故景山民夫氏の名エッセイ「喰わせろ」(先に書いた井上ひさし氏の「巷談辞典」と同じく夕刊フジに毎夕!連載され、イラストレーター山藤章二との共著ともいうべき「文字と絵の掛け合い」が最高に面白かった)で、わたしはバースの本当の呼び名がバスであったことを知りました。
バースというのは、もちろん関西人気球団に所属していた、ランディ・バースのことです。
なぜ、本来「バス」と呼ぶべき男を「バース」と呼称したかについて、氏は「バスじゃ修学旅行や風呂桶みたいになっちまうからだろ」と書いています。
後年、阪神高速を走っていると、道路沿いにバース氏が紹介する(株)日ポリ加工の風呂桶(言い方が古いね、今はたぶんバスタブと呼称)の巨大な看板があって、ああ、彼も本来のバスに戻ったのだなぁと、感慨深くうなずいた記憶がありました。
バスといえば、英国を訪れた時、インターシティを途中下車して、ローマ人も通ったといわれるバースに立ち寄ったことがあります。
現地の観光案内所で、半日観光バスに金を払って名所を回ったのですが、なかなか見応えのある場所でした。
日本の源泉掛け流しと違い、緑色の生ぬるい湯でしたが↓(わたしにはバスクリン入りのように見えました)、さすがにバスの語源と呼ばれる巨大浴場は、古く大きく、現地の修学旅行(ないって、遠足だろうな)の子供たちもたくさん訪れるほど人気のある場所でした。
さて、ここからが本題です。
今回とりあげようとしているのは、そんな千年を超える遺跡や野球選手のことではありません。
もっと身近な、日本にあるバースのことです。
わたしが子供の頃は、風呂といえばタイル製のものがほとんどでした。
洗い場もそうでしたが、ここで風呂というのは、風呂桶、バスタブのことです。
風呂屋にいってもそうだったし、家庭でもそうだった。
田舎にいくと、まだ五右衛門風呂なんかがありましたが、その頃でさえ、そんな昔の風呂は珍しくなっていました。
しかし、現在、個人で、タイルのバスタブを使っている家は、あまりないでしょう。
たいていが、ステンレスあるいは日ポリ加工の(とは限らないが)バースタブを使っている。
ご存じのように、家で一番早く傷むのは、水回りです。
台所、トイレ、あと外壁、屋根かな?
当然、風呂も、何年かでリニューアルすることになる。
その際、巨大なバスタブは撤去され、新しい、おそらくはもっと保温のよいものと取り替えられる。
余談ですが、ユニットバスでない場合、風呂の窓を大きくしておかないと、壁を壊してバスタブを取り出さなくなるため、リニューアルの費用がかさむそうですね。
家なぞ建てる予定も金もないから、わたしには関係はありませんが、知識としてはそういうことだそうです。
取り出されたバースは、産業廃棄物として放棄、あるいは再生プラスティックとして生まれ変わる……こともあるかもしれませんが、田舎では、もっと数奇で違う運命をたどるのです。
田舎を、車で走ったり散歩すると目につくものがある。
畑です、って当たり前ですが。
そして、その畑の端では、ごく当たり前のようにバースが座っている。
都会の共同菜園などでも、何人?もバースが座っている。
雨水の貯水タンクとして↓。
東京都では、各家庭が樋水をタンクに溜め、天然水として散水や植木の水やりに利用している区があります。
近くのDIYセンターでも専用のものが売られていますが、結構高いのですね。
その点、2~400リットルの水を溜めることのできるバース(しつこい?)は、中小規模な菜園では理想的です。タダだし。
先年亡くなった父も、近くの菜園で使っていました。
確かに、野菜畑の横に、屋内にあるべきバスタブが、いくつも並んでいる景色には違和感を感じますが、これもある種、異業種交流。
昔は箱入りムスコでしたが、今は「畑」違いの場所で頑張っています、ということで、これはこれで、りっぱなバースの行方ではないかと、わたしは考えているのです。
p.s.
違和感のある風景、といえば、東南アジアやアフリカなどで、現地の人が日本から贈られた洋服を着ていることがあります。
背広を着て畑仕事をしているその姿は、日本人の目からみると多少奇異に感じてしまいますね。
「日本のセビロは縫製がしっかりしていて丈夫だから野良仕事に向くのだ」と彼らが答えるのをきくと、わたしは、うれしいような、誇らしいような、申し訳ないような不思議な気持ちになってしまうのです。