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音で聴く小説:ラジオドラマ「昨日見た夢 今日流す涙」

 いやあ、やりました。

 「昨日見た夢 今日流す涙」ラジオドラマ化です。

これは、もう随分以前、自作小説のコーナーに脚本形式でアップしてあった作品ですが、比較的長いためドラマ化は不可能だと思っていました。

 それが、このたび、晴れてラジオドラマになりました。

 自分で書いた原作が、音声のみとはいえ、こういった実体を持つのは嬉しいものですが、個人的に、この作品には思い入れが強いため歓びもひとしおです。

 梗概(こうがい:あらすじ)をもう一度書いておくと、

 中野和季(かずき)は18歳。著名な学者の父とエリートの兄の間で常に劣等感を感じている大学生だ。

 周囲の期待から生き甲斐であった陸上をやめ、猛勉強のあげく名門大学に入学したものの「本当にやりたいこと」ではなかったため、今ではすっかりやる気をなくしている。

 そんな和季の前に、突然、菜摘(なつみ)と名乗る少女が現れる。

 とまどう和季を後目に、彼女は奇妙な言動を繰り返し、やがて自分は五十年先の未来から来たと言い始めるのだった。

 一言でいうと、ちょっと悲しいSFラブストーリーでしょうか。

 ぜひお聞きください。

「シャガール」と「かめ女」

 一眼レフ・デジタルカメラを購入して以来、カメラを持って街をうろつく機会が増えています。

 そうやって、片手にカメラを持って歩くと、世の女性たち(という表現がもう古い?)の多くが、大きな一眼レフを持って歩いていることに気づきます。

 当たり前のことですが、特に行楽地では、その率は50倍以上にはねあがるようです。

 大手電機量販店、ナンバのヤマダ電機などで、女性用一眼レフコーナーというべきエリアが作られていることには気づいていましたが、これまでは興味もなく、注意してみることもありませんでした。

 しかし、改めてそういった目線でみると、電機店でも、カメラ店でも、書店でも、明らかに女性をターゲットにした販売計画を立てているように思えます。

 個人的に、視覚による刺激については性差があると考えていて(優劣ではありませんよ)、男性の方が、視覚には敏感だと思っていたのですが、それほど単純ではなかったようです。

 むろん、数十年前から多くの女性がカメラマン(ウーマン)となり、カメラに興味を持っていたことは知っていましたが……

 いくつか、このカメラ・ブームの原因を考えてみました。

 あ、一部、ある傾向の女性に対して偏見のある意見も入っていますが、他意はありませんのでご容赦を。

『女性の一眼レフブームの原因』

1.もともと女性は美しいもの、きれいな景色が好きなので、それを自らの手で簡単に作り出せるデジタルカメラを好きになった。

 じっさい、一眼レフの巨大な受光素子でデジタル化した映像は、コンパクト・デジタルカメラで撮ったものとは雲泥の差があります。

 画素のひとつひとつがクリアであるため、少し絞りを絞ってやると、人の目で見るより、はるかに「物体そのもの」と「その周辺」が同時にクリアに見えて、肉眼で見るのと同じ景色であるはずなのに、レンズを通して見る景色が、まったく別世界の美しさを持つのです。

 あるいは、望遠レンズで、絞りを開け気味にしてボケを強調すると、これも肉眼でみるのとはまるで別な世界を切り取ることができる。

 ターゲットにした物体の輪郭をボケの光で縁取ったような。

 まるで、世界を万華鏡の材料にして、美しく飾り立てたようにね。

2. 1の前段階として、携帯電話についたカメラで映像を記録する楽しみを知ってしまった。
 

3. 雑誌などで紹介されるトイカメラの、ポップで色調が強調され、レンズの歪みによるピンボケをオリジナリティあるものとして、可愛く感じ、自分でも撮りたくなった。
 しばらく、トイカメラで遊ぶうち、iphoneなどのスマートフォンで、トイカメラ風にとることのできるアプリケーションを見つけ、ついで、オリンパスペンなどのカメラに搭載されている、トイカメラ・フィルターで、もっと本格的な映像をとりたくなり、一眼レフを持つことになった。

