナシに多く出演するようになってしまいました(今回の作品もちょっと陰気です)が、個人的には、まだ体の動く彼が、むちゃくちゃな脚本と演出(監督リュック・ベッソンは、天下御免のSF好きのSF知らず:16才の時に考えたハナシだそうだから無理もないけれど)ながら元気に走り回っていた「フィフス・エレメント」が好きです。
彼以外で好きなのは、ピーター・ウェラーとサム・ニールですね。
特に、ピーター・ウェラーはいい!
自分の個性(落花生型の顔かたちと猿顔)をよくわかっていて?、SF(ロボコップ)、パニックモノ(リヴァイアサン、スクリーマーズ)、不条理モノ(裸のランチ)など、出演作にも、ほとんどハズレがありません。
まあ、テレビシリーズ「オデッセイ・ファイブ」だけは、かなりハズしていましたが……
いや、あれにしても、近未来において、スペースシャトルから地球が破裂する光景をみた後、「大いなる意思」によって息子と共に過去に戻された彼が、世界を救うために一身をなげうって大活躍していたのに、物語後半で、最愛の妻(未来世界を知らないために、息子と夫の行動をいつも不審に思っていた)が殺されたとたん、
「俺はもうやめた、お前ら勝手に世界を救え。もう知るか!」
と、世界を投げ出すという、歴史上始まって以来の無責任さをもつヒーローを演じた功績はあります。
あれは面白かったなぁ。
今まで全くやる気がなく、女性の尻ばかり追いかけていた息子が、「父さん、世界を救うんじゃないの?一緒に戦おうよ」なんて、突然、責任感に目覚めてね。
「うるさい!救いたいならお前が救え。」
息子に向かって、そう叫ぶピーター・ウェラーの大人げなさは最高でした。
なのに設定が面白くなかった。
いったいは彼は、どうしたんだろう。
あれ以来、ぱっとしないし。
ああ、オデッセイ~については、前に書いたことがありました。
それはともかく、今回は「サロゲート」です。
レンタル店で、
「この男は、いったい何度世界を救うのか?」
ってなキャッチコピーが書かれていて笑ってしまったのですが、確かに、ある街を救ったり「アメリカ本国」を救う映画は結構ありますが、「明確」に、地球全体あるいは全世界を救う映画は、メジャー配給のものではあまりありませんね。
凶暴な悪魔を退治して、結局世界を救いました、というハナシなら結構ありますが、そうじゃなくて、60億の人間を救いました、というような「明確な」ハナシはそう多くない。
本作の主役であるブルース・ウィリス(アルマゲドンやフィフス・エレメント)以外では、ネイキッド&ソリッド・スネークぐらいです(こっちはゲームですが)。
実際、今回も、彼は数十億単位で人類を救おうとします。
あ、ある程度ネタバレが入っていますので、後でレンタルして観てみようと思っている方は、これ以降お読みにならないようお願いします。
と、イッピツ入れたところで、内容に入りましょう。
サロゲート、つまり代理人ということです。
設定は、近未来ということですが、どことなくパラレルワールドっぽい世界のはなしです。
そこでは、人々は部屋にいて、遠隔操作するロボット=サロゲートで、すべての用事を行っています。
サロゲート・システムを開発したキャンター博士役が、例によってジェームズ・クロムウェルなのが面白いですね。
「ベイブ」のオヤジ、いや「スタートレック:ファーストコンタクト」のゼフラム・コクレーン(トレック史ではワープを発明する重要な人物)、「アイ・ロボット」のアルフレッド・ラニング博士など、印象的な科学者役の多い役者です。
車いすで生活する彼が、その不自由さから、自身の身代わり(=サロゲート)ロボットを作ったことから世界が変わり始め、映画開始時点では、世界の98パーセントが、自分の肉体は家の中で安全に寝ころんだまま、サロゲートで世界を闊歩(かっぽ)しています。
面白いのは、公然と「ネカマ」が存在することですね。
男なのに、女のサロゲートを使って(あるいはその逆)生活する。
映画中では、性同一障害などの問題で、法的にも許可されている感じはありますが、このあたりの設定が面白い。
外を出歩くサロゲートは容姿端麗な女性、でも、それを操る持ち主(オペレーター)は、運動不足で、ブクブク太ったオヤジなんてことが往々にしてあるわけです。
当然ながら、この「サロゲート化」に反対するグループも存在し、世界各地に「サロゲートお断り」「ビバ(古いねぇ)生身!」の看板を掲げた「生身地区」を作って生活しています。
これが後に、重要な伏線となる。
サロゲートの存在意義のひとつは、「何が起ころうとオペレーターは安全」ということです。
交通事故にあおうと、生身の方はかすり傷も受けない。
イザとなれば、(個体差はあるのでしょうが)生身では考えられない跳躍やダッシュを見せることもできる。
……ハズだったのが、映画の冒頭で、キャンター博士の子供がサロゲート越しに殺されるという事件が起きてしまいます。
サロゲートに受けた攻撃が、ネットを通じて生身のオペレーターに伝わり、脳が焼かれて死んでしまうんですね。
その姿は、攻殻機動隊における防火障壁に触れたハッカーの姿に似ています。
返事がないから、部屋に行ってみると、ネットにつながったまま死体になっている、という。
あるいは、オリジナル版「怪奇大作戦」のエピソードのひとつ、電話をとった途端に発火して死んでしまうというアレのイメージも重なります。
おそらく、人は誰しも、安全だと思っている場所で、離れた場所から受ける攻撃によって突然死することを恐れるため、何度もそれがテーマになっているのでしょう。
キャンター博士の(息子の)サロゲートは、大物だけに未登録だったため、一緒に殺されたブロンド女性の部屋へ二人組の刑事が向かいます。
この時の、刑事を先導する女性警官が、アイ・ロボット似で、妙に安っぽいロボット風なのが良いですね。
彼女は、マスターキーで被害者宅の扉を開けようとするけれど、うまく扱えない。
「すみません、自分のサロゲートは修理中で、代車?が、こんな安物だったんです」
なるほど、車みたいなモノなんですね。
こういった、細かい設定が面白い映画です。
考えてみると、警官こそは、こういった代理ロボットが行うべき職業なのでしょう。
男女の性別を問わず、危険な場所に出かけられますしね。
で、二人組の刑事のうちの一人が……あ、髪の毛の生えたブルースや。
しかも、妙にテラテラと整ったツクリモノくさい顔のブルースです。
もちろん、彼もサロゲートです。
家では、ハゲた彼がベッドに横たわってサロゲートをオペレートしています。
その後のストーリーは、ある意味おさだまり。
彼は、ヤリスギ捜査を行い、停職となり、でも個人的に捜査を続け……真相にたどりつきます。
そして、数十億の人間を救い、破滅させる。
詳しくは映画をご覧ください。
作中、彼は交通事故で息子を失い、その際に顔に傷を受けた妻はサロゲート以外では外にでられなくなっています。
そして、そのことが、後半の彼のガンバリを生み、最後の決断を誘導することになる。
うまい脚本です。
それほど長くない映画ですから、ちょっと暇な時にご覧になっても良いかと思います。
蛇足ながら、この作品で、なにより興味深かったのは、ドラマの最後に入るニュース映像で、
「ロンドン、パリ、北京でも同様の現象が起きています」
と、放送されていることでした。
今までなら、北京のかわりにTOKYOが入っていたのですがねぇ。
映画のオープニングで、日本が世界に誇る「そっくしロボット制作学者」ヒロシ・イシグロ氏がちょこっとだけ写ります。