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WALL・E/ウォーリー   ~銀河一孤独なロボット~

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 この映画については、まだ、あまり詳しく書けません。

 公開が来る12月5日だからです。

 観に行く前からネタバレなんて誰もして欲しくないでしょう。

 だから、少しだけ書きます。
 公式サイトも、プロダクション・ノートも何も見ずに、ただ観た感想を少しだけ書きます。

 観に行くか行かないか、その判断に少しでも参考にしていただけたら幸いです。

 WALL・Eはゴミ処理ロボット。

 彼は、自分のことを、ウオール・E(ウオールィー)と読んでいるので、以後、彼のことをウオーリーと呼びます。

 造形が、ディズニー映画にも関わらず(ディズニーという会社のスタンスが好きではないのです)最高にいい。
 わたしの好きなショート・サーキットのジョニー・ファイブそっくりだ。

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 ショート・サーキットはとくに「2」が好きで、レーザーディスクを持っています。映画自体は駄作なのですが、それでも主人公のジョニー・ファイブのキャラクタだけで、何とかもっているのがスゴイ。

 それはさておき、映画冒頭、ジョニー・ファイブそっくりのウオーリーは、ただ一人(一体)で、ゴミだらけの地球を掃除しています。

 おそらく環境破壊が進んだ地球を人類が見捨て、清掃ロボットだけを無責任に残して去っていったのでしょう。

 ロケット発着ポートでそれらしき映像が寂しく映されています。

 彼によく似たロボットが、いたる所に壊れて転がっているところを見ると、はじめはたくさんいた仲間も、長い年月のうちに、壊れ、朽ち果ててしまったのでしょう。

 数百年という長い年月が、いつしかウオーリーに人格を与えます。

 観ていてこれが辛い。

 いっそ、人格など生じなければ、ただのロボットとして、他の朽ち果てたロボット同様、壊れるまでゴミ掃除をしているだけだったでしょう。

 だが、不幸にも彼は考えることを覚えた。
 生き物は、考えれば孤独になる。

 だから、彼は孤独になった。

 おそらく銀河一孤独なロボットに。

 わずかに生き残っている虫を友達に、古いミュージカルのビデオテープを心の支えとして、時折襲ってくる竜巻をかわしながら、壊れた仲間から集めた部品で自己補修しつつ、ウオーリーは終わりのない清掃作業を続ける。

 ディスニーめ、ハラ立つけど、なんて孤独感の表現がうまいのだ。

 姿カタチがジョニー・ファイブに似ているだけでも胸が苦しくなるのに、毎日、ひとりレストハウス(倉庫)に戻った彼が、虫をかわいがり、楽しげに歌い踊るミュージカルビデオを観るその表情は孤独そのもの。

 前にも書いた。わたしは孤独なイキモノに弱いのだ。

 そのわりに、不思議と「キャスト・アウェイ」はなんともなかった。おそらく、トム・ハンクスが頑張って演技し過ぎたからだろう。
 スピルバーグの「A.I.」も、なんともなかったなぁ。あっちは涙目のオスメントの芸がクサかったからだろうか。

 知恵の実を食べたウオーリーは孤独を知り、やがて朽ち果て全てが終わるはずだった。

 だが、ある日、空から宇宙船が降りて来て、「ひとり」の探査用ロボットを残して去っていく。

 ウオーリーとは違い、純白で流線型の、銀河一美しい(ウオーリーの印象)女性ロボット(ウオーリーの印象)イヴだ。

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 彼は有頂天になる。もう自分は孤独ではないのだ。

 なにを調べているのか、調査に余念がないイヴに、さまざまにアタックを試みるウオーリー。

 やがて、二人(二体?)のロボットは、心を通わせあうようになる。
 知恵を得て、孤独を知ったウオーリーは恋も知るのだ。
 モノを考える、人格を得るってことは悪いことばかりじゃない、それを大上段にふりかざさず、子供でも自然にわかるストーリーに仕上げている。

 なかなかエエじゃないの。

 が、突然、イヴが機能停止し、回収ロケットにより連れ去られる。

 ロケットにしがみつき、地球を離脱するウオーリー。

 彼の、イヴを守り、地球を再建する冒険が始まったのだ。

 と、まあ、これくらいなら映画の紹介文に書かれているから良いでしょう。
 
 徐々に感情に目覚め(それほど高性能なのだ)、ウオーリーを好きになるイヴも魅力的だ。

 うーん、イイトシしてアブナイかも。

 物語、中盤、CGならではの美しく楽しいダンスシーンがあるので、それも必見です。

 あえて書けば、ロボットやロケットなどの、機械以外の造形がイマイチなのが残念だ。
 まあ、それは観ていただければわかるでしょう。

 公開が一段落して、気が向いたらまたこの続きを書きます。

 ディズニーの絵柄に拒絶反応を示さず、他に観に行くものが特になく、男同士で観に行かないのなら、この映画はおすすめです。

 ショートサーキット2が好きなら迷わず観るべきです。

 我らのジョニー・ファイブが、ゴミ清掃人となって帰ってきて、あまつさえ最高の恋人に出会う話なのだから。

 あ、小さい声で書いておくと、この映画もカッコイイ映画です。

さあ、タクシーに乗るのよ! ~グロリア~

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 ずいぶん長く間があいたが、やっとこの映画について書くことができる。