4.広告から察せられるように、メーカーもそれを狙っているフシがあるけれど、生まれてきた我が子の撮影を、時間のない、あるいは芸術的センスの皆無の旦那にまかせたくないと思う女性が増えてきた。

 聴くところによると、運動会などでは、男性より女性の方に、カメラ取りの好位置を巡って熾烈な闘いが繰り広げられるとか……

5.さして好きでもないコーヒーに、砂糖とミルクを大量にいれて甘味化して食しつつ、「スターバックスで珈琲を飲みながら、書類やノートを広げて目を通す自分がスキ!」的に、ちょっと無骨な一眼レフを手にして「映像を切り取っている」感のある自分がスキ!な女性が多くなった……

 あ、まずい、こんな書き方をすると、一部女性の反感を買ってしまうじゃぁないか!

 まあ、これはなにも女性に限ったことではなく、

「ふぉっふぉっふぉっ、若い人は男も女もデジイチなどと称して、デジタル一眼レフカメラを持って走り回っているようじゃが、わしらは、その時代をフィルム・カメラ(ギンエンカメラなどと間違っても彼らはいわない)で、はるか昔に過ごしてしまいましたわい。いま、わしたちの興味は、いかに大判あるいは中判カメラでよい映像を撮るかという一点にかかっておるのですじゃ。やっぱりハッセルブラッドは良いのう、まあ、お若い人にはちょっと手に入れるのは無理な値段かもしれんが……ふぉっふぉっ」

とノタマウ老人と、同じベクトルとスカラー量があるように感じますね、などと書くと、さらに敵を増やしてしまうじゃないか。

 えーい、毒喰らわば皿まで!

 追加して言ってしまうと、

 カメラ好きな女性を指して「写ガール」という呼び方がありますね。

 同名の女性向けカメラMOOKなどもでています。まあ、これは順序が逆で、雑誌がでてその呼び名ができたのかもしれません。

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 しかし、この呼び名はちょっと問題があるんじゃないかなぁ。

 だって、シャガールってことは、明らかにマルク・シャガールを意識した呼び名でしょう?

 それでもって、シャガールの代表作品ってこんなのですよ↓

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 つまり、ちょっと変わった抽象画……世の女性たちが、自分を抽象画に例えるというのは考えられないけどなぁ。

 こんなふうに(ピカソだけど)

ファイル 628-3.jpg

 あるいはこんなふうに?(ミロだけど)

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 だから、この際、写ガールはやめて、正統的に「カメラ女子」と呼んだ方がよいのではないでしょうか。

 うん、響きもいい「カメラ女子!」

 略して、かめ女!

 あ、いかん、かめ女は、ちょっとまずいかも。

 かめ女さん↓(ジョージ秋山作、はぐれ雲より)

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 いや、本来は、そういった呼び名すら廃れるほど、カメラを扱う女性が定着するべきなんですよね。

 そして、おそらく、今後、そういった方向に進んでいくでしょう。

 個人的に、しっかりとしたカメラでファインダー越しに被写体を撮る女性の姿は美しいと思うし、大きめの一眼レフを首から提げて、揺れないように、手で押さえながら歩く女性は可愛いと思います。

 すくなくとも、腕を突き出して無粋なシャッター音を響かせながら、携帯電話でなんでも撮りまくるより、はるかに素晴らしいとわたしは思うのです。

浮世絵百面相 歌川国芳展にいってきました

 さきほど、録画しておいた今朝の新日曜美術館を視ると「歌川国芳傑作選」をやっていました。

 しまった、先を越された!

 知らなかったなぁ、今日、国芳を放送するなんて。

 先週は「超写実画家 野田弘志」で、野田氏のスゴさに感動するうちに、次週予告を見なかったのです(野田氏については、検索してみてください)。

 え? 先を越されるって?なに?

