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異国で輝く異才:それを認める度量 「大遣唐使展」に思う

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書き忘れていましたが、一週間ほど前に、奈良市の国立博物館で行われている「大遣唐使展」に行ってきました。

 眼目(がんもく)は、先日放送された「大仏開眼(かいげん)」(言いたかないけどひどいデキでした)でもおなじみの吉備真備(きびのまきび)の、中国での活躍を描いた「吉備の大臣入唐(にっとう)絵巻」の実物を見ることでした。

 かつてフェノロサと岡倉覚三(天心)が歎いたように、ガイコクバンザイだった明治時代に、日本の古美術品は、多数海外に流出しました。

 ご多分にもれず、この作品も単身?渡米し(1932年ですが)、ボストン美術館に収められているため、こんな機会でもなければ目にすることはできないのです。

 で、その絵巻物、まあ今でいうストーリーマンガですね、これがどんなものかというと……

 ひとことでいえば、遣唐使として、唐にやってきた吉備真備を貶(おとし)めようと、様々な画策を巡らす唐の役人たちに対して、彼の地で命を落とし、今は鬼となった阿倍仲麻呂を味方に、真備が、それらの罠を次々と咬み破っていく痛快絵巻物です。

 吉備真備が鬼と一緒に空を飛んでいたり、唐の囲碁名人から、やったことのない囲碁勝負を挑まれ、付け焼き刃の知識で、天井のマス目を碁盤に見立ててシミュレーションを繰り返すシーン、そして、きわどいところで勝負に負けそうになって、アゲハマ(とった碁石)を一つ飲み込み、疑われて下剤を飲まされ、すべてを排泄させられそうになりながら、異物を腸内に留め置く呪文(ってどんなもの?)を念じて、囲碁勝負に勝利するシーンなどコミカルに描かれています。

 残念ながら、巻物のすべては展示されていませんが、博物館地下の通路に設置された(株)シャープ提供の横長巨大ハイビジョンで、分かりやすい解説とともに現存する全てが紹介されています。

 あ、いま、公式サイトで、去る4月29日の朝にNHK総合で、「吉備大臣入唐絵巻の謎に挑戦」なる番組が放送されていたことを知りました。

 見逃したなぁ。

 でも、5月3日の午後3:05から再放送があるから、それを観よう(NHK総合)。

  http://kentoushi.exh.jp/program.html

 さて、ここからが本論です。

「異国で輝く異才:それを認める度量」と、タイトルにありますが、今回、お目当てだった絵巻物より、わたしが感銘を受けたのが「井真成墓誌(せいしんせいぼし)」でした。

 日本からの留学生、井真成(日本名は藤井氏あるいは井上氏といわれる)が、唐で官職につきながら36歳で亡くなった時にその墓所に収められた石版です。

 石版自体は多少すり減っていて読みにくいのですが、横に掲示された漢文は読みやすく、わたし程度の浅学の徒でも、だいたい内容はわかります。

「日本からやって来た留学生は、素晴らしい才能を見せていた。日本に戻れば、他にならぶものがない才能を示したことだろう。

 しかし、勉学の途中、36歳の若さで死んでしまった。

 皇帝もその死を惜しまれ、礼式にそって贈官(官位を贈り)し、葬式は官費で行った。
 ああ、悲しいかな、早朝に棺をのせた車が官舎を出で、喪を示す赤い布も風にはためいている。

 墓所までの遠い道のりの間も哭(な)き声はやまず、陽が傾けば、なおも思いは募る。
 広い郊外の野を葬列はすすみ、墓所に至ると、また悲しみは新たとなった。

 異国の友人の霊を安んじるために書いた墓碑銘の永訣の言葉は……」

[原文]

「〔榮〕は乃ち天常にして、哀は茲れ遠方。
    形は?に異土に埋められしも、魂は庶はくは故鄕に歸らんことを」と

[訳]
 人が死ぬのは天の理(ことわり)であるから仕方がない。

 悲しいのは遠方であることだ。

 体は、もう異国に埋められたが、魂は故郷に帰ることを願うばかりだ、と」

 大遣唐使展の公式サイトでは、この石版をして、

「皇帝もその死を惜しんだ日本人留学生(るがくしょう)がいた!」

  http://kentoushi.exh.jp/highlight.html

と書いています。

 今まで、わたしは、遣唐使を、なんとなく「進んだ唐の仏法・学問を学ぶために出かけた国策の、あるいは個人的に野心をもつ勉強家たち」だと思っていました。

 もちろん、それは正しい考えだと、今でも思っています。

 しかし、「大遣唐使展」に行って、その考えには「唐の人々から見た遣唐使」という視点が抜け墜ちていることに気づきました。

 唐の人々から見れば、はっきりいって、当時の遣唐使は、文化・科学的に劣った国の使者であったはずです。

 三浦按針(みうらあんじん:ウイリアム・アダムス)や耶楊子(やようす:ヤン・ヨーステン)ならわかります。
 だって、彼らは「進んだ異国」からやってきた男たちだったのですから。