 この映画を「カッコイイ」映画という視点で書くのはやめることにしよう。
 多くの人が、こぞってそういった視点から、この映画を評しているだろうから。

 だから、わたしは、こっちからアプローチすることにする。

 「ハリーとトント」「真夜中のカーボーイ」(今となってはカウボーイでないところが逆にカッコイイ)「ドライビング・ミス・デイジー」「テルマ&ルイーズ」「ストレイト・ストーリー」「モーターサイクル・ダイアリーズ」「イージー・ライダー」そして「道」に共通する言葉は?

 そう、ロードムービーだ。「ドライビング~」をロードムービーに分類することに異論のある向きも居られるだろうが、あれはわたしの中では、確かにロードムービーなのだね。

 主人公が「ここではないどこか」を旅することで感じる開放感、旅先の人との会話、触れあい、そして同行者がいる場合その濃厚な同室時間を通じての人間関係の変化などを通して、「主人公の内面の変化を表現する」のがロードムービーだとわたしは考えているが、上記の名作ロードムービーは、さらにいくつかに細分化される。

 おわかりでしょうか?
 そう、乗り物が違うんですね。

 「ハリーとトント」「真夜中のカーボーイ」はバス旅行。
 「ドライビング・ミス・デイジー」「テルマ&ルイーズ」は車。
 「ストレイト・ストーリー」は耕耘機?で、あとの作品はオートバイだ。

 しかし、これには重要な乗り物がふたつ抜け落ちている。
 そのうちのひとつ「列車」は、アメリカが鉄道社会でないから仕方がないとしても、もうひとつのほうが抜けているのが気に入らない。

 それは「タクシー」です。

 もちろん、日本の「夜明日出夫(よあけひでお)」(二時間ドラマ、タクシードライバーの推理日誌)みたいに、タクシーを借り切って何百キロも旅をする、なんてことはアメリカではあり得ないから仕方がないのですが。

 そのかわり、タクシーを用いた映画ならいくつかあります。

 その代表格が、そのものずばり「タクシードライバー」(スコセッシ、デニーロの秀作)ですね。

 だが、そういった、ウィノナ・ライダー出演の「ナイト・オン・ザ・プラネット」のような運転手目線で作られた映画でなく、ただ主人公たちが「タクシーに乗りまくる映画」なのが「グロリア」なのだ。あー、やっとたどり着いた。

