「子供は小さい大人ではなく、子供という異人種なのだ」という認識は、近代になってからの共通認識に近いものだと思いますが、身近な子供について、現在の彼らが異人種で、突然「オトナ」に変身するとなどとは、到底、わたしには思えません。
やはり、彼らは、今の面影、考え方を保ちながら、大きくなっていくと思うのです。
もちろん、人生を変えるような衝撃的経験をすれば、オトナになって、「昔の面影がないなぁ」ということになるでしょうが、そうでなければ、オトナはあくまでコドモの延長線上の生き物です。
だからこそ、しばらくあっていない子供と、何年か経って会うのは楽しみでもあり不安でもあるのですね。
そこいらに居る子供(失礼!)ですらそうなのです。
まして、その子供が「独特の人物」であれば、期待と不安はいや増してしまうに違いありません。
昨日、2007年制作のOVA「鬼公子閻魔」を借りてきました。
「ドロロンえん魔くん」のアダルトバージョンです。
確か、初版コミックの最終話にも、大人になった閻魔がでてきていたと思いますが、設定はそれとだいたい同じです。
ドロロンにあった「コミカルさ」を廃して、妙にワルっぽいえん魔と意地の悪そうな雪子姫、悪党面のカパエルが登場します。画像↑参照
出てくる事件も陰惨なものばかり。
なんというか、リメイクされた「妖怪人間ベム」っぽい作りなのですね。
全四巻、観てみましたが、あまり面白くはありませんでした。
わたしが個人的に期待しているのは、荒木飛呂彦氏の「魔少年BT(ビーティー)」です。
ご存じの方も多いでしょうが、荒木氏は、コミックに、大人BTのラフ・スケッチを書いているのです。
それが、どことなく、あのディオ・ブランドーに似ていて、ひどく魅力的に見えるのですね。
荒木氏はもう、過去の「波紋」や「手品トリック」(これは今も作中に使っていますが)とは決別して、あらゆることをネタにできる「スタンド」能力に夢中のようですから、バオー来訪者(スミレ大人版)もBT(大人版)も、書かれることはないでしょう。
ただ……多くのキョショーたちが陥った、自分が生み出した全てのキャラを「連環」させたくなる衝動に荒木氏がとりつかれてしまえば、ひょっとしたら、そういったキャラクタを見ることができるかもしれません。
そういった、オールスター作品が、本当の意味で面白いかどうかはわかりません。
その昔、友人がいった「至言」をわたしははっきり覚えています。
「バイオレンス・ジャック、終わって見ればデビルマン~終わって見ればデビルマン~」