「エンジェル ウォーズ」を観ました。
監督は「300(スリーハンドレッド)」や、あの名作「ウオッチメン」を撮ったザック・スナイダーです。
しかし、この作品……どういうんでしょうか。
あらかじめ書いておくと、世間的な評価は低いようです。
それというのも、戦闘シーンで使われるCG映像が、いかにもゲームの説明映像っぽいものだからです。
しかし、この作品が持つ、真の問題点はそこではありません。
今回はそれについて書こうと思います。
いや、そもそも、はじめて予告を観た時から、「ヤバいんじゃないかなぁ」とは思っていたんですよ。
だって、
金髪のヘソだし『セーラー服』を着た少女が『日本刀』を持って、『仮想空間』らしき場所で、『ガスマスク風の強化服』を着た『ゾンビ』らしき化け物と闘う……
という映像だったんですから。
上記、二重カギカッコで書いた部分を読むだけで、分かる人なら、
「なんだこれは……まるで押井守の過去作品の寄せ集めじゃないの」
と思ってしまう構成です。
仮想空間映画「アヴァロン」、「アサルト・ガールズ」「攻殻機動隊」の電脳空間
現実と夢の境のない「迷宮物件」
セーラー服の少女が日本刀で闘う「BLOOD」
ガスマスク風の強化服といえば、押井監督の初期の代表作「紅い眼鏡}
もちろん、偶然の一致、などではありません。
おそらく、ザック・スナイダーは、押井守監督の信奉者なのでしょう。
スナイダー自身の弁によると、「この作品は、マシンガンを持った不思議の国のアリスである」とのことですが……
うそうそ、大ウソ。
この発言は、彼が、自分自身をも欺く大ウソつきであるか、しょせんはサブカルチャーにすぎない日本のアニメ監督の作品など大部分の欧米人は知らないだろうから、「その作品群から大きなインスパイアを受けたのだ」と説明する必要などないという『大人の判断』から、エエカッコ発言をしたという証明にすぎないでしょう。
作品自体の内容は、というと、
1950年代、母を失った少女ベイビー・ドールは、遺産をねらう義父の策略によって、精神病院に収監され、五日後にロボトミー手術を受けることになる。
我が身を守るため、彼女は、音楽をキーとして、精神世界に作りあげた仮想空間に潜り込み、5つのアイテムを手に入れ、精神病院から脱出をはかろうとする。
なぁんて書いたところで、映画を観ていない人は、いったいどういう話なのだろう、と不思議に思われるに違いありません。
ご心配には及びません。
実際に映画を観ても、何がなんだか、さっぱりワカラナイんですから。
この映画は、まったく自分勝手な論理の積み重ねを繰り返し、説明不足のまま、どんどんハナシを進めるという厨二病(ちゅうにびょう)的自己満足に満ち満ちた駄作なのです。
いったい、どうすれば、ハリウッドの名のある映画監督が、こんな作品を撮るのだろう?
もちろん、むりやり説明をつければ、なんとか解説することはできます。
主人公は、精神病院で使用される、鎮静目的の薬物による幻覚・幻視に対抗するために、歌(音楽)を利用し、現実の世界を仮想世界に置き換えて、脱走に必要な道具を手に入れるのです……しかし、こう説明してしまうと実も蓋もないなぁ。
が、まぁ、つまりはそういうことです。
おそらくは、ザック・スナイダーは、押井守の作品群が好きなのでしょう。
ただ好きなだけでなく、強烈に愛してしまった。
愛し過ぎたあげく、自分自身で、その作品群を再構成して、ひとつの「サイコー」の作品にしたくなった。
そして、実際にしてしまった。
アクションシーンを、出来の悪い市販ゲーム風のCGにしてまで……
たぶん、ザックに罪はないのでしょう。
もし、彼に非があるとするならば、そういった、愛しすぎた作品の寄せ集め話に、自分好みの「陰鬱で救いようのない」バッド・エンディングをくっつけてしまったことです。
バッド・エンディング――
そう、この作品を観た人が口をそろえて言うように、「エンジェル ウォーズ」は、後味の悪い映画なのです。
ヒラリー・スワンク主演の、ミリオンダラー・ベイビーのような。
どうしようもない閉塞感と喪失感を伴うエンディング。
だから、この映画を、精神ポテンシャルの低い(つまり意気消沈した)時に見ることはおすすめできません。
ザック・スナイダーは、押井作品を愛しすぎるという罪を犯したあげく、最低の駄作をつくってしまうという罰を受けてしまった。
日本の配給元のセンスも悪いよ。
だいたい原題「Sucker Punch」(びっくらパンチ)がどうすれば、「エンジェルウォーズ」になるんですか?
ああ、そういえば、女性の一人に天使の羽のようなモノが生えるシーンがあったなぁ。
うーん。
最後に、ロボトミー手術に関する、わかりやすい説明としては、島田荘司氏の小説「溺れる人魚」が詳しいので、興味があれば、ご一読されることをおすすめします。