 実は、先日、大阪市立美術館の「没後150年 歌川国芳展 」を観に行ってきたのです。

 http://kuniyoshi.exhn.jp/

 それについて書こうと思っているうちに、先にテレビ放映されてしまいました。

 まあ、大NHKと争っても仕方がないのですが。

 喜多川歌麿、安藤広重は有名ですから、わたしも何度かその作品を目にしたことがありますが、歌川国芳というと、鯉と戦う金太郎「坂田怪童丸」↓と、巨大な骸骨(個人的に、和田慎二氏が超少女明日香シリーズで描いた巨大骸骨の元ネタだと考えています)が宮中を襲う絵「相馬の古内裏」↓、あとは人で出来た顔「みかけハこハいがとんだいゝ人だ」ぐらいしか知りません。

「坂田怪童丸」

「相馬の古内裏」

 国芳の人となりについては、おそらくデフォルメされているであろう、高橋克彦氏の小説で知るだけです。

 今回、その作品の概要を知って、彼が、ユーモアとウイットと反骨心と進取の気性に富んだ人物であったことがわかりました。

 メジャーになったのが三十歳を過ぎてから、という、浮世絵師としては弱冠遅咲きながら、日中の故事に因んだ英雄物語の挿絵、美人画、手に入れた蘭画の構図を貪欲に取り入れた作品を残しています。

 まあ、面白くて粋だったら何でもいいじゃないか、という精神ですね。

 この心持ちは清々しくていい。

 挿絵としての「八犬伝之内芳流閣」は、屋根の頂上にいる犬塚信乃(しの)に、大勢の捕り手が襲いかかる図ですが、信乃に弾き飛ばされて、屋根の下まで流れ墜ちる(流閣)捕り方たちの様子が、躍動感あふれる筆致と構図で描かれています。↓

 猫を使って文字を描く、なんてこともやっています。↓
 なんと書いてあるかは分かりますね。

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 英雄譚の酒呑童子モノでは、いま、まさに人から鬼に変わろうとしている童子が、パース無視の「魁男塾」大豪院邪鬼ふうの巨人として描かれています。↓
(あるいは、宮下あきら氏は、この絵にインスパイアされたかのか?)

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 だまし絵もあります。

 その名も「欠留人物更紗 十四人のからだにて三十五人にミゆる」↓
 よく見てください(小さい画像ですが)。題名どおり、十四人にも三十五人にも見えるはずです。
 

 あるいは、古来より英雄として有名だった朝比奈三郎を巨人として描いて、あたかもガリバー旅行記のような構図の絵を描いたこともあります↓。

 日曜美術館では、この画を「天保の改革で娯楽を抑えられた腹いせに、娯楽の世界の英雄朝比奈に武士を見下ろさせた」のだと説明していました。

 さらに、その巨大朝比奈の体を使い、人の体で顔面をつくったのが、冒頭で述べた「みかけハこハいがとんだいゝ人だ」なのです↓。

 下の画で、赤く囲ったのが、もともとの朝比奈の頭だそうです。つまり、肩から下が朝比奈。

 この遊び心は面白い。

 あるいは、だまし絵に近い、影絵も描いています↓。

 ちょっと意外だったのが、彼が大のネコ好きであったということです。

 たくさんの猫関連作品を描いています。

 なかでも、東海道五十三次を、猫五十三態で表した「其まゝ地口猫飼好五十三疋」↓がいい。

 大阪美術館の展示では彼の猫の画をうまく使って、各展示室入り口で、国芳の画から切り抜き拡大した「巨大ネコカンバン」が出迎えてくれるようになっています。

 さらに、順路にそって、ネコの足跡が「こちらですよ」と案内する趣向にもなっています。

 大きく四つに分かれた会場内の分類もわかりやすく、展示の最後が、国芳65歳死去の折り、弟子歌川芳富によって描かれたとされる「国芳死絵」で締めているのも、余韻が残る良い演出でした。

「国芳死絵」は、粋な旅装に身をつつんだ、実際より少し若く二枚目に描かれ(イメージ的には大石内蔵助ふう)左手には「猫の根付」のついた煙草入れを持った国芳に、前年二十四歳で亡くなった弟子の一宝齋芳房が、荷物をもって寄り添って、さあ、次の旅にでかけようとしている絵です。

 大阪の後、関東でも展示される予定ですが、関西にお住まいの方は、ぜひ、この機会にホンモノ(刷り物ですが)をご覧になってください。

 平日なら、まだ空いていますよ。

 また、本日、夜から、再放送の教育テレビ:新日曜美術館もご覧になってください。

 大阪展 2011.4.11-6.5
 静岡展 2011.7.9-8.21
 東京展 2011.12.17-2012.2.12

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