 けれど、唐の人々から見た日本人は違う。

 極言すれば、彼らが日本人から学ぶものは、ほとんどなかった。

 しかし、歴史的にみれば、遣唐使のうちの何人かは、唐代の皇帝に重用されて、かなり高位の官職にもついている。

 これは、もちろん、遣唐使たちが特に優秀な人間たちで、(日本語以外に)流暢に大陸の言葉を話し、学問の理解力も高かったということもあるでしょうが、それ以上に、唐が国際都市で、ヨソモノに対して開かれた(というかサバけた)社会であったことを示しているのではないでしょうか。

 使えるヤツは使えば良い、という。

 当時の長安は国際都市で、紅毛碧眼の人種も多く、ハーフやクオーターも相当数いたといわれています(わたしもかつて「李白の目は青かった」という俗説にインスパイアされて青い目の李白を主人公とする「碧眼の詩」という小説を書いたことがある)。

 翻(ひるがえ)って、現代の日本を考えてみると……

 隣国とはいえ、小国、島国からやってきた異人たちを、今の日本は政治に重用するでしょうか?

 否、それどころか異人種には警戒感を募らせているところです。

 もちろん、アジアの隣国たちが、われわれと、政治形態と中心思想が違う国になってしまっているからですが。

 それに歴史的に不幸な経緯もある。

 だから、今の日本は異人を国政に受け入れない。

 その伝でいえば、現代中国も「島国根性」ともいうべき小国性丸出しを露呈している感じがしますね。

 かつての大らかさが感じられない。

 某検索サイトも撤退しましたし、ツイッターも使用不可能。

 ともあれ、この、2004年10月に発見された井真成墓誌によって、これまで知られていない、歴史に埋もれた有能な遣唐使が存在したことが明らかになりました。

 だからこそ、この石版(墓誌)は一見の価値があると思います。

 上記以外でも、展示館入り口には、ピカピカに磨き上げられた、和同開珎(わどうかいちん:富本銭ではなく)が飾られ、あの玄宗皇帝や、王義之に傾倒した太宗皇帝が、自ら書いたといわれる碑文の拓本も展示されています(「直筆」を、どこまで信じてよいかはわかりませんが、玄宗皇帝の文字は幅広で力強く読みやすく、太宗皇帝の文字はすっきりと美しいスタイルです)。

 陶器や仏像にはあまり興味がないのですが、石碑などに残る、当時の様子を知る文献には非常に興味深いモノがあります。

 混雑するとは思いますが、時間があれば、この休みの間に行かれてもよいと思います。

 わたしたちは行きません。

 なんせ、先日、県知事から、他府県の人々のため奈良県民は遷都1300年関連の場所に行くことを控えろ、というお達しがありましたから……

谷垣氏よ、あなたもか!

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 さきほど、フォローしている上杉隆氏のつぶやきで、自民党総裁谷垣氏が、つぶやき始めたことを知りました。

 以前に、谷垣氏は、ツイットを「ゴマメの歯ぎしり」とバッサリと斬り捨てていたのですが……

 そのことについては、ここで書いたことがあります。

↓以下、ツイッターからの引用です。

 ようこそ、谷垣さん。勇気ある「豹変」を歓迎してみる。 QT @Tanigaki_S はじめまして。自民党総裁の谷垣禎一です。以前、「つぶやき」はしないと申し上げましたが、多くのみなさんから「なまごえ」をうかがう有効なツールとの熱心な勧めがありツイッタ―を今日から始めます。

 君子豹変す、なのでしょうが、個人的には、頑固なオトナとして、珍奇で不確かなアタラシモノは拒絶し続けてほしかった、という気がします。

 頑固さは、政治家の重要な資質の一つだと、まぁ、無責任に思うからです。

 いくら、取り巻きが、あらさー取り込みの道具として勧めたってね。

バースの行方

 故景山民夫氏の名エッセイ「喰わせろ」(先に書いた井上ひさし氏の「巷談辞典」と同じく夕刊フジに毎夕!連載され、イラストレーター山藤章二との共著ともいうべき「文字と絵の掛け合い」が最高に面白かった)で、わたしはバースの本当の呼び名がバスであったことを知りました。

 バースというのは、もちろん関西人気球団に所属していた、ランディ・バースのことです。

 なぜ、本来「バス」と呼ぶべき男を「バース」と呼称したかについて、氏は「バスじゃ修学旅行や風呂桶みたいになっちまうからだろ」と書いています。

 後年、阪神高速を走っていると、道路沿いにバース氏が紹介する(株)日ポリ加工の風呂桶(言い方が古いね、今はたぶんバスタブと呼称)の巨大な看板があって、ああ、彼も本来のバスに戻ったのだなぁと、感慨深くうなずいた記憶がありました。

 バスといえば、英国を訪れた時、インターシティを途中下車して、ローマ人も通ったといわれるバースに立ち寄ったことがあります。

 現地の観光案内所で、半日観光バスに金を払って名所を回ったのですが、なかなか見応えのある場所でした。

 日本の源泉掛け流しと違い、緑色の生ぬるい湯でしたが↓(わたしにはバスクリン入りのように見えました)、さすがにバスの語源と呼ばれる巨大浴場は、古く大きく、現地の修学旅行(ないって、遠足だろうな)の子供たちもたくさん訪れるほど人気のある場所でした。

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 さて、ここからが本題です。

 今回とりあげようとしているのは、そんな千年を超える遺跡や野球選手のことではありません。

 もっと身近な、日本にあるバースのことです。

 わたしが子供の頃は、風呂といえばタイル製のものがほとんどでした。

 洗い場もそうでしたが、ここで風呂というのは、風呂桶、バスタブのことです。

 風呂屋にいってもそうだったし、家庭でもそうだった。

 田舎にいくと、まだ五右衛門風呂なんかがありましたが、その頃でさえ、そんな昔の風呂は珍しくなっていました。

 しかし、現在、個人で、タイルのバスタブを使っている家は、あまりないでしょう。

 たいていが、ステンレスあるいは日ポリ加工の(とは限らないが)バースタブを使っている。

 ご存じのように、家で一番早く傷むのは、水回りです。

 台所、トイレ、あと外壁、屋根かな?

 当然、風呂も、何年かでリニューアルすることになる。

 その際、巨大なバスタブは撤去され、新しい、おそらくはもっと保温のよいものと取り替えられる。

 余談ですが、ユニットバスでない場合、風呂の窓を大きくしておかないと、壁を壊してバスタブを取り出さなくなるため、リニューアルの費用がかさむそうですね。

 家なぞ建てる予定も金もないから、わたしには関係はありませんが、知識としてはそういうことだそうです。

 取り出されたバースは、産業廃棄物として放棄、あるいは再生プラスティックとして生まれ変わる……こともあるかもしれませんが、田舎では、もっと数奇で違う運命をたどるのです。

 田舎を、車で走ったり散歩すると目につくものがある。

 畑です、って当たり前ですが。

 そして、その畑の端では、ごく当たり前のようにバースが座っている。

 都会の共同菜園などでも、何人?もバースが座っている。

 雨水の貯水タンクとして↓。

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 東京都では、各家庭が樋水をタンクに溜め、天然水として散水や植木の水やりに利用している区があります。

 近くのDIYセンターでも専用のものが売られていますが、結構高いのですね。

 その点、2~400リットルの水を溜めることのできるバース(しつこい?)は、中小規模な菜園では理想的です。タダだし。

 先年亡くなった父も、近くの菜園で使っていました。

 確かに、野菜畑の横に、屋内にあるべきバスタブが、いくつも並んでいる景色には違和感を感じますが、これもある種、異業種交流。

 昔は箱入りムスコでしたが、今は「畑」違いの場所で頑張っています、ということで、これはこれで、りっぱなバースの行方ではないかと、わたしは考えているのです。

 p.s.
 違和感のある風景、といえば、東南アジアやアフリカなどで、現地の人が日本から贈られた洋服を着ていることがあります。

 背広を着て畑仕事をしているその姿は、日本人の目からみると多少奇異に感じてしまいますね。

「日本のセビロは縫製がしっかりしていて丈夫だから野良仕事に向くのだ」と彼らが答えるのをきくと、わたしは、うれしいような、誇らしいような、申し訳ないような不思議な気持ちになってしまうのです。

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