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人気のほどは「藪の中」 ~TAJOMARU~

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 今回は、映画「GOEMON」についての覚え書き、と思いましたが、旬の話のほうが良いということで(まさしく『旬』だ)、先日レンタル開始になったTAJOMARUについて書きます。

 公開当時(2009年)は、ほとんど興味がなかったのですが、これが、あの芥川の「藪の中」からスピンオオフ?した作品であることは知っていました。

 さらに、年下の友人から、「うちのアネキが観に行きましたけど、あまりよく無かったらしいッス」との情報もあり、それほど期待せずに、観たところ……

 いや、その前に、だいたい「藪の中」っていうのは、その昔、今日の都は山科近くの藪の中に男の死体がみつかるところから始まる、まあミステリといってよい話ですね。

 えーと、小学校だか中学校だったかに読んだだけで、うろ覚えなのですが、登場する人物すべてが食い違う発言をし、結局、真実は「藪の中」というオチがつく作品だったはずです。

 世界のクロサワ監督の「羅生門」も、これが原作でしたね。

 しかし、わたしのウロのある記憶によれば、確か多襄丸(タジョウマル)は、数人いる登場人物の一人に過ぎず、主役を張れるような役割をもってはいなかったように思います。

 そうそう、わたしが子供の時に「藪の中」を読んで、一番驚いた、いや恐怖すら感じたのは「死者もウソをつくのだ」ことを、芥川がこの作品で描いていたことでした。

 物語終盤、巫女の口を借りて、殺された男自身が証言をするのですが、どうも、その男がウソをついているようなのですね。

 ミステリ好きならば、誰しも思うことでしょう。
 ああ、この被害者が口をきけたら。
 そうすれば、たちまち事件は解決なのに。

 まあ、実際には後ろからイキナリ殺されたら、被害者にも犯人はわからないでしょうが。

 ところが「藪の中」では、死者が意識的にウソを述べているように見える、これが私には恐ろしかった。

 死んだ後にまで、何を守り、何を陥れようとするのだろう。

 もうひとつ、自分の恥ずべき姿を目撃した夫を、妻が盗賊に殺すように懇願するのも怖かったなぁ。

 それにひきかえ、多襄丸は(少なくとも彼自身の証言と夫の証言では)、悪党ではあるが、少し良いところもあるトボけた男に描かれています。

 この点で、映画の主人公たりえるのだろうか?

 その上「女に目がなく女とみれば襲ってしまう」なんて役を、二枚目小栗旬がやれるものだろうか?と不思議だったのですね。

 確かに、捕まった多襄丸が、裁きの場で切るタンカ(結局本を引っ張り出して読み返しました)、

「何、男を殺すなぞは、あなた方の思っているように、大した事ではありません。(中略)ただ、わたしは殺すときに、腰の太刀をつかうのですが、あなた方は太刀を使わない、ただ権力で殺す、金で殺す、どうかするとおためごかしの言葉だけでも殺すでしょう。なるほど血は流れない、男は立派に生きている、――しかしそれでも殺したのです。罪の深さを考えて見れば、あなた方が悪いか、わたしが悪いか、どちらが悪いかわかりません」

は、二枚目役者が、権力を前に朗々と述べ立てるのにふさわしい台詞のような気がします。

 まあ、昔も今も、この台詞は、盗賊(強盗)の言葉としては、少し哲学的過ぎ、内省的過ぎ、青臭く、脆弱(ぜいじゃく)すぎるように思いますね。まるで、アタマデッカチのインテリ青年だ……芥川のような、ね。

 ともあれ、映画です。

 観始めて、あれ、と思いました。

 そして、なるほどなぁ、と感心しました。

 なかなか、うまく考えられた脚本だと思います。

 「藪の中」を換骨奪胎(かんこつだったい)し、新しい多襄丸をつくりだしている。

 しかし、同時に、わたしの友人(とその姉)が、なんだかツマラナイ映画だったな、と思ったのも分かる気がしました。

 ストーリーがあまりに、ストレート過ぎるのです。

 出てくるワルモノ(名前はいいますまい)は、子供の頃からの悲惨な生活に飽き飽きして、自分が悪となることで全てを手に入れようとし、幼なじみの恋人は、あくまで永遠の恋人であり、多襄丸は、苦労しても屈折したココロをもたず、あくまでもストレートで上品な悪党……

 って、観ていないヒトにはわからないかなぁ。

 とにかく、ヒロインの行動に、多少の謎はあっても、ちょっと分かりやす過ぎるのです。

 すくなくとも、今の若者が親しむアニメーションの登場人物の思考はもっと複雑です。

 昔の「無思考絶叫型カブトコージ的ヒーロー」は、幼児向けアニメ以外には登場しない。

 エヴァンゲリヲンやエウレカなど「何を考えているのかわからないオトナたち」の複雑な行動原理に支配されるアニメーションに慣れ、「戦う司書」などの思想が入り乱れる群像ライトノベルに親しむ若者たちにとって、「TAJOMARU」の登場人物の行動や心理は、単純すぎて感情移入できなかったのではないかと思います。

 ヒロインの「愛している、だからこそ身を退く」というストレートさは、今のコドモたち、若者たちには、タイクツなのです。

 どうせストレートなら、韓流ドラマのように、ド真ん中直球勝負の恋愛モノや悲恋モノの方がすっきり腑に落ちるのでしょう。

 ラストも、エエッ、それでこれからドースルの?って終わり方ですしね。

 個人的には、それほどダメな作品ではないと思います。

 若者たちはともかく、年配の脇役たちの好演が光っているからでしょうか。

 最近、とみに変な方向に行ってしまったショーケンこと萩原健一の怪演はともかく、松方弘樹が特にエエ味出しています。

 ふだんは、あまり良い役者だとは思わないのですが(どちらかというと釣り人ってカンジですね)、こうして観ると、結構彼は上手い役者なんだなぁ、とあらためて見直した次第です。

 というわけで、複雑なオトナのやりとりと不気味さを味わいたかったら、次に書く「GOEMON」の方が向いていますが、昔ながらの、古風といってよい恋愛話を、見栄えの良い役者で観たいというのなら「TAJOMARU」はオススメです。

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