 場所はニューヨーク・マンハッタン。
 かつてはオキャンで美しく、暗黒街でも指折りのギャングの愛人だった彼女も、今では老いて疲れを見せる中年女性になっている。

 その彼女が、突然、友人から男の子を託される。
 友人の夫が、暗黒街の金を使い込んで、ヤバイ状況になってきたからだ。

 始めは拒絶するグロリア。そんなことをするのはヤバ過ぎる
「わたしには養っているネコもいるのよ」
 裏切り者の家族をかくまうだけで、殺される世界なのだ。

 だが、結局は引き受けさせられ、嫌がる子供を無理矢理部屋に連れて行くグロリア。

 入れ違いにやってくるギャングたち。鳴り響く銃声。悲鳴。
 暗黒街に長く身を置くグロリアは、何が起こったかを瞬時に察知した。

 すぐにスーツケースに簡単に荷物を放り込んだグロリアは、男の子を連れて部屋を出る。 

 ここからは、タクシーの乗り継ぎオンパレード

どこに行くのもタクシーだ。

 個人的には、タクシーだとアシがつきやすいのではないか、と心配になるが、彼女はそんなことは構っちゃいない。

 家族の元に帰りたい、と子供じみた(ってコドモだけど)逃走を繰り返し、泣き言をいう男の子に我慢強く接するグロリア。

えらいねぇ。わたしなら怒鳴りつけているところだ。わきまえろ、と。

 やがて、ふたりの間に信頼と愛情が芽生える。

 追いつめられるグロリア。
 彼女は、見せしめのために子供も殺されることを知っている。
 仕方なく、彼女は、かつての恋人に事情を説明するために会う。

 ここらへんがカッコいいんだよなぁ。

 いくら、かつての恋人、彼女のかわいい人、であったとしても、彼にもギャングのボスとしての顔がある。

顔にドロを塗られては、もと恋人の言葉だからといって、はいそうですか、と引き下がるはずがない。

 おそらく自分は殺されるだろう。震える手でドアを開け、彼女はボス(たち)に会う……

 そして、大の男でさえ(いまはこの表現マズイかな)逃げ出すような状況で、彼女は震える足をしっかりと床に着け、ボスたちに向かって啖呵(タンカ)を切るのだ。

「子供は関係ないから、助けろ」と。

 グロリアの受け答えを見ていた他の幹部も、彼女が座を外すと「たいした女だ」と感心することしきりだ。

 結局、要求を拒絶されたグロリアは、ふたたびタクシーに乗って子供とともに逃げようとするが……

 白人女性とヒスパニックの子供が、肌の色の違いを超えて(1980制作当時)信頼しあう

 それは母性本能か?俺が、お前に子供を授けてやれなかったことが原因か?と尋ねるボスに、グロリアはきっぱり「違う」と断言する。

「母性本能なんかじゃない」と。

 動機がなんであれ、グロリアは、ただ敢然とギャングの組織に立ち向かう。

 その姿は、やはりカッコイイ。

 格好良いとは、こういうことさ

 見かけ倒しにグラサンかけて気障なセリフを吹いて、汗もかかずに(当時の特権階級たる)ヒコーキに乗って飛び回る中年ブタ男なんて、やっぱ格好悪いわな

 ホント、「グロリア」(1980年版)は、イカス(中年)女がタクシーに乗りまくって、ギャングに立ち向かう、最高にカッコイイ映画なんです。

 わたしは好きです。

 あ、結局、カッコイイ目線で書いてしまった。

(K-20)-1は怪人十九面相?いいえ、K-19です

 先日、K-9は警察犬課、K-20は?などというタイトルで書いたが、その後、どうも何かを書き忘れているような気がして気持ち悪かった。

 先ほど、その原因が分かった。

 K-シリーズときたら、K2とK-19について書かねばならなかったのだ。

 K2は言わずと知れた山の名で、これについては別項で書くことにして、ここではk-19について、短く書いておこうと思う。

 K-19は、旧ソ連のミサイル原潜の名前だ。

 彼女?にはいくつか仇名がある。

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 その一つは、2002年「k-19」としてハリソン・フォードで映画化された際に、サブタイトルにつけられた「Widow Maker」(未亡人ツクリ)だ。

 同じ仇名は、名車ながら「曲がらない止まらない」だった、カワサキのマッハ3(本来ローマ数字)にもつけられたが、つまり亭主を殺すマシンということだ。

 
 彼女のもうひとつ有名な仇名は、こっちはもっと笑えない「ヒロシマ」だ。

 おそらく原子力から原子爆弾を連想してのネーミングだろうが、この名前考えたヤツ、もうセンス悪すぎ

 それが原因か、海中の「ヒロシマ」は70年代にも28人死亡の火災事故を起こしている。

 以上、強引にまとめると、K-9は警察犬課、K-20は怪人二十面相、そのひとつ前のk-19は、赤い疫病神だった、ということになるかな。

 「歴史は繰り返す」の格言通り、先日、日本海で試験航行中のロシア原潜内で、消火装置の誤作動によるガスで技師や乗組員ら20人が死亡、21人が負傷したという。

 また「赤いウィドウ・メーカーの復活か」と一瞬思ったが、かつてとは違い今は男女同権の時代だ。死者や怪我人に女性が入っている可能性もある。

 確か、宇宙空間など、肉体的にキツイ職場は、女性に向いていると聞いたこともあるから、その可能性は高そうだ。

 未来には女性ばかりの原潜というのもありえるだろう。

 おしかりを覚悟で、さらに書くと、もし女性が犠牲になっていたら、その原潜は、もはや「ウィドウ・メーカー」とは呼ばれない。

 ただ「キラー」とでも呼ばれるのだろうか。

 あるいは、えーと、妻を亡くした男、鰥夫(ヤモメ)は英語でなんといったっけ?

 なんか変な呼び方だったような……ああ、widower

 なんだ、erつけただけ?

 じゃあ、widower Makerか?
 なんだかな。

 ところで、ウインナ・オペレッタの名作に、フランツ・レハール の「Merry Widow」があります。

 陽気な未亡人とでも訳しましょうか。

 Merry Widowは、なんとなく、ちょっと怖く可愛い感じがするが、Merry Widowerってなんかハラ立つね。

でも、妻を亡くして、ガックシしょぼクレた男ヤモメ哀れで悲しいから、そっちの方がいいかも。

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