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英語を話すこと=グローバリゼーション――なのか

 楽天が社内で使用する言語を英語にする、つまり「英語の公用化」を行うことは、すでにご存じな方も多いでしょう。

 ひと言でいうと、東京品川にある楽天タワー内で行われる会話は、ちょっとした打ち合わせであろうと会議であろうと、全て英語で行う、ということです。

 三木谷社長の強烈なリーダーシップ(というかゴリ押し)で実現した方針でしょうが、社員は大変だろうなぁ、と同情してしまいます。

 部長職はTOECの780点(だったかな)が必須だとか。

 英語の苦手な人には、なかなか辛いものがあるでしょう。

 三木谷氏自身は英語が話せるし、米国で暮らした経験から「英語で話すのがアタリマエ」の生活を知っている、のでしょう。

 もちろん、海外で外国語を話して暮らすのは当然であるし、タイ、インドネシア、マレーシアなど、アジアなどで英語と違う母国語を使っている国であっても、外国資本の会社などでは、社内で英語を使いつつ円滑に業務をこなしている企業もありますしね。

 第二母国語が英語である国も多いですから。

 それから考えれば、たとえ、その身は品川にあっても、意識は直接英語文化圏と直につながるという意識は、企業の「グローバル化」には大切かもしれません。

 何人かいる、外国からスカウトした社員も、取材に「英語化がうれしい」と答えていました。

 そのように、「海外からの人材雇用が容易になる」のが利点ですね。

 ついで、もし、海外がビジネスのターゲットなら、「海外市場の開拓が容易」にもなります。

 かつて、日本が世界を席巻(せっけん)した自動車、家電などのモノツクリ、「製造業分野」なら言葉より製品の品質で売り込めたでしょう。

 しかし、サービス業となれば、言葉によるコミュニケーションは不可欠です。

 だからこその英語公用化――

と、ここまでは、公用化の良い点でした。

 これからそれに反論します。

 まず、上と同様の理由で、わたしは、楽天の英語公用化は「絵に描いたモチ」となる可能性も高いと思うのです。

 サムスンが、製造業ながら海外への販売が85%を越えているために、新入社員にTOEIC800点を課しているのはわかります。

 しかし、楽天の海外取り扱い率は、1%(海外の企業買収除く)にしか過ぎないので、グローバル化の先取り、というには、あまりにはやりすぎているように思うのですね。

 なによりの問題は、「英語を話せる人材を使う」→「企業がグローバルな視点をもつ」というのが大いなる勘違いだということです。

 わたしたちがコドモのころは、「英語を話せてこそ世界人」みたいな考えが世にありました(幼児英会話教室の人気からすると今も同じですか?)。

 でも、英語を理解するようになったところで、当然ですが「世界に通用する人間になる」わけではありません。

 ただ、英語文化圏の人間と話しができるだけです。

 洋画をなんとなくぼんやりと観ることができて、翻訳前のペイパーバック読むことができる、あるいは下手くそな翻訳家の、頭が痛くなるような珍訳を読まなくて良い、その程度です。

 学生時代、原仙作(ハラセン)の英文標準問題精講などで、当時の知識人の英文などを読まされ、

「その国の言語を学ぶことが、その国とヒトを知ることだ」

的な知識を詰め込まされましたが、実際は、そんなに単純ではありません。

「英語を話すこと=グローバリゼーション」という考えそのものが、「視点がグローバルでない」人間のすることです。

 三木谷氏が曲がりなりにも成功したのは、彼の努力と運があったからです。

 その後の外国企業買収も、英語が話せたからできたわけではありません。

 言葉はあくまで道具です。

 その「道具を目的化」してしまうと、企業経営も危うくなるような気がするのですね。

 本当に、その企業にエイゴが必要なら、その時に企業体質を変えれば良いのです。

 と、まあ、ここまでは何というか、精神論です。

 今回、わたしが書きたいのは、精神論ではなく、もっと具体的に「英語なんて勉強しなくていいよ」という理由です。

 昨今の、音声認識、解析、自動翻訳の進歩には、目ざましいものがあります。

 iphoneのsiriや、そのマネをしたコンシェルジュとかいうものや、音声翻訳サービス自体も存在します。

 もちろん、その能力は、まだまだです。

 しかし、数年前までの、翻訳、音声認識の程度を考えるとここ数年進歩はすさまじい。

 技術の進歩は、原子・分子レベルでは難しいものです。

 たとえば、ある物質から放射能を除去したり、バッテリーの貯電量を飛躍的に上げたり、太陽光発電で発電効率を高めたり……

 ロボットにおけるアクチュエータ(動力部)も、その開発は難しいでしょう。

 しかし、ことソフトウェアの絡(から)んだ部分、たとえばロボットの制御プログラム、音声認識プログラム、翻訳プログラムなどは、コンピュータの演算速度の飛躍的な進化と相まって、まだまだ多くの「伸びしろ」があります。

 小さな携帯マシンに、それらの能力を求めるのは不可能でしたが、さきのsiriやコンシェルでわかるように、携帯端末から、中央の巨大なマシンに音声を「転送」して、音声認識、翻訳処理をするなら、手持ちのマシンに高性能を求める必要がなくなるわけです。

 極端にいえば、持ち歩くのは携帯電話だけでいい。

 この、「音声データの中央処理システム」が爆発的に広がりつつあるのが現代です。

 近い将来、いやほんのあと数年で、外国言語ほぼ同時通訳も夢ではなくなると思います。

 ならば、ビジネスマンは、言語習得に余計な時間を割かずに、もっとビジネスに直結した勉強をするほうがよほど有益です。

 実際、マシンなしで英語が話せなければならないのは、ちょっとでも良い機械を持っていたら、すぐに盗まれる、貧しい発展途上国の安宿を独りで旅行する時くらいでしょう。

 個人的な予想ですが、近い将来、外国語習得に関しての、人々の考えは二分化すると思います。

 ひとつは、携帯端末に翻訳をまかせて、外国語の習得を放棄する人々。

 もう一つは、ステイタスとして、外国語を話すように努力する人々。

 付け加えると、全てを記録される可能性のある自動翻訳を嫌って、なんとか自力で外国語を話そうとする人や企業も若干存在するでしょう。

 気になるのは、もうすでに「実用になる翻訳装置」ができつつあるのに、あるいは、しばらくして実際にそれができたとしたら、それでも自分の能力だけで語学を学ぼうという人はどれくらいいるか、です。

 今は、ジュニア向けの英会話教室、あるいは大人向け・シニア向け英会話教室などが、まだまだ勢いをもっていますが、その頃には、そういった語学教室は急激に没落する業種となってしまうかもしれません。

 だって、皆さん、もっと簡単な方法があるのに、わざわざ苦労はしないでしょう。

 個人的にいえば、それでよいと思います。

 知り合いに、英語が「できる」(できるってのはどういう意味でしょうかねぇ。昔から不思議でした)という理由だけで、いち早く外国の論文(まず英語で発表される)を翻訳するだけで、ひとかどの教授と呼ばれていた人がいました。

 真面目に研究を続ける他の教授を尻目に、羽振りよく外車を乗り回す彼を、わたしはあまり好きではありませんでした。

 もっとも、昭和の時代には、そういった「ホンヤク教授」という人種は多かったのですね。

 経済学者などは、ほとんどそうであったらしいと聞いた覚えがあります。

 ネット社会になり、自動翻訳がかなり進んだ現在(英語を話す日本人も、昔より多くなっています)、そういった翻訳だけで身をたてる研究者が少なくなったことは、個人的に大変うれしい。

 それはさておき――

 わたしが不思議だったのは、こういった時の流れを、よく知っている業種のはずの楽天とその社長が、いまさら肉弾英会話を社員に求める理由です。

 「ビジネスの真剣勝負の場所」では、そういった翻訳装置ではなく肉声で直に話さないとダメだ、とでも思っているのでしょうか?

 もし、そう思っているなら、よほど彼らの視点は、グローバルではないのでしょう。

 それが良いか悪いかは別として、いまや、ほとんどの企業で「Eメールによる業務報告」などの、仕事に直結した書類のやりとりが行われているはずです。

 仕事においては、言語はただの道具です。

 外国の恋人に「ウォーアイニー」や「イッヒリーベディッヒ」と告げるなら、肉声であるべきでしょう。

 しかし、それ以外なら、来るべき「進化を遂げた自動翻訳」で充分です。

 だいたい、英語が苦手な人間に、無理矢理勉強させて使わせても、間違った意思疎通がなされて、会社に被害を与える可能性があるじゃないですか。

 いい加減な人の記憶より、よほど機械翻訳の方が正確です。

 最後に面白い話をひとつ。

 新宿にある中堅ベンチャー企業が、楽天に先駆けること二年前に英語公用化を行ったものの、

『勘違いの結論でGOを出して結果的に損失をだす』

という社員が続出したため、今は、部分的英語使用に留めているそうです。