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ふたりの女にひとりの男1 ~ベクシル~

 これは「カッコイイとはこういういことさ」のちょっとした続きの話。
 

 ベクシル(Vexille)は、2007年制作の日本3Dアニメーションだ。
 分類的には、ファイナルファンタジーやアップルシードと同じ場所に位置する。
 そのどちらもご存じない方には、「モンスターズ・インクのリアルSF版」と考えていただければ良いかと思う。
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 名作「グロリア」より、無名?なこちらを先に書きたくなってしまった。

 が、その前に……

「ボルサリーノ」と「冒険者たち」どちらも、わたしの大好きな映画だが、このふたつには共通点がある。

 なにかわかりますか?

 え、どちらもアラン・ドロンが出演している?
 どちらもフランス映画?
 いや、そんなありきたりの答えじゃなくて……

 そう、タイトルとは正反対となるが、ふたつとも、「ふたりの男にひとりの女」を描いた映画なのです。

 なんか、ちょっとヤバそうな感じがするでしょう?
 まあ、その逆である「この回のタイトル」にも同様の感じがしますけどね。

 皆さん、どちらもご存じとは思いますが一応説明すると、

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「ボルサリーノ」は、1930年代のフランス、マルセイユが舞台。冒頭、ムショに入っていたチンピラ(アラン・ドロンが好演)が出所するところから話は始まる。
 さっそく、自分を売ったイタチ野郎の店に火を放って報復したドロンは、愛人ローラの居場所を見つけ出すと会いに行く。

 だが、ローラ(カトリーヌ・ルーヴェルが、人生の苦みを知りつつキュートでコケティッシュに好演)は、すでに新しい愛人(ジャン・ポール・ベルモンド)とよろしくやっていたのだ。

 当然、殴り合いになるふたり、だが、さすがフランス映画、アメリカのように、女性を単純に「俺のモノ」扱いにはしない。

 やがて二人は意気投合し、ローラ手作りのブイヤベース(だったっけ?)を、彼女の給仕で食べながら、「ローラのこの味が最高なんだ」「そうそう、スパイスが隠し味だな」などと語り合う。

 それを笑顔で見つめるローラ。

 このあたりで、わたしはもうダメなんだなぁ。

 あり得ないでしょう。普通、というか日本では。
 さすが、大らかな港町マルセイユ、そして、認めたくないが、恋愛に関してだけは大人の国フランス。(わたしは根本的にフランス人、というかパリジャンが大嫌いなのだ。:それはまた別項で)

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 次に「冒険者たち」
 これはもう、タイトルを口にするだけで、LES AVENTURIERSと目にするだけで、もうダメ。

 批評も批判もできなくなる。
 ほんの子供の頃、おそらく8歳くらいに、テレビ放映で観た時の印象があまりに強く、物語自体に恋してしまった弱みだろうな。

 だから、簡単に、あらすじだけを紹介だけしよう。

 野心はあるが金がない青年飛行家マヌー(ドロン)と中年技術者ロラン(リノ・ヴァンチュラ)は、現代金属オブジェ・アートの個展を目指す若い女性、レティシア(ジョアンナ・シムカス)と知り合う。

 マヌーがパイロット免許を失い、ロランが開発していたエンジンを炎上させ、レティシアが個展で失敗したのを契機に、三人は宝探しにアフリカに渡る。

 どんよりとしたパリ郊外のフランスから、強烈な太陽が照りつけるアフリカの海へ。

 それだけで、観ているわたしの体温も上昇しそうになる。

 つまり、青春冒険映画なのだな(言ってて恥ずかしいが、この映画の場合はヨシとしよう)

 初めからマヌーはレティシアに惹かれていた。

 おそらくはロランも。

 だが、トシのことも考えて、レティシアはマヌーとがお似合いだ、という態度をロランはとり続ける。

 じつは、レティシアは、天下の二枚目アラン・ドロンよりも、ちょいハラが出て、頭ハゲかけのロランが好きだったのだ、という中年の憧れ設定なのだ。

 やがて、宝は見つかり、彼らが大金持ちになったとたん、レティシアは宝を狙うギャングに殺される。

 パリに帰った男ふたりは、しばらくはすることもなく無為に過ごすのだが、やがて、レティシアの遺族に彼女の分け前を渡そうと考え、彼女の故郷に向かうのだった。

そうすることで、死んでしまった彼女とのつながりを保とうとした。

 だが……

 さあ、もうわかったでしょう。
 ふたつのフランス映画、そして「ふたりの男にひとりの女」という意味。

 つまり、同じ女を愛する男の本質は似ている、ということだ。
 だから、ふたりは親友になり得る。

 これは、アメリカ人のセンスじゃないわな。あんなオトナコドモの精神しか持たない男たちが蔓延する国ではこの考えは難しい。

嫌いだがフランスだから、といった感はある。

 鏡像のように、兄弟のように似たふたりだからこそ同じ女を愛した。

 だから、女を軸に、しっかりと地面に立つ屏風のように男ふたりは結びつき、軸がなくなった後ですら、その結びつきを弱めない。

 これが、わたしの好きな「ふたりの男にひとりの女」だ。

 で、それとは正反対な「ふたりの女にひとりの男」が映画「ベクシル」なのだ。

 ベクシルは、米国特殊部隊SWORD所属の女性兵士である。
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 彼女は、Swordのリーダーであるレオンと恋仲だ。

 2077年、日本がハイテク鎖国に入ってから10年が経とうしていた。

 鎖国と言っても、江戸時代のものとは違う超ハイテク鎖国のため、スパイ衛星のからの盗撮すら不可能な絶対鎖国だ。

 現在(2077年)の日本国内がどうなっているのか、世界中の誰も知らない。

 圧倒的に優れたロボット工学による、兵器・工場機械の輸出によって、世界を席巻(せっけん)している日本には、国連やアメリカといえども下手な口出しはできないのだ。

 レオンは、日本が鎖国を始める10年前までは東京にいたのだった。

 やがて、日本の不穏な動きを察知して独自捜査に乗り出すSWORD。

 彼らは、偵察部隊を絶対鎖国の日本に送り込むことにする。

 志願して隊長となるレオン。
 ベクシルも斥候(せっこう)部隊に参加志願する。

 時折、レオンが見せる表情から、彼が超危険なこの任務に、正義感からだけで参加していないことを恋する女のカンで見抜いたベクシルは、自分も日本に行こうとするのだ。

 潜入後、ひとり仲間とはぐれたベクシルは、ある女性に助けられる。

 それが、レオンのかつての日本での恋人、マリア(下写真右)だった。
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 レオンは、彼女が心配で日本に潜入したのだ。

 不安を感じて粗末な小屋から飛び出ると、そこは、夕陽が照りつける、横浜ラーメン博物館もとい香港の女人街のような、ハダカ電球をつるした屋台と人混みが際限なく続く雑多で活気のある、どこか懐かしい三丁目の夕陽的世界だった。

 背後から銃を突きつけられ、小屋に戻されるベクシル。

 銃を持っていたのはマリアだ。

 このマリアがイイ。実際に観ればわかるが、彼女がこの映画の真のヒロインだ。

 寡黙で冷静で毅然としていて、美しい。

 あー5000字越えた。続けます